【愛着】安全基地がないときどうするか?南の島で母なるものを体験することになった私の場合
京都から遥か遠い南の島、石垣にふらっと旅行に来たのが十八年前のことです。
手付かずの大自然のなかに降り立ち、夜には満天の星空を仰ぎました。
島の自然にこころと身体を遊ばせているうちに神経系がふわ〜っと緩んで、時間の流れが止まったような感覚になりました。
そして身体の緊張が緩んでリラックス、なんとも言えない幸福感に包まれました。
こんな感覚は生まれて初めてでした。他の土地では感じたことがありませんでした。
私はこの感覚を感じたくて三回石垣島に通った一年後、移住を決行しました。
その頃の私は、身体的にも安定感を欠き、足元がふらついて地面にグラウンディングしてないような感じがしていましたし、生活面でも不安定な環境に身を置いていました。
人生がハードモードで安心とか安定とかと無縁で、すでに破綻している結婚にしがみつくのを諦めて、一人で生きる決心をしたところでした。
まだ京都に居たときは身体もこころも不安定な状態で、湧き上がる不安感とヒリヒリするような飢餓感に苛まれていましたが、それが愛着障害からくる症状とは知りませんでした。
そのころ、十八年前は愛着障害という概念が無かったか、知られる前だったので、その苦しみを上手く言語化することが出来なかったのです。
石垣島で安らいで生きられるようになって気がついたことがありました。私の人生に決定的に欠けていたものがあって、それは安心して生きる、ということでした。
私のこころは安定感を求めて石垣島を選んだのだと、その時あらためて気づきました。そして自分の選択眼の確かさに我ながら驚きました。
島に住んでから、ずっと安心して生きられる盤石の幸せが身体とこころに注ぎ込まれました。
それは結婚しているから幸せ、家があるから幸せ、誰か居るから幸せ、何かを持っているから幸せ、という目に見える安心安定ではなくて、何も無くても既に幸せ、という悟りの境地でした。
大自然の懐にはいると、何処から来て、これまで何をしてきたのかという現世的な価値や評価の基準とはいっさい無縁な自由の境地になり、とても救われました。
というのも愛着障害だった私は、現世的な幸せを回避する行動を無意識のうちにやってしまっていて、人間関係や仕事を積み上げては崩しを繰り返していました。
つまり結婚、離婚、転職を繰り返していて、そのことを少なからず世間や親兄弟に対して負い目に感じていて、何で私はこうなんだろうと自分を責めていました。
その苦しみを隠すために表面では一端の自由人を気取って虚勢を張るところがありました。
しかし島でのゆったりした時間は、私を世俗的な価値から完全に解き放ち、母親の胎内に入ったような絶対的な安らぎをもたらしてくれました。それはまるで母なるものとの一体化でした。
私は安心感が欲しかったのでした。そして安心感は移住先の南の島で手に入ったのです。
移住を決意したのは直感からでした。
それまでの京都での生活は内面的には苦しいものでしたが、外交的には悪くはなかったかもしれません。最初の夫と別れたあと再婚話が持ち上がっていて、上手く行けば幸せになっていたかも知れませんが、その相手よりも、あえて移住を選んだのです。
行動に移した動機は、母親から貰えなかった安心感を自分のものにするための衝動的でがむしゃらな無意識からの思いからでした。
移住を決行するまでの一連の流れは、言い換えればそれは私の無意識(ハイヤーセルフ)の導きだったのかなと今は思います。
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