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おかゆが登場する絵本『おかゆ戦争 ふるさとの民話12』

「おかゆ戦争」という言葉から、どんなイメージが浮かびますか?

わたしが考えたのは、

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こんな世界で、

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こんなことが起きるお話かな〜と思ったのですが…

『おかゆ戦争』は、そんなハートフルな、ゆる〜いお話ではありませんでした。

<あらすじ>
1609年の薩摩藩による琉球侵攻。薩摩軍からなんとか逃れた村の女性と子供達。力で戦わずに、知恵で戦うことを決意。なんと、女性らは天川坂(アマカワビラ、アマカービラ)に煮えたぎったおかゆを流して……

この物語は史実に基づく、琉球に伝わる伝承です。

「天川坂(アマカービラ)」
1609年(慶長14年)3月29日、夕方6時、薩摩の陸兵一隊が読谷村大湾渡具知に上陸し、翌朝30日天川坂へ鉄砲隊を伴い進撃したが、神女の指揮下に嘉手納の夫人が熱いウケーメー(おかゆ)を炊いて坂の上から流し、薩摩軍の侵入を阻止したといわれる。現在は国道となり、交通量も激増し、沖縄本島の振興発展に重要な役割を果たしている。
嘉手納町HP「史跡」より

絵本に登場する「天川坂」は、現在の沖縄県嘉手納町、国道58号線。坂はコンクリート道路になっているようです。(ちなみに沖縄発のロックバンド「かりゆし58」の「58」は、この国道58号線が由来だそうですよね)

武器としてのおかゆは、琉球に伝わるもの以外にもいくつか存在するようです。上田城の戦いでも、あの真田昌幸が徳川軍に対して武器としておかゆを用いることを指示したという話を耳にしたことがあります。

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これは私個人の見立てですが、おかゆを武器として使ったのは、おかゆの粘性や熱々さなど攻撃に適した物理的な特徴の他に、崇拝的な観点からの穀物の神聖さと結び付けた行動なのでは?と考えました。外敵に対する魔除けのような、お祓いのような、そういった心理的な意味もあって、おかゆを武器として採用したのかもしれません。お米をはじめとする穀物は宗教的儀式に頻繁に登場しますし、何らかの意味があったと考える方が自然なように思います。

古から人々の暮らしと深いつながりをもつ「おかゆ」。過去を生きた人々の営みに思いを馳せながら、背筋を伸ばしておかゆをいただきたいと思いました。

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『おかゆ戦争 ふるさとの民話12』新屋敷 幸繁 (ぶん)、 岡本 博 (え)、1977年、草土文化社


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