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言葉はちょうちょのように飛び回る

私はおしゃべりが下手っぴだった。話始めたのは5歳の頃だし、ちゃんと会話ができるようになったのは小学校2年の頃。


一番古いおしゃべりの記憶

入学したての登校班でぺちゃくちゃと一生懸命おしゃべりをしていた自分を覚えている。誰かに向かってではない、ただただしゃべっていた。後ろにいる兄に、遊び仲間が「お前の妹、いったい何をしゃべっているんだ?」と聞いていたのを覚えている。

こんな私の小さい頃の、言葉に絡んだ記憶はいつだってかなしい。通じない、こう言いたかったんじゃない、違う、そうじゃない、届かない。そんなものばっかり。

いつだって「ちゃんと伝えられた試しがない」かなしい記憶。苦しい記憶。


言葉はちょうちょのように飛び回る

春のキャベツ畑にちょうちょが飛んでいる。白や黄色の羽がひらひらして。ちょうちょはいつだって見ている私の予想通りに飛んだことなんてない。あっちに行くのかと思えばこっちへ。上にいくのかと思えば下へ。急に早く飛んだかと思うとゆっくりに。

子どもの私にとって、言葉はいつだって「ちょうちょ」だった。

おしゃべりは下手っぴ。本は好き

本を読み始めたのは早かった。小学校に入る前に「義経物語」を読んでいた。本の中に漢字はたくさんあって、母は全部にふりがなを振ってくれた。つまりひらがなはちゃんと読めていたということ。

小学校も半ばになって、気づいた頃には我が家で本を読むことは「悪いこと」に認定されるようになっていた。大声で呼ばれても気づかないほど、私は本を読むと周りがさっぱりわからなくなる。毎日毎日本ばかり。おしゃべりは相変わらず下手っぴなのに。

ちょうちょはなかなか捕まらない。やっと捕まえても、虫取り網の中で羽が破けてしまう。飛んでいる時はあんなにきれいなのに、虫取り網の中のちょうちょは後悔と罪悪感そのもの。ごめんなさい、こんなつもりじゃなかったの。ごめんなさい。

私にとっておしゃべりはいつだって虫取り網の中のちょうちょ。そんなつもりじゃなかったの。かなしませるつもりはなかったの。怒らせるつもりはなかったの。そう伝えるつもりじゃなかったの。届かない。

大好きなひとと作文

私は松谷みよ子さんが大好きだった。松谷さんの本が大好きだった。モモちゃんとあかねちゃんのようなお話が書きたい。私も物語を書けるようになりたい。物語作家になりたい。

私の一番古い夢。

作文はいつからか得意だった。選んだ言葉を並べて、眺めて、並べ替えて、書き換えて。ちょうちょのように飛び回る言葉を、そっとそっと捕まえることのできる作文は、忙しいおしゃべりと違って、力任せに振り回す虫取り網とは違って、ちょうちょを傷つけない。

作文は、いくつもいくつも舞い狂うちょうちょを、じっくり眺めて選ぶことができた。急いで捕まえる前に、じっくりじっくり眺めて文脈に見合うか、なじむか、届けることができるかを、ゆっくり考えることができた。

だからきっと、私は作文が得意だったのだ。おしゃべりは下手っぴだけれど。

松谷さんを追いかけて

私は松谷さんになりたかった。思う世界を作り上げられるひとになりたかった。世界は言葉で伝えるもの。言葉を上手に使えるようになりたい。

私はちょうちょを捕まえる練習を始めた。伝えたいことを伝えられる言葉、自分の思いと同じ言葉、相手に伝わることのできる言葉。どのちょうちょが好きか、じっくりじっくり考えた。狙ったちょうちょを傷つけずに捕まえる方法を研究した。何年も何年も。

これっと狙ったちょうちょが片羽もげたり、相手に向かって飛んでくれなかったり、そもそも思ったようなちょうちょでなかったり。私は泣いてばっかりだった。くじけてばかりだった。諦めたかった。

でも松谷さんがいた

モモちゃんの涙がこんなに私を泣かせるのは、あかねちゃんの叫びがこんなに私に突き刺さるのは、松谷さんがちゃんとちょうちょを捕まえたからなんだ。そして、きれいなまんまのちょうちょを、私に見せてくれているからなんだ。

私にだってできるはず。

根拠もなくそう思った私は、今もここにいる。今だって春のキャベツ畑で舞い狂うちょうちょを息をひそめて見つめている。かなしいのは嫌。苦しいのは嫌。届かないのは嫌。

ただ、それだけ。

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