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問題は、「学校に行っていないこと」ではない。

先日、こんなtweetをしました。

言葉足らずだったかなと思うのと、自分でもちょっと掘り下げてみたくて、noteにやって来ました。お付き合いくださると嬉しいです。

<目次>
・イベントお誘いの声で発見したこと
・我が家の問題
・問題は「学校に行っていないこと」ではない
・ありがちみたいなのに、我が家にはない悩み
・「全然大丈夫じゃない」けど「きっと大丈夫」

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◆イベントお誘いの声で発見したこと

「思春期・反抗期をテーマにした講座に参加しませんか?」と知り合いから声をかけられて、「よっしゃ、前から気になっていたし、参加するか!」と決めたものの、ハッとしたことがいくつかありました。

なにより、自分が悩んでいないこと。悩んでいない、というと語弊があるけれど、「我が子が思春期だから」「反抗期だから」ということを理由に悩んでいる、ということがないことに、自分でもちょっとびっくりしたのでした。

さらに驚いたのが、我が家の問題(山積みです)は、不登校であることに関連付けられやすいのに、私自身はまったく「そうは考えていないのだ」という発見でした。

◆我が家の問題

「思春期だから」「反抗期だから」ということでは悩んでいないけれど、我が家には問題が山積みであることは間違いありません。3人の思春期真っ只中の子どもがいる我が家の問題課題はこんな感じです。

・学校に行っていない
・勉強していない
・引きこもり気味
・コミュニケーション力低下
・朝起きられない
・将来を描けない
・覇気がない

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✔学校に行っていない

我が家の不登校生活も6年目。長い子から6年目、5年目、3年目。学校とできる限りの距離を取っての完全不登校です。

✔勉強していない

ホームスクーラーとは名ばかりの、ほぼほぼ勉強していない状態が続いています。通信制高校は2人いるのだけれど、勉強好きだった私から見ると、「全然足りていない」と感じる勉強量なのは確か。

✔引きこもり気味

「3ヶ月家から一歩も出ていない」なんて言うのはざらなのが息子①。他の2人もひとが集まる場には行きたがらないし、出かけたがらないし。一般的には引きこもりの部類なんだろうなあとは思う。

✔コミュニケーション力低下

ひとと会わない生活を6年目ともなれば、対面コミュニケーション、文字コミュニケーションともにダダ落ちの印象。人が怖くなってしまっている感じ。慣れれば大丈夫とは思っても、どこで慣らせばいいかなあと…

✔朝起きられない

我が家で朝から活動するのは、夫くらい。起立性調節障害を抱えている子が2人。昼夜逆転もしょっちゅう。我が家は「生活リズムバラバラ一家」。

✔将来を描けない

「あなたならこんなことができるかもね」と私が言っても、「何言ってるの?ぼくは不登校なんだよ?」と答えが返ってきます。不登校って、そんなに大したことじゃないと思うんだけどなあ。

✔覇気がない

体力問題も大きいかな。身体にエネルギーが満ちないと、元気に夢を描くなんて無理。「どうせ」が多い子どもたちを見守るのはつらい。

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◆問題は「学校に行っていないこと」ではない

我が家の悩みを書き連ねてはみたものの、「じゃあ、学校に行ければこれらは解決するの?」と問いかけると、「それは違う」と思うのです。一番学校と親和性の高い「勉強しない」悩みであっても、「それは違う」と。

学校に行っていても勉強しない子はしないし、学びを楽しいと思うか?は子どもそれぞれ。コミュニケーションについても、教室に居ても自分の殻に引きこもることはできます。

「学校に行っていないからできない・できなくなった」とはまったく考えていない私にとって、我が家の悩みと「不登校(ホームスクール)である」という事実はつながりません。

子どもの心や身体をここまで疲弊させてしまった教育環境、馴染むことができなかった子どもたちそれぞれの特性、学びの楽しさを伝えられていないおとなの不勉強、心理的安全性を構築できていない地域の問題…

問題の本質はこんな感じだと、私は思うのです。問題は決して「学校に行っていないこと」ではないのです。

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◆ありがちみたいなのに、我が家にはない悩み

思春期、反抗期の悩みについても、「我が家は無縁だな」と思います。例えばこんな悩みが多いようですが、

・反抗する、暴言を吐く
・兄弟げんか
・自室に引きこもる
・何を考えているのかわからない
・手伝いをしない
・夫婦時間が増えて気まずい…

我が家の場合を書いてみます。

✔反抗する?暴言を吐く?

「反抗期 いつから」と検索をかけて「えー?ぼくもう反抗期全盛期らしいよ?」と笑い騒ぐ子どもたち。平和。「抱っこさせて」と頼めば、まだちゃんとさせてくれます。

そうは言っても発達段階として問題があるのか?と心配になった私は、少し調べてみました。海外では反抗期がない例も多いらしく、その理由として、「個人の尊重」や「小さい頃からの自主性の尊重」があるようです。

我が家に反抗期が来ないのはこっちの理由だといいな、と思いながら、子どもたちのくだらない話から深刻な悩みまで、一生懸命耳と心を傾けている日々です。

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✔兄弟げんか?

喧嘩しないのです。3人という数の力かもしれませんが、我が家は兄弟喧嘩がほんとうに稀です。意見が一致することも稀ですが、バランスを取るのが上手な子どもたち。助かります。

✔自室に引きこもる?

自室がほぼない我が家。全員リビングに集合するのは、学校に行っていた頃も行かなくなっても変わりません。

✔何を考えているのかわからない?

リビングで、見ているYouTubeもやっているゲームも筒抜けな我が家。心の声もダダ洩れです。なにを感じているのか?何に悩んでいるのか?大体わかります。

✔手伝いをしない?

学校に行っていなくて、不登校でよかった!と思うこと第一位が「家事をやる時間がある」ことです。小学校入学と同時に家事担当を割り振り、定期的に組み替えてきました。

皿洗いもご飯を炊くのも、猫のトイレを掃除するのもお風呂掃除も私は年に数回しか、やったことがありません。

✔夫婦時間が増えて気まずい…?

早くに結婚出産した我が家。子どもたちの独立後を夫と楽しみにしてきました。ふたり時間が増えて、何も問題になりません。

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◆「全然大丈夫じゃない」けど「きっと大丈夫」

我が家の山積みの問題すべてが、「思春期だから」「反抗期だから」「不登校だから」だとは考えられません。また、そう考えた瞬間、「目の前のその子」と向き合うことが困難になるようにも思うのです。

一般論もラベリングもカテゴライズも、時にとても役立つものですが、「目の前のその子」以上にその子に合った対応はないと考えています。その子のことはその子自身が教えてくれるものだと感じています。

私は「その子」を見つめすぎるのかもしれません。「かっかちゃんは楽天的過ぎる」と子どもたちによく言われます。「ぼくたちそんなにいい子じゃないよ」「ぼくたち不登校だよ」と。

それでも、私には彼らは「大丈夫だ」としか思えません。朗らかに笑う彼ら、やさしい言葉を選ぶ彼ら、相手を傷つけないようにと気遣う彼ら、自分の感性で生きている彼ら、言われる前から家事をできる彼ら。

こんな子どもたちの前に「ろくでもない未来」が待っているとは私には思えないのです。これが「過分な期待」や「押し付け」だとも思えない。当たり前に待っているのは、「大丈夫な未来」としか思えません。

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「根拠のない大丈夫」こそ、不登校やホームスクール、思春期や反抗期を乗り切るために必要不可欠なものだと、私は信じています。



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