カラダキロク
Instagramで投稿した記事をそのままこちらに載せています
本気で体を変えたいと思った2019年
ワタシの赤裸々な体との日々を連続で投稿していこうと思います
いつものようにちょっと重い言葉も出てきます
でも、今だから書けることがあるし
みんなにシェアすることで私のやってきた意味もあるんだと思う
年齢を重ねていくって最高だよってことを残しておきたいし伝えたい
私が不定期で開催するsenceもその一つ
senceではもっと掘り下げていきます!
かなりディープな企画も考えていますので🌹✨
まずはお茶会したいね☺️
とりあえず次の投稿からスタートします✨❤️
…………1.スタート
40歳も過ぎると色んなガタがくる
ワーカホリックな私の心と体は限界をとっくに迎えていた
身体は悲鳴をあげているのに気づかずに薬で誤魔化す。長年の婦人疾患と産後から続く腰の痛み、頭痛と胃痛でそれぞれの鎮痛剤を飲む日々。
2019年3月31日
ひっそりと美容師人生の幕を一旦閉じる
あんなに好きだった仕事を手放すのは2回目
そこまで自分をいじめ抜いてしか分からない世界を見たかったのかもしれない
深く深く潜ってみたかったんだと思う
大好きな場所と大好きなお客様
それを手放す事で見えた事
パンデミックという世界を大きく変えた出来事もすごく大きい
自然療法で育ててもらった幼少期
反抗期を迎えて真逆の生活に溺れていく
スピリチュアルの世界にもどっぷりハマった
子供をもつ母であり妻であり娘であるけど
私は1人のカヨコという人間
体を変えていくことは心も含む
どちらも繋がっているから
思考を少しづつ変えていったんだと思う
2019年ごろからの現在までの私のカラダの記録
(厳密にはその前からです🙏)
ここに至るまで色んな方の協力がありました
私だけでは辿り着く事が出来なかったからこそとてもプライベートな事もここに残してみます
………2.カラダ作りと人生
大好きな仕事から離れた2019
本気で体と向き合い始めた年でもある
場所を変えたらきっと何かがあると
何かを探すように旅にもでた
仕事を手放して家でゆっくり過ごす
何もしなくても良い日々
幸せなのに満たされない感覚
鏡を見るたびに醜い自分の姿が嫌いで自分で自分に言葉という暴力を頭の中で浴びせる
穏やかな生活と反比例するように生理痛は相変わらず酷い日々。色んな病院をまわったし投薬治療も行った
お金と時間をかけて自分に合うものを探していた
ずっと続けていた植物療法を本格的に自分で自分にやれば良いんだ!そう思ってずっとアドバイザー止まりだったフィトセラピストの資格を取得
同時にオーガニックの勉強も始めた
薬をやめて自然なものに囲まれて暮らす!
楽しかった
数年ぶりに通っていたヨガも再開させる
とても癒されたし心も落ち着いてきた
と、思っていたけど
なぜだ?
増え続ける体重と落ちていく体力
メンタルも同じようにどんどん落ちていった
何がいけなかった?何が自分にいいのか?
完全に迷子になってしまった
そんな時に友人に紹介された鍼灸師さん
ゆうじ先生!(今回コラボハーブティーを作らせてもらった鍼灸師さんでありトレーナーである治療家の先生です
今はNZで医療の勉強をされています✨👏👏)
当時の六本木の鍼灸院に月一で通わせてもらった
治療と一緒に目からウロコの情報と簡単な運動を教えてもらった
運動というかもうストレッチがメインだった
歩く事からやるなんて!!
今思う事はこの時から少しづつ頭の中の意識を変化させていったんだなと思う
2020年にパンデミックが起こり
全てが大きく変わった
人生に対する考えや自分が今生きている意味
カラダ作りは人生なんだと思う
自分はどんな人生を選ぶのか?
………3.遅延型アレルギー検査
私はオタク気質もあり自分の不調の全てを知りたかったしそれに対応できるようになりたかった。知る事がとても楽しかった
もっと知りたいと思い遅延型アレルギー検査も受けた
これは本当に受けて良かったと思う
同時期に息子も受けている
アレルギー検査の前にはfodmap(フォドマップと読みます)という方法で除去食を実践していたがイマイチ不調が落ち着かなかったのだ
※あくまで息子の場合です🙏
遅延型は即時型ではないのですぐにアナフラキーショックがでる緊急性はないが、慢性的な炎症が体の中で続く
反応が出てくるのが遅い(数日から1週間など人によって様々)これは頭痛、肌荒れ、気分の落ち込み、生理痛など様々な不調の原因になる
しかも気づかずにそのまま炎症を繰り返してしまう怖さ……放置してた分だけ原因が見つけにくい…
結局半年かけて食生活をゆっくり変化させていった
一年くらいつづけて今もゆるゆると続けている
グルテンと乳製品と卵と砂糖(きびとう)はなるべく避けている。実は細かく言うともっとある……発酵食品も大豆もえんどう豆もアーモンド、オレンジ、プラム…
(今は外食は美味しくいただいています)
遅延型はその時の食事内容で数値が変わってきます
実際に除去食生活を初めて…
一ヶ月はめちゃくちゃだった
あれもこれもダメだ!食べられない!
