ヒロトで号泣した話
ザ・クロマニヨンズのライブに行ってきた。
地元の会館で7年ぶりの公演。実は3年前にも開催予定だったのだが、丁度コロナが流行りだした初めのすべての催しが中止になった時期で、4列目をゲットしていたにも関わらず延期なしの中止という憂き目をみた流れがあっての、満を持しての今回であった。←前置き長い
開場前に並んでいると、列のどこを見てもワクワクしている笑顔の同士達ばかりで、やっぱり和むなぁと思っていたところ、大空に大きな虹が出てきてくれたりと、始終牧歌的な雰囲気で、これから始まる物語の表紙としてはとても良い滑り出しだった。
スムーズに誘われ、席につく。今か今かと待つ。そして会場のライトが落ちる。いよいよ始まる。
立ち上がる観客。拍手と声援でメンバーを迎える。楽器を担ぎ位置につく彼ら。そして。
ドラムカウントから大音量でヒロトの声が乗る。
同時に目水が溢れ出し、止まらない。
私は気づけば号泣していた。
一曲目は進む。ヒロトは歌いながら高く跳ぶ。
私は制御できないほどに、涙が止まらなかった。
嬉しいだけではない、何か、ぐちゃぐちゃの感情の中で、拳を振り上げ叫び、跳び続けた。
マスクの下はズビズバになり嗚咽していた。
3年前、コロナで中止になった公演のせい?
久しぶりだから嬉しすぎた?
いや違う。それまでのライブとは全く違う感情に溺れていたのだ。
私は甲本ヒロトという存在にはじめて出会った時の、宝島を読んでいたトンガリキッズな自分に戻っていた。「東京トンガリキッズ」という連載が好きだった。ともすれば自分を見失いそうになる、自分が何者になれるかもわからない、夢だけは抱えているような、危ういキッズだった。
あれはビブレホールだったか?ブルーハーツだった彼ら、めちゃ近いステージと客。波打つような縦ノリで、おにーさんおねーさん達に、もみくちゃにされながら、拳を振り上げ跳び続けていた自分に。
私は15才だった。とにかく圧倒的だった。彼らのロックは思春期の私に刺さりすぎた。鋭く刺さり、ズドンと突き抜けてしまった。トンガリキッズのトンガリは、いともたやすく折れたし、彼らに私のしょうもないトンガリを折られたことに歓喜すらもした。
それから、彼らは福岡に来るたびに都久志会館、サンパレスへと会場が大きくなっていった。物理的にも、どんどんその存在は遠くなっていったと感じていた。
だけどずっと彼らの音楽は共にあった。私の経験の中での酸いも甘いも全て、彼らに励まされ、その後バンドは変わっても、そのスピリッツは変わらず、彼らと青春を共にした。大人になってもずっと音楽を聞き続けた。
そして今日、彼らは私の近くにいた。地元の会館という小さめのハコで、距離的にも、精神的にも、とてもとても近いところで、あの頃と変わらぬストレートなロックをガツンと届けてくれた。
同時に私は、35年前の私と対峙した。お前は今どうなったんだ?と、初めてヒロトにあった日のトンガリキッズな自分に、まっすぐストレートに聞かれた気がした。
私はロックをずっと続けてきたヒロトやマーシーに誇れる人生を送ってきたのか。あの日の私と今日の私は何かが変わっていたり、何かを成し遂げたり、何かに没頭したり、人の心を少しでも動かせたりできたのか。
15才の田舎のトンガリキッズが、ラバーソウルを履いて、ヒロトの後ろからこっちを見ていた。
ヒロトは言っていた。やりたいことはやったらいい。そのためについてくるやらなきゃいけないことをやって、本当にやりたいことをやり抜くのが大人だし、大人だったらそれができるんだよって。
このことを大人になって芯から理解した。今は本当によくわかる。キッズの頃、やりたいことが叶えられないのは、人(家族とか)のせいにしていた。田舎の女子は進学先に街を離れることは選べなかったし、ゲージツを含めいろんなことを反対されてきた。そして夢を潰されたと勝手にふて腐れトンガっていた。子供でチカラが無いだけなのに。そんな頃にヒロトの音楽に出会ったんだもんな。
多分、今もキッズの頃と中身はなんにも変わっていない。だけど環境はかわった。変えることができた。大人になって、キッズの頃にやりたかったことを、人のせいにせずに自分で一つ一つ叶えていった。もちろん紆余曲折はあった。
しかし今は自分の裁量でやりたい仕事をやり、行きたいところに行き、やりたかった海外での展覧会を続け、今日はオットが隣りにいて、同じタイミングで拳を振り上げている。
そしてそれを全て選んできた
私が今、
ここにいる!
私のトンガリキッズ魂は、35年かけてここに完結したと思った。
その瞬間、ヒロトの後ろに立っていた15才のトンガリキッズは、ぐいんと私と一体化し、それからのライブを一緒に楽しんだ。涙は止まり、ただただ楽しい時間を全身に浴び、享受した。
クロマニヨンズ最高。
変わらぬヒロトとマーシーに乾杯。
余談だが。オットも一曲目で泣いたらしい。似たもの夫婦なのかもしれない。縦ノリ跳びまくりで終わりまで過ごしたので、きっと明日、全身凝っているだろうな。
終