葉を落とした木は…
コロナ禍に突入して早2年近く。特に9月からは朝、近所の神社と公園を散歩するのが日課になっている。今までの私の固定観念で、12月は「冬」、と思っていたけれど、散歩を始めてから「そうでもないかもしれない」、と思うようになった。
特に東京では、11月の終わり頃から空気がひんやりと冷たい感じになってきて、空気が確実に入れ替わってきたのを感じ始める。いよいよ冬がやってくる、と思うのだけれど、周りの木々を見渡すと、まだまだ葉が残っている。
銀杏の葉が、最後の役目を全うするかのように、濃い黄色に色付くのは12月に入ってから。そして、紅葉(もみじ)の葉も実は12月に入ってからラストスパート!という感じで、全体の色が赤くなってくる。
東京の12月の木々はまだ葉を落としていない。そうか、12月は「本格的な冬に備える準備期間」なのだ。でも、12月に入ってからの1日1日、木々の変化を見ていると、いよいよ全ての葉が散り去って、幹と枝だけが残った、ちょっぴり寒そうで寂しそうな木が1本、また1本と増えていく。
毎日参詣する神社にある御神木。先日遂に、何とか粘るかのように数日間残っていた最後の葉も散ってしまっていた。下から眺めた御神木の姿。夏場は折り重なった美しい緑の葉の数々が優しい木陰を作り出してくれていたのが、今はすっかり見通しが良くなって、木の枝を通り越し、私の目に映るのは黒い枝と澄み切った青空。そして、改めて木をよくよく眺めていると、あらわになった全ての枝、節々、その唯一無二の複雑な自然の造形美が、人間の体の中に張り巡らされている血管のように思えてくる。あぁ、こうやって栄養を根から葉に運び込んでいたのだなぁ、と。
私たちの命を支えるために全身に張り巡らされた血管のように、木にも枝がある。
この露わになった姿の中で、しっかりと次の年に向けて、根に栄養を蓄えるため、木は葉を落とし、新たなサイクルに向けて動き出している。
さぁ。本格的な冬がやってきた。次の春が来た時にまた新しい葉がつけられるよう、今あるありのままの自分を認め、鍛えていくのが冬なんだよ、と教えてもらった気がした。
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