クリエイティブ・ペアレントへのインタビュー:鈴木ヒラクさんインタビュー後半
昨週に続き、アーティストでドローイング・チューブを主宰する鈴木ヒラクさんへのインタビュー後半です。
インタビュー後半では、ヒラクさんの大切にしている活動ドローイング・チューブを中心にお話を伺いました。それはヒラクさんの描く世界観であり、クリエイティブなヴィジョンです。お子さんは、この開かれたヴィジョンの中で、共振しながら育っています。どんな感性が引き出され、育っていくのでしょうか。
ドローイングという身体行為を通じて、『線』というものを深く考察し、描き続けてきたヒラクさんの言葉からは、いのちそのもの、生き方になぞらえられるような線の意味が見えてきます。
クリエイティブ・ペアレントのヴィジョン:生きることを描くドローイング・チューブ
[Constellation #38 ]
「描いている線は、ずっと過程にあり動いています。チューブというの線の両端が閉じられていない、時間や空間の中で何かが出たり入ったりする回路として設定しています。
人間社会における線は全てが境界線で、分断をもたらします。何かをつなごうとした線ですら、あらゆる領域で内と外に分けてしまいます。オノ・ヨーコの作品で、『この線はとても大きな円の一部である』という言葉があります。円は必ず内と外を分けるのです。たとえば、大きな境界線としては、国境線があります。思想を持つことも、デモ行進の線なども、人間社会だけで見ると分断の境界線です。人間社会のあらゆる問題は、それが原因だと思います。宗教や国や性別など。人間社会の中だけで描いているからです。
でも、けもの道とか、カタツムリが動いた跡、鉱物の中の線、植物の線、現象としての軌道の線、などは、人間が描く線を全て超えていると思うのです。自然の中にある線はすべて、何かと何かをつないでいます。さらにその先の宇宙には、地球にない線があり、謎の線、ありえたかもしれない線もあります。ドローイングという行為を人間社会の中だけ定義するのでなく、世界を分断せず、接続するものとして捉え、実践したい。そのモデルとしてチューブという言葉を使っています。人間社会での線は場所を規定していきますが、チューブは場所ではなくて、空中でクネクネ動くミミズの様な、場を分断しない線のことです。人間社会に生きていても、瞬間瞬間に人間を超えた線を取り入れることで複雑さと豊かさが現れます。人と人もドローイングで会話できます。閉じることなく、人間以外の色々なものが入ってくる。また生きるということを、時間と空間の中に線を描くこととして捉えれば、チューブは単に、生から死をつないで終わる直線ではなく、色々に変化し曲がり、広がりをもたらす。生まれるところから始まるのではなくその前、そして死で終わるのではなく後があることも含んでつないでいます。線を描く行為の前後に何もないとすると、終わってしまった運動はどこへいくのか。止まれない場合はどうなるのか。進歩しなくてはならないという強迫観念から抜け出ることが必要です。例えば、コロナの線もある。2020年に始まってワクチンができたらそれで全て終わりではない。始まりと終わりには穴が開いていて、前後に広がりがあります。原因もあれば未来もあるわけです。
私たちは、がんじがらめの境界線が張り巡らされる中に閉じ込められています。見えない境界線がたくさんあって、地球からそして宇宙から断絶されています。そこに穴を開けて、行ったり来たりする回路を作る必要があります。
描く行為の中で、人間以外の線が身体の中に入ってきて、同時に自分の中の線が引き出されていく。それは農業や狩猟の様な仕事の中でも行われていることでしょう。」
[Drawing Tube vol.4: ドローイングチューブでは描くことで即時的なコミュニケーションをしてゆき、瞬間瞬間にドローイングが共創される]
[GENZO #108 (work in progress)]
私が『クリエイティブ・ペアレンツになろう』を執筆する中で、クリエイティブとは、なんですか?ヴィジョンとは、なんですか?と聞かれることが多いのですが、ここでヒラクさんが語っていることがまさにクリエイティブなヴィジョンです。ひとりひとりが自分の道の中で創造的に探索し、すこしづつ見えていくもの積み重ねのなかに、独自の、固有の世界がひらかれていきます。これはアーティストやクリエイターに限ったことではありません。どんな生き方のなかにも生まれます。こうしたヴィジョンを親が広げ続けていくことで、子どもも育ってゆき、子どもたちも自らのヴィジョンをやがて広げてゆくことができます。それぞれの個性豊かな生き方になっていくことでしょう。それは、画一的な公教育のシステムに当てはめてしまうこと、そこで一見個性のようにみえるものとは大きく違う、独自的で、自立した感性です。それは、これからの予測不能な時代にあっては鍵となる人間のポテンシャルとつながるものであり、自らを豊かにしてゆくものです。
「娘は保育園に通っていますが、保育園に丸投げはしません。そしてこれから小学生になっても、小学校に丸投げしません。家族で過ごす時間がベースです。さらにいうと、僕の友だちが、娘を可愛がってくれています。変な大人が周りにいます。そういう友だちが、先生になっています。『誰々はこう言ってたね』とか話します。友だちの存在は大きいですね。学校以外のインプットとコミュニケーションをなるべく豊かにしていきたいです。
妻は、大分県の宇佐市の出身です。宇佐は神仏習合の発祥の地でもあり、伝統的な習慣が大切に伝えられている場所です。集落の盆踊りも豊かで、他にも様々な美しい風習や行事があります。この様な長い伝統と家族で出会うことは、私たちの内にあるものを、思い出し、引き出してくれる大切な機会と感じています。」
親だけでなく、その友人の世界観と触れる中で子どもの感性も広がってゆきます。特に、10代後半にかけて親のヴィジョンの中だけで自分を見たくないと、子どもが感じ出すころには、これが大きな支えになるでしょう。ひとりひとりの多様な生き様に、直接触れることは生きてゆく上での宝になります。それは職業や趣味の独特さだけではありません。都会の中の時間、現代の時間だけではないものに接続することも大きな経験となります。まさにヒラクさんのいう自分のうちなる感覚やポテンシャルを思い出し、掘り起こしてゆくことにつながるでしょう。
2週にわたりお伝えしてきたヒラクさんのインタビューからは
「思い出す」こと、そして「チューブ」というヒラクさんのアーティストとしての生き方そのもののヴィジョンが子育てにも深く響いていることが見えてきます。そしてお子さんとの時間がそのヴィジョンを一層広げたり、豊かにしていることも。クリエイティブ・ペアレンツというのは子どもと親の生き方や世界観をどれだけ独自に広げてつくってゆけるかがキーです。ヒラクさん親子のコミュニーケーションの往復から生まれる感性は、子育てのもつ豊かな世界そのものを感じさせてくれるもので、インタビューをしていてこちらが幸せにすら感じるものでした。
[keyhole]