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楽園瞑想~母なるものを求めて(2)
石垣島にふらっと旅行に来た私は、知り合った地元のオバアと二人暮らしを始めた。
✱
オバアの家では、都会人の私には慣れないことが起きる。
家の概念が違うのだ。そして、人と人との距離も違う。
私にとっては、家は外と内を区切るパーソナルなスペースだけど、オバアはそうではないらしい。オバアの家は、いつも外に向ってオープンだ。玄関も勝手口もロックがあっても無いのと同じで、いつも誰かが出入りしている。
例えば、私が遅い朝食をとるために起き出て居間に行くと、テーブル席には知らないおばさんが座っている。どうやらオバアの近所の友達らしい。シャイな私は、気まずさにどぎまぎしながら、おばさんの隣に腰をおろす。
おばさんは突然、襖を開けて入ってきた初対面の私に驚くでもなく、自然に包み込むように言う。どこのネーネ?親しみのこもった声。私は緊張がすっとほどけて、安堵する。
この親密感。こんな空気感は初めてだ。
それから私は、オバアとおばさんのスペースにすんなり溶け込んで、三人の時間はゆるやかに過ぎていく。八重山の時間はほんとうにゆるやかに流れ、一日が長く感じられる。
オバアは大家族を率いている。子供が五人(息子三人、娘二人)、孫が十五人、曾孫が三人いる。オバアは一人暮らしだが、家族はみんな近所に住んでいる。亡くなった旦那さんと長男は仏間の遺影で面影が偲ばれる。
そんな大家族の長老であるオバアは、頼りにされ慕われている。ある時には夫婦喧嘩の仲裁役を任される。市民会館で舞踊公演があった時には、子供たちに招待されて出かけていく。
そんなわけで、家には常に誰かいる。海人(ウミンチュウ)の息子が魚を持ってくる。娘や息子の嫁が手料理を作って差し入れにくる。娘の婿がオバアのご機嫌を伺いにくる。掃除当番の姪が来て、家中をきれいにしていく。
この家族や親族のほかにも、友達や近所の人がやって来る。私が一人で留守番をしている時にも誰かが訪ねてくる。
オバアが上等な男だったという旦那さんが生きてい時は、家にはもっと沢山の人が集まって来ていたという。
そもそも私だって、見知らぬ旅行者だ。なのに、彼らは、私が家に居ても驚くでもない。どこから来たの、何でここに居るの?とも聞かない。私の存在を許容しているらしいし、みんなが私に親切に話しかけてくる。
こんなふうに知らない人から扱われたのは、初めてだ。私は、安心してその場に溶け込んでいる自分を発見する。そして、余分な力がふーっと抜けていくのを感じる。
ふと気づく。声高に主張し合わなくても、楽に繋がっていられる関係。たくさん共有しているものがある。自分が一人じゃないのがわかる。
都会にいた時はそうではなかった。私たちは切り離された孤独な存在だと思っていた。あの感覚は何だったんだろう。
思い出す。寂しさを癒すために、新しい情報を追い求め、モノで埋めようとしていた。そして、人よりたくさん所有していることを誇示しなければ気が済まなかった。けれど、寂しさは埋まらない。
そんなことを振り返りながら、私はオバアの幸せそうな生活を見ている。そして、所有すればするほど人は窮屈になるんじゃないかと、漠然と思いはじめる。
✱
オバアと出会ったいきさつは、こうだ。
三日前に雪が降った春分の日に、京都から石垣に来た。コートを脱ぎ、薄着になって飛行機のタラップを降りた。暖かい風が皮膚を撫で、髪を揺らした。片道キップだった。
島一周、離島めぐり。毎日毎日、海や太陽と遊んでいた。そんなある夜、ふと立ち寄った美崎町の酒場。そこで会った人に話してみる。
南風と島酒が、心を開かせ、口を軽くする。この島に住みたいんです。その人は、思いがけない返事をする。心当たりはいくつかあるんだけど、僕の姉さんの家が一番いいだろう。明日、一緒に家を見に行こう、と言う。
翌日、私は知り合ったばかりのその人を訪ねて、泊まっていたゲストハウスの自転車を走らせた。その人は二世帯住宅の二階に住んでいた。下の階に住んでいる長男を紹介されて、挨拶を済ませ、それから、その人と自転車を二人乗りしてオバアの家に着いた。
家の中は誰もいない。気に入った?とその人は聞く。家の主が不在だから、と私は困惑して言う。大丈夫さ、僕から話しておくから。その人は悠然と言う。
話はすぐに決まった。後日、姉さんいつ来てもいいって言ってるよ、との電話。私はスーツケース一つ持って、オバアの家に転がり込んだ。
(続く)