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米国移住6年目に、夫がレイオフに遭いました。

ことの発端は、タイトルどおり。2024年秋に夫が、いわゆる「レイオフ」というものに遭いました。「遭う」という感じのもつイメージどおり、できれば出くわしたくもないのに、遭遇してしまった!という出来事だった。

余談ですが、「あう」って言葉は面白いですよね。人にも物事にも「あう」といい、会う、逢うは人に会うに使い、遭うは事象で、特にネガティブな時に使うことが多い。日本語難しい!

日本のみなさんも、ニュース報道などで、米国がレイオフの嵐であるということはなんとなく知っているはず。GoogleやAmazonなどのIT系企業、インテルの半導体しかり、NIKEのようなアパレル企業しかり、昨年はさまざまなレイオフがあった。私が住む、オレゴン州のポートランドはNIKEの本社があり、インテルも大規模に拠点を構えているので、界隈でも「レイオフにあった」「免れた」みたいな話は日常だった。が、まさか!のまさか!意外と自分の身内にそれが起こることっていうのは想像できていないものなのだ(ということも実際に起こってわかりました)。

経緯とかは当事者の夫のブログを見てらもうといいと思うので、リンクを置いておきます。

このレイオフの詳細や、そこからの再就職へのことの顛末などは、上記を参照いただくと、ちょっとしたノウハウや米国の事情をお届けできていると思うのだけど、私が、あえて、この年始のタイミングで公開するかな、と思ったのには別の理由がある。

米国に6年生活して、移住半年でコロナのパンデミックがあり外出できない日々が続いたり、1年半オンライン学習&幼児の自宅保育となりどっぷり子育てすることになったり、山火事が起こってまちが黄色くなって空気が悪くなったり、数ヶ月Black Lives Matterのプロテストが続いたり、そのいろいろ起こった2022年を経て、ドラッグとホームレスが蔓延してダウンタウンの惨状を見たり、万引きが多発する状況を見たりと、まあ米国ならでは、この2020年代の社会課題ありきの出来事に遭遇はした。けれども、とは言っても、生活基盤そのものが揺らぐ出来事として、肌身を持って実感できるのは、この「レイオフ」に勝るものはなかったからだ。

うちはドル収入は夫だけ。私が日本円でも収入を得ていると言っても、円安、米国インフレ凄まじいこの状況なので、米国で生活するには不十分である。つまり家賃や生活費諸々を考えると、このまちで生活を継続することが、このまま夫の仕事が決まらないと、数ヶ月で破綻することに間違いなかった。うちはビザは問題なかったので、レイオフの瞬間に強制に本帰国にはならずに済んだので、いったんは日本円を送金して繋ぐことはできた。ただ、それが長く続いたら、いざもう日本に帰るしかない!となった時に生活をつくりなおす余裕がどれぐらいあるだろうか?と考えた。

大きな病気、失業、ちょっとしたことで、誰しもホームレスになり得る。食と健康と家の3つからどれかを採択しなければならないような何かインシデントが発生すると、健康を支える社会保険がないこの国では、健康と食を守るために、最初に切らざるを得ないのが出費の多い家であり、それがホームレスへとつながることが多いと、半年前に受けたコミュニティカレッジの授業で解説を受けたことを思い出した。 まさに、始まりはこういう状況ではないか!と。

まぁ、表題の画像をどんよりグレーではなく、未来を感じるブルーにしたのは、結果として、ありがたいことに2カ月で夫が新しい会社への就職が決まり、難を脱したからある。

その間に、私も実は、こっちの会社ではじめて職種的に、私のキャリアを活かせるかも?と思ったところをレイオフの翌日に見つけて、これは何かの縁かもしれないと思い、後先の色々(今の仕事とか)は考えずフルタイムジョブにエントリーはしてみたものの、英語力がとにかく足りず、撃沈したりもしている。コミュニケーションの仕事で(いや、そうではなくてもw)英語力が足りないのはわかっていたけれど・・・。書類選考通ったのだけでも奇跡だからこれはこれで良しとしたい。そして、本題ではないから、この話はまたどこかで。そんな自らの体験もあり、こっちの会社にネイティブでもなく、40歳前になって初めてアメリカで暮らしていながら、英語で受かった夫、すごい。と思ってる。

