【メンタル】お久しぶり、最近は
しばらくnoteを離れていました。
一年あまり文章を書いていなかったので、書きにくいですけど、まいいか。
気にしないことにします。
前回note上で自己探求の旅をしていました。
一昨年から昨年にかけて約一年半ぐらいのことです。
その時期はうつ病により臥せっていた時と重なっていました。
私はこの長い空白期間を自分を見つめる時間に充てることにしました。
書くことによって治癒力が発動するものです。
うつ病の裏にはあるテーマが潜んでいたのですが、書くことによって、自分を癒やし慰め、自己理解が深まり、そのテーマがいっそう浮き彫りになりました。
そして書き続けることによってうつ病が治って行ったのです。
◇
私は幼少期からの空虚感、孤独感を癒やすために人生の半ばで南の島石垣に移住をしました。
石垣移住は成功したかに見えました。
しかしその石垣で最も信頼し尊敬した人から暴力を受けるという最悪なかたちでの裏切りを経験しました。
そしてうつ病になり社会活動がまったく出来なくなりましたが、それをきっかけに自分と徹底的に向き合うことにしました。
◇
私は母親との間に長い長い確執がありました。たくさんの問題を抱えていました。
私は幼少期から母に拒絶、虐待されても母を求めることを諦められませんでした。
虐待された人の常として、自分を虐待した相手に執着するという愚かしくもいじらしい間違いを犯してしまうものですが、私も例外ではありませんでした。
私を虐待した母に激しく執着することを止めることが出来ませんでした。
私のほんとうの願い、それは
「お母さんに愛されたい」
というものでした。
人を愛する能力をもたない母に愛されることは有り得ないことと分かっていても、諦めることが出来ませんでした。
お母さんに愛されなければ私は人生を始めることが出来ないほど母の愛を渇望していました。
いつか改心してくれるのではないかと儚い期待にすがっていましたが、その時は病は一向に治りませんでした。
ところがある時ふと現状をそのまま受け入れる気になったのです。
私の人生にお母さんの愛は無かったし、これからも無いのだという事を許し受け入れたのです。
そこから病は治り始めました。
閉め切った部屋のカーテンの外側が眩しく見えました。
外に出たい、外を歩きたい、と思いました。
あの親ではいやだ、この人生ではいやだ、と我が身の不遇を呪っていた時は苦しみに満ちていましたが、あの親でいい、この人生でいい、と不幸を受け入れたときから不幸は不幸ではなくなりました。
私は自分の人生と和解したのでしょうか。
すべてはありのままでよかったのです。
これは書くことによって辿り着いた境地ですが、病んでいる時はなかなかそう思えませんでした。
うつ病の人は、ありのままでいい、と言われたら大いに抵抗すると思います、理想高き人たちですから。
親を諦めること、親を放置しておけること、そこから自分の人生が始まるのです。
伝わるように書けたかあまり自信はありませんが、今日のところはこのへんで。
件の私を傷つけた人は、私が自分と向き合うきっかけを作るために悪役を買って出てくれたわけで、いまは感謝しています。
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