キーー!とかなりストレスだった
お酒だって我慢したら逆に反動で甘いものを馬鹿みたいに食べたり
一杯だけ…とのんだワインが一本空いていたり
まー酷いひどい😇
人間って内側にたまったものをちゃんと処理しないとどこかで爆発したりお知らせがくる
我慢するという思考を捨てよう
食べられるという意識にしよう
これしか食べられない!と思うより
食べられる食材を見ることにした
ご飯もお肉も野菜も大好きなハーブも大丈夫だ!野菜も食べられるものが多いし、果物は選べば食べられるものもちゃんとある
そう!この除去食でエスニック料理が更に好きになったのだ。米粉の麺はサイコー!今でもよく食べます
ライスペーパーは時間がない時の味方🤤
同じ世界にいるのにどこを見るのか?
どこから見るのか?
それだけで180度世界が変わる
だんだん食材のストレスがなくなり
食べる事が楽しくなってきた
ただ一番困ったのは外食や会食
手軽に食べられるものは全て小麦粉製品!
大好きだったスムージーも🆖なものが多く…ホントに日本にオニギリスタンド増やしてほしい!もう一つは手軽に美味しいハーブティーを出してくれるお店が増えてきてくれる事も切に願う…✨
……4.痩せた後
「食べられないんです」
相手に伝える方法もこの時は悩んだ
食べられない!だけ言うと失礼だったり
とてもワガママな人だと思われてるのかも?とか……今思えばキチンと伝える事が相手を思いやる事だと思う
世間の目が怖かった。実際に呆れられたり理解されなかった事もあった
キチンと説明すれば伝わるのに
当時は極端に怖かった
どう見られるのか?ここばかり気にしていた
これはもう完全に心のお話し🙏別で書きます
除去食が終わり炎症が収まっていくと
みるみる浮腫みと肌荒れが落ち着いていった
ホントはここからが一番大切なのだ
スルスル痩せていくのが面白かった
もともと不調を改善するためのものだったけど、痩せる=キレイになっている!健康になっている!と無意識ですり替わっていた。食べる事に対して強い依存があった私は良い側面としてはそこまで執着しなくなったこと
しかし食べる事も忘れてしまう事もあるくらいになっていた(結局トータル9キロ痩せました)
しかし体の根本的な栄養不足は補っていなかったのだ
夏頃からずっと胃腸の状態が悪く、極端に痩せたこともあり病院に行って検査も受けた
結果は健康です
ただ腸の炎症の数値が少し高いことくらい←これ一番大事だった・・
一つ言えることは年齢的なこと・・加齢です。
もちろんそれはよく分かってる!
更年期?まだ少し早いけど!なんだろう・・
そして、世界で同時に起きたパンデミック
このストレスを甘くみてはいけなかった
個人差はあるけど本当に少しづつ蓄積されていった
そこに私は母の病気と死という体験が重なっていた
これが原因なんて特定出来ないけど元々の腸内環境のバランスの悪さが悪化していき、少しづつストレスと絡み合って不調というものになっていった(これは10代の頃からある月経困難症も大きく関わってくる)
毎月遠隔でゆうじ先生のパーソナルトレーニングを受けていた。毎回同じ状態に戻っては一からやり直して……の繰り返し……それでも嫌な顔一つせずに笑顔で大丈夫ですよ〜かよこさーん!と言い続けてくれたゆうじ先生には感謝しかない
彼が居てくれたから辛い時期も諦めずに自分の体と向き合え続けていたんだと思う……
除去食からの今の自分に必要な栄養と運動
マイナスだったものがようやくゼロになっただけ
ゼロになることもすごく大事なんですよ!
でもさ、えー!永遠に終わらないんじゃないの!?
って思ったよね
ここの考え方も悪いクセというか・・負のループに陥りやすい
健康ってなんだろう?