ひと段落したものの、今回の我が家のレイオフ騒動は、いろいろなことを立ち止まって考え直すきっかけには確実になった。今となれば、レイオフしてくれてありがとう!だ。私自身も事業をしていたり、顧問をやりながら経営に携わっているわけで、「人を雇うことの責任」について、また逆の「雇われる側の責任」については考えた。そして、一生活者として改めて自身がどこで何をすべきか?というライフプランについても見直すことになった。また人との繋がり、コミュニティの存在の大切さについても改めて感じた。これらについて、自分の備忘録として書いておく。

レイオフされた、家族になるという経験から思うこと

レイオフをする側、された側、両方が痛みを有するとは思う。当人の痛みは測りしれないが、その家族という経験をした私でも、多少なりともその影響を受けたのだった。私は現在、リモートで人をマネジメントすることの難しさを痛いほどわかるため従業員は雇っていない。が、経営サイドに顧問として関わることも多い。「雇用の責任」を逆のされる側の立場になってひしひしと感じることになった。レイオフ(雇用の維持)、働き方、評価、福利厚生など会社が従業員に提供するものは、本人はもちろん、その先にいるその配偶者や子どもにまでどれだけの影響を与えることになるか。を実感した。未来ある子どもたちの生活やさまざまなものが制限されるのだから。我が家も、一時的に、子どもたちの習い事のいくつかを事情を話して急に止めさせてもらった。ビザがなければ、翌日には急な帰国準備をすることになっただろう。会社にもやむを得ないことはもちろんある。が、日常的に接していない人だとしても、顔を合わせてことがない人だとしても、どれだけ見えない相手にまで想像を膨らませるリテラシーがあるかは、いまの時代の愛される企業の必須条件になると思っている。そういう責任ある企業こそ、この社会課題が複雑化している時代には、社会に変革を起こせるように思っている。

雇用の重さを実感したし(そして、それを継続している経営者を本当に尊敬した)、もし自分が今後雇用する立場になった時、この一件をしかと思い出し、いつも心に留めておきたいと思ったのだった。

雇われる側、雇う側の緊張感のある関係は、日本よりアメリカの仕組みの方が強くなる、それが文化の一部をつくっている。


急にレイオフできる代わりに、雇われる側も急に辞めることができるのがアメリカの雇用形態だ。そうなると、お互いにタイムリーに評価され合う関係性であるため、どちらかが怠慢になれば、それは、見限られる可能性が高くなる。

学び直しと言われるようになって久しいが、社会人になってからも大学院に入ったり、専門を高める、あるいは別の専門をつけるために勉強をしている人は、米国の方が圧倒的に多いように感じる。これもこのアメリカならではの雇用形態に影響を受けているところはあるだろう。この雇用関係が企業を成長もさせているし、経済も成長させる基盤となっているところはあるだろう。

そして、どちらがいいとは言わないが、企業も経済も人もアップデートが進みやすいのは、米国であり、安らかに豊かに今を愛して暮らしやいのは日本という特性は、この雇用の仕組みに大きく依存しているように思う。

ただ、今の事業環境は複雑で、取り組む社会への課題は大きく一社で成し得ることが本当に少なく、そのタイムラインも長くなる傾向にある。ゆえに、雇用したら給料は下げられない、雇用環境に応じて人を減らすこともできない日本は(前項の家族としての経験として思ったことと矛盾はするが)スタートアップの経営者はとてもしんどい時代だなとも思っている(売り手市場だし・・・)。ここは日本の雇用環境、雇用の法律は、再考の余地はあるようにも感じる。

人との繋がり、コミュニティの大切さについて

サードプレイスの必要性が問われるようになってからも、これまた久しい。職場と家庭以外の3番目の場所。それは地域のコミュニティ然り、趣味のコミュニティ然り。昨今では、ボランティアや学校などもありそうだ。

こういう危機的な状況の時に、頼れる人がいる、職場以外の場所があるというのがとても大切だと感じた。今回も、とてもたくさんの人に手を差し伸べてもらった。ただ話を聞いてもらっただけでも、気は安らぐし。たとえ、スキルや経験があったとしても、コミュニティなしでは豊かには生きられない。それを再認識した。

最後に自身がどこで何をすべきか、というのはまだ再考中なのだが、生活の基盤を大きく揺るがすような出来事は、明らかに、私の思考や決断にも大きな一撃を与えた。

2025年のことを熟考している。


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