❼白浜仁吉郵政大臣と共同通信社

   同じころ、九州の関係会社に出向していた父から電話があり、地元選出の自民党の衆議院議員で郵政大臣を務めていた白浜仁吉さんが就職の件で会ってくれるから、衆議院議員会館の事務所に行ってこい、というのだ。父が政治家と付き合いがあるなどとは聞いたこともなかったが、地方の企業などは地元の政治家との関係も近いのだろう。当時は私立大学の入試や就職に政治家先生の口利きというのはよく聞く話ではあったが、まさか自分にそんな話が来るなど思いもよらず、
「えっ、でもマスコミ志望の人間が政治家の口利きというのはまずいんじゃないの?」
「マスコミのことは分からないが、会ってくれるというのだから行ってみたらいいじゃないか」
 どういう関係なのか聞いたら、出向先の企業の関係で遊説などのアレンジをしたらしい。要するに、父が有力支持者なはずもなく、会社の関係で面識を得たということで、その程度のことで相談に乗ってくれるというのが半信半疑だったが……。いずれにしても衆議院議員会館などというところに足を踏み入れる機会など今後あるかどうかも分からないし、後学のために伺ってみるのもいいかと思った。
 ということで、後日アポイントを取って永田町の議員会館に出かけた。

 議員会館の事務所には、白浜さんと、いかにもベテランという感じの女性秘書がいた。緊張しながら最大限丁寧に挨拶申し上げるや、白浜さんが、
「それで、どういうところを志望してるの?」
「僕は東京藝大なので、ふつうの企業は考えられませんから、やはりマスコミを志望しているのですが……」と答えると、すぐさま、
「じゃあ、共同通信はどうだ?」
「はぁ……」共同通信社の編集委員の倉田保雄さんのことをとっさに思い出して、
「知っている方がいます」
「じゃあ、電話してあげるから」とその場で電話してくれて、
「常務理事が会ってくれるから行ってきなさい」と簡単に話が進んで、やはり政治家と新聞記者は近いのだなあと、何か裏側の世界を垣間見たような気がした。
 白浜さんはもともと医者で、陸軍軍医として長崎に赴任中、原爆で被爆、夫人と二人のお子さんを失うという悲劇にあった方で、戦後、長崎県議会議員を経て1952年衆議院議員に当選し、78年第一次大平正芳内閣で郵政大臣になった。ただの学生の僕にも偉ぶったところがまったくなく、いかにも気さくで、ちょうど昼時だったので昼ご飯を誘ってくれて議員会館内のレストランでカレーライスをご馳走してくれた。僕は初めて政治家、それも現職大臣に会うという経験にすっかり緊張していたので、食事をしながら何を話したのかまったく覚えていない。議員会館を出て、一気に疲れが出たのを覚えている。

 虎ノ門にあった共同通信社では西山武典常務理事が会ってくれた。温厚そうな方で丁寧に一学生の話を聞いてくれて、
「11月に筆記試験があって一般教養と英語、それを通ったら面接という段取りになるから」と説明され、応募書類をもらった。とくに大臣の紹介だからというようなこともなく、当たり前と言えば当たり前の話で、最終まで残れば多少は大臣のコネが効くのかなと想像したけれど……。もちろん、試験前に常務理事に会えること自体が特別なことだったのだが。西山さんは後に知ったが、新聞報道に関する著作や、通信社の歴史に関する編纂資料などの編集をされていて、地味ながら貴重な仕事をされていた。編集委員の倉田保雄さんを存じ上げていると伝えると、社内電話で倉田さんに連絡してくれたので、帰りがけに在社されていた倉田さんに、西山さんと会うことになった経緯を報告した。ただ倉田さんは「新潮社を頑張れよ」ということで、共同通信社に応募することに対してはあまり積極的ではない感じだった。

 倉田さんに紹介された新潮社の編集者は、『週刊新潮』編集部の芸能関係のデスクをしていた椎木輝実さんで、共同通信社に行くかなり前に、社員紹介による応募の挨拶に行った。メゾン・デ・ザールの今井さんからも10月の「サド侯爵夫人」公演の資料を託されて、矢来町の新潮社に初めて出向いた。道を挟んで本館・倉庫と別館があり、窓が小さく暗い色のがっちりしたビルの雰囲気に、やっぱり閉鎖的だなあと思った。ただ『週刊新潮』編集部のある別館は、一階受付の奥が当時は広いショールームになっていて新潮社の出版物を販売していたけれど、オーク材だかチーク材を使った内装が珍しく、その落ち着いた重厚感に老舗の文芸出版社の格式を感じさせた。
 椎木さんに会う応接室に通される際に、廊下の壁の社内掲示板を何気なく見ると、「9月期賞与は〇日に支給されます」という貼り出しがあった。ふつうの企業はどこでも6月と12月の年2回の賞与というのが常識だったから、9月にも賞与が出るのかと、出版社の待遇の良さを思った。当時、マスコミ企業は押しなべて給与水準が高かった。就職関係の資料などでも、初任給が一般企業より数万円は高いのがふつうだったし、その待遇の良さもマスコミ就職人気を高めていたと思う。僕の知り合いの女子が、「電通の社員はランチでステーキを食べているんだから。給料がすごくいいんだよ」なんてバカみたいだけど大事かもしれない話をしてくれたことがある。ただどのようなマスコミ資料を見ても、新潮社の情報はどこにも出ておらず、その頑なな秘密性(?)と「9月期賞与」が結びついて、これはとんでもなく給料が高いのかなと思ったりした。
 椎木さんにはその後何かとお世話になるのだが、初対面からとにかく気さくというか気楽な口調で話をされ、社員紹介による就職試験応募の件も問題なく、「サド侯爵夫人」公演の紹介記事もあっさり応じてくれて「今井さんによろしくね!」という感じだった。


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