これを、やれば健康って言う本や情報は沢山ある
だけど人間は毎日違うし、日々細胞は入れ替わり
食べるものや生活する場所でもカラダに対する影響は変わってくる
更にそこにストレスが加わる
もうこれだけれあればって言えない状態なのは分かる
みんな違うし違うのが当たり前
わたしの場合は仕事の影響が大きかった
美容師という体には過酷な現場を20年以上続けてきた
長年の歪みとストレスでカラダは散々な状態
視力の差で顔は歪み、腰は出産も経験してさらに負荷がかかっていた
爆弾をずっとかかえて仕事をしてる感じ
中と外からのアプローチを同時にやっていたけど
やり方の問題はとても大きい
やはり嫌いだと思っている運動はやりたくないと自然と逃げてしまう
実際にランニングしよう!として膝と腰を痛めてしまったことがある
歪みきったカラダで運動する怖さをここで実感した
やはり順番があるんだな
焦って結果を出そうとしてしまうクセ
なんでこんなに生き急いでいるんだろう?
長年の積み重ねは簡単に変化してくれない
結果が出づらい
どこを目指すのか?
何になりたいの?
そんなことまでする必要があるの?
綺麗になってどうするの?誰が自分を見るんだろう?
自分の言葉がしつこく頭に響く
………5.心と体
水着を着れるカラダになりたい!
そうパートナーに宣言した
冗談なのかと思われていた
ここで少し内面に触れてみようと思う
痩せる=綺麗になっている
長年のコンプレックスがそこに絡み合っていた
なんだか痩せるといい気分になって体重が減るとキレイになっているという謎の思い込みがあった
私は仕事を休んでから5キロくらい太った
太った=醜い
醜いという言葉に異常に反応してしまう
鏡を見る度に自分を罵る言葉を自分に浴びせる
これは幼少期のインナーチャイルドが癒されていなかった
自己否定を自然とするクセがこの醜いに反応して私はダメなんだという思い込みになっていった
※この時は分からなかったけど
体の栄養不足の原因もありました
私は極端に栄養が足りない状態だったので精神面でも大きく関わってきていました
心と体の深い繋がりをとても感じます
そしてもう一つ
私の長年の月経困難症
ここからから浮かび上がる女性という体を呪うマイナスな感情
拗らせすぎてどこから手をつけていいのか?分からないほどだった。毎月キッチリとやってくるホルモンのジェットコースター
痛みは全てを奪う
耐えるだけが私の出来ることだった
それを毎月毎月繰り返す
10代からずっとちゃんとやってくる
痛みという大きな怪物
感覚過敏な私の体はストレスでさらに痛みを増幅させていたんだと思う
ゆうじ先生に出会ってからは毎月私の体を定期的に見てもらっていたから、この生理がどれだけ大きく体を変化させていたのか分かった
女性に必ずやってくる生理
この生理と自分の体の関係
これを知っている知っていないでかなり大きく違ってくると思う
※私の場合は体が守りに入るので歪みの原因になり、筋肉がつきにくい状態になっていた(さらに深く性と生理のことに触れるのは不定期開催のsenceで開催しようと思っています!)
この精神面のベースがあってからの世界同時に起こったパンデミック。ストレスは本当に少しづつ心にも体にも蓄積される
そしてギリギリの状態からの親の死を体験することになった
私の中でピークに達したのかもしれない
眠れない食べられない息が吸えない
突然涙が止まらない
突然パニックを起こす
実はずっとあった症状
これがこの時から酷くなり医者からは何もしないでくださいと、言われた
こんなことは一生誰にも言いたくなかった
弱音を吐いているようで自分が大嫌いだった
もっと頑張れる!もっと完璧に!
なんでこんな事も出来ないんだ?
ゆっくりしなさいと出来た時間はまるで拷問のようだった
ふつふつと自分の中から湧いて出てくる罵倒する声
今までどれだけの自分の気持ちを見失っていたのだろう
自分と向き合うのが怖かった
瞑想も苦手と思っていたけど
自分の声を聞くのが怖かったのだ
言い訳は沢山出てきた
仕事だから
あの人が悪い
もう歳だから
私なんか何にも出来ない
若い頃に戻りたいんじゃない
あの頃はよかったっていう話は大嫌いで
今の自分を好きになりたいんだ
かっこ悪い自分でもいい
全てをさらけ出して自分が自分に本気になったらどうなるのか見てみたい
40歳
あとどれくらい元気で働けるんだろう
閉経した私はどんな姿になっているんだろう
怖かった
だから
自分のことを知りたかったし全部知りたかった
私が私に嫌われてる人生で終わりたくなかった
恨めしいと人を呪って死んでいくのは嫌だ
女性だから 妻だから 我慢するのが当たり前
全部ぶっ壊して、あーーー楽しかったって言って死ぬんだ
それが水着を着る!という動機
いつどんな時でも脱げるカラダになるという事はここからきている
怖いから向き合う
見たくないし逃げたくなる
だからやる
これだけ言うと
強い人だねと言われる
ワガママともいうかしら?
だけどね
私はメチャクチャ弱いんです
ヘタレですぐ逃げ出す
すごく弱いから心の筋トレを続けていないと、すぐに壊れてしまうし、とてつもなく怖いからやり続けるんだと思う
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