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ひきこもりや不登校の親が子どもに期待すること?

先日、とある集まりで「子どもの将来に期待すること」を周囲の親御さんと話し合う場面があり、なんとも不思議な感じがしたので書き留めておこうと思う。


「子どもの将来に期待すること」

我が家の子どもたち3人と学校の縁が途切れてから10年になろうとしている。小学校の途中から登校できなくなって、すったもんだながら、なかなか楽しい10年でもあった。

先日、教育系の集まりで周囲の親御さんと「子どもに期待すること」について意見交換する場面があった。

決して堅苦しい場ではなく、参加する親御さんも視野が広く柔軟性があり、不登校に特別視もない方々という印象。知り合いも多く気心知れた集まりでもあった。

でもね、

「お金?」「それはもちろん大事!」「好きなこと見つけてほしいよね」「ほんとね、そのためには…」と盛り上がる中で、「期待すること?…出てこない…」どうする?

学校に行っている子の親御さんとの違いを、まざまざと感じた。正直「欲するままに口に出せていいなあ」と思った。

「楽しく…」に詰まっているもの

「どう?」と水を向けられて、咄嗟に「楽しく…くらいかな?」とわけわかんないであろうことを口走り、気に留められず次に話は進んだ。

「楽しく」。

そうとしか言えないのだ。もちろん「楽しく…」が「楽しく暮らす」なら、お金が必要だし、そのためには仕事もする必要がある、楽しさのためには時間にもお金にもちょっとだけでも余裕がある必要がある。その内訳をみなさんは話し合っているのだが、どうにも乗ることができない。

そもそも「楽しく暮らしてほしい」ともちょっと違う。近いのは「楽しく生きてほしい」とか「楽しいと思って生きてほしい」とかだったりする。

そうだ、「生きる」ことを「楽しい」と感じて生きてほしい。が私の「楽しく…」の中には詰まっていた。

親の欲望の底と希望の果てる先

子どもは学校に行けなくなると、行けなくなった自分にびっくりする。次に「みんなができることができない自分」に引け目と負い目を感じる。こんな自分は「弱い子」「ずるい子」「悪い子」「迷惑な子」。

こんな引け目と負い目を感じ続けると、行き着くのは「こんな自分は生きていていいんだろうか」「生きていないほうがいいんじゃないだろうか」。

私は、子どもが登校できなくなったあとの数年、「今夜寝て、明日起きたら、子どもたちの誰かが生きていないかもしれない」という恐怖と付き合った。

こんな恐怖の中で浅い眠りを貪るくらいなら、子どもたちが全員寝てから寝ようと昼夜逆転している子どもの横で毛布を抱えていた時期も長かった。もちろんいつも通りの生活リズムの子もいたから、私はほぼ毎日寝ていない。

子どものいのちの危機に向き合った親は、自分の欲望の底と、希望の果てる先を知っている。

望んで大丈夫なことと難しい事を見極められるようになる。気軽に口にしていいことを選べるようになる。言ってはいけないことをしっかり飲み込めるようになる。

誕生日の奇跡

年が明けて早々、我が家の末っ子が18歳の誕生日を迎えた。「おめでとうー!!」と祝いながら、私は私を密かに褒める。

私は3人の子をなんやかんや、18歳の成人まで守り抜いた。やった!3人とも生きている!よくやった!がんばったね!

ハタチから18歳へ成人年齢が引き下げられたこととか、昔はあと2年頑張らねば安心できなかったんだなということとか、まだまだ課題は山積みなこととかはさて置き、とにかく、手を離していいとされる年齢まで守り抜いた。

我が家の不登校期間の半分は、新生児期の不眠不休と同じだった。周りが「そろそろ子育て卒業だね」と言い始める頃から再度の新生児期が始まったようなものだった。

子どもは生きていれば、変化する。小さな小さな変化を追いかけて、徐々に徐々に楽になった。「生きていれば」。生きていなかったら?と考えるとぞっとする。

誕生日は奇跡だ。

それでも箱の底に残ったもの

親の欲望の箱も、希望の箱も、底をついてなお残るものがある。パンドラの箱の物語はひとの望みをよく表している。「この子に望むことなどない」と思いながら、それでも残るもの。

「生きていてほしい」という欲望と、「生きるのを楽しんでほしい」という希望。親が、親自身が勝手に望むもの。

だから、やっぱり私は子どもたちに「生きていてくれてありがとう」と思う。

仲間と小さな居場所を開いています

「はらっぱとそらプロジェクト@千葉松戸」という小さな団体を立ち上げて、居場所を運営しています。4月までの予定をお知らせしてみます。

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