うつ病からの癒し/赦しと解放の証し

(2018年に書いた証しを改定しています)


①クリスチャンになり、神学校へ

私が初めて母教会に来たのは、高校一年生の時です。
私はその時、すでに数年、自殺願望と戦って生きていました。
いじめや学校生活、家族関係など様々な問題に疲れ果て、生きる意味とは何なのかと、必死に考えていました。
高校生になって、それを探すのも虚しくなっていた頃に、クラスメイトに連れられて、教会に来ました。
 来て3か月後、福音の全容を初めて聞いた時、信じる決心をしました。「イエス様、ごめんなさい。ありがとう。
これから先の人生は、すべてイエスさまのものです」
と祈って目を開けた後、見える世界が全く違ったことに驚きました。
死ぬことばかり考えていた私が救われた時、イエスさまのために生きることが、私の生きる意味、目的になりました。
何の迷いもなく、高校を卒業してすぐ、神学大学に進学しました。

神学校時代の同級生たち。今でも大好きです。

②うつ病になった頃のこと 

「あなたは、神学生としてふさわしくない」とある方に言われたのは、一年生の冬でした。今は、その言葉をその通りです、と思っています。
それは入学して一年、私自身が心のどこかで感じていたことを突き付ける言葉でした。
しかし、その一連の出来事を受けとめられず、私は体に変調をきたすようになりました。
それでも休もうとせず、人に正直に話して助けてもらうこともせず、一年後に、私は完全に壊れてしまい、重度の鬱病と診断され、寝たきりになり、
熱望して入った大好きな大学を退学することになりました。

 その頃、「神様、もう十分です。わたしのいのちを取ってください」とよく祈りました。イエスさまの用意してくれた最高の人生を、私が自分の手で捨てたと思いました。

大好きなイエス様を裏切ってしまった。もう取り返しはつかない。
生きていることが申し訳ない。
だけど、自分の手で死んで、これ以上神様を悲しませることはできない。
でも、もう生きていかれない・・。

同時に、きっかけとなった出来事に関わった方を恨んでいました。
「わたしの人生を返してほしい」
自分への憎しみと人への憎しみで心はいっぱいでした。
5年間の闘病で、体は少しずつ動けるようになり、社会人にもなりました。でも直りきることはなく、心には相変わらず、自分と他者を赦せない思いがありました。

③うつ病急性期を抜け、イエス様に招かれる

社会に出て2年目、ようやく仕事に慣れた頃、交通事故に遭い、
しばらくしてから突然倒れ、20代2度目の寝たきりになりました。
あらゆる病院を巡っても、治療法がわかりませんでした。
これは神様にしか分からない、と感じ、無理を承知で参加した宣教大会で、私に語られたのは、
「自分を捨て、十字架を負い、私についてきなさい」という聖書のことば。そして「わたしを宣べ伝える『声』として生きていかないか」という、
イエスさまの招きでした。

何度も壇上から献身の招きがありました。
「過去にどんなことがあっても関係ない。イエスさまに呼ばれている人は来てください」と。
私はその時、イエスさまの招きも、聖霊様の促しも感じていました。
それでも、どうしても立つことができず、その場で泣き崩れました。

いつぶっ倒れるかわからないわたしを、
「車いすが必要になったらわたしが押す」と連れて行ってくれた友人
その時の決心カード。忘れてはいけないと写真に撮って帰ってきた

広島に帰ってきて、立てなかったこと、これからの歩みのこと、体のことを、神様の前で祈り続けました。神様は、
「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。」(ヨブ記42:10)
のみことばを通して、私に応えてくださいました。

「わたし(神様)はあなた(ツカモト)の人生もこうしたい。
あなたも、心の中でずっと赦せずにいた人のために、
執り成して祈ってほしい。」

もう招きに応えられない自分でいたくないと思っていた私は、葛藤しながら、その人とその家族のために祈り始めました。
するとすぐに、またみことばを通して、
「赦しについて、自分の責任を果たすこと」を示されました。
「その人との関係の中で、果たしていない私の責任があるのではないか?」
と思い巡らせたときに、私の方にも謝るべき事柄があったことに気がつきました。
しばらく祈り、また大きな葛藤を覚えましたが、私はその人に会いに行き、自分の無礼を謝る機会を得ました。

④わたしの魂を縛っていたのは、過去ではなかった

その帰り道、わたしは自分の魂が解放されたことがわかりました。
そして、わたしの魂を縛っていたのは、私自身の赦せない思い、憎しみであり、過去の出来事ではなかったことを知りました。
「赦す」という主の命令にそのまま従うことの全ての過程と結果を通して、神様は私に、主の命令に従うことの幸い、主の約束の確かさ、イエスさまについていく生き方に本当の解放と自由があることを教えてくださいました。

その直後に、そのことをアメリカで証しする機会をもらいました。
証しした夜、まだ信仰告白をしていない人のためのグループのリーダーに、「今日の証しを通して、数名のメンバーが『イエス様を信じたい』という告白に導かれ、一緒に祈った」と教えてもらいました。
「もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのため
(Ⅱコリント1章6節)」
というみことばが成就した出来事でした。
私はその時の感動を忘れることができません。
生きていることが申し訳ないとすら思っていた私が、生きていてよかった、私もイエスさまのために生きていけるんだ、と思った瞬間でした。

ec14にて。証しをしている写真、いろんな方から100枚くらいもらいました(笑)

⑤その後のこと~結婚、自己肯定


「二倍に増されたヨブ」の約束も、神様は夫との結婚を通して成就してくださいました。
お付き合いを始めた頃、夫に、
「かよちゃんは今を、神学校を辞めた後のおまけの人生だと思ってる。
でも、僕はかよちゃんの、おまけの人生の一部になるつもりは一切ない。
この人生が最高の人生で、そのために今一緒に結婚を祈っているんでしょ」と何度も言われました。
夫との関係を通して、神様とともに、
過去を含んで自分の人生を受け入れる決断、
自分を神様の最高傑作と信じて生きる」という決断をしました。

自己肯定は、わたしの人生の中での大きな、大きな課題のひとつでした。
自分の顔が嫌で、鏡をまっすぐ見ることもできず、自分の映っている写真を見るたびに、苦々しい思いを抱いていた10代の頃。
20代になってすぐ鬱病となり、当然のように自分を否定し、神学校中退の失敗作と自分を呪い続けていた時間。
そんな人間でも、どれほどの失敗をしたとしても、御言葉は変わることがなく、その御言葉こそを「事実」を受け入れる決断によって、
「わたしは、高価で尊い」ということばを現実として生きることができる、
と知りました。

結婚してからの生活を通して、どれほど自分がイエスさまに愛されているのかを知り、また人に愛されていい、と分かりました。
私たちはイエスさまの先を行く者でなく、イエスさまにただ従う者であり、そのことがどれほどの祝福と恵みなのかを教えられています。
 
わたしは、イエスさまがくださった最高の人生を生きています。
この告白にたどりつくまでに、十年かかったけれど、イエスさまについていく、そのことだけで、どんな時でも最高の人生を受け取ることができると知って、本当にわたしは幸せです。
イエス様の素晴らしさをもっとたくさんの人に伝えるために、わたしにできることを、形にこだわらず、人生をかけてやり続けたいです。
私は生涯、イエスさまについていきます。

「ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6章8節)

*うつ病は、2009年1月発症、
2015年の6月に寛解し、2023年現在、元気です。


うつ病になった時、難しいと心配されていたことも
守られて、2児の母となりました。

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