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こころが触れ合っていれば
これまでの関係の作り方は、父と母との関係をそのままなぞるモノだったと改めて振り返って思います。
父に怒られないように母の期待に沿うように生きて、人間関係はすべて他人中心に逆らうこと無く処理してきたから、自分というものは何処にもありませんでした。
自分を確立することが出来ないまま社会人になって、それから私はどうなったのかというと、やはり社会に適応できずに苦労しました。
表向きは仕事をしたり結婚したりして社会人のように振る舞いながら人生の前半期まではなんとか遣り繰りしましたが、すべてが壊れて自分と向き合わざるを得なくなりました。
この頃に本格的な心理療法と出会いました。
子供時代の傷ついて倒れている自分に寄り添い、その声を大人の私が聞いてあげるという作業をはじめました。その時に感じないようにしていた感情の蓋を開けるという痛みの伴う作業で、それは古い家屋の開かずの扉を開けるような、気の遠くなるような時間を要するものでした。
感じないようにした感情は記憶として定着せずに、無意識の永久凍土のなかに仕舞われます。
私の子供の時の記憶は虐待によりほとんどが失われていました。
忘れていた空白の過去を訪ねる旅を始めて二十年が経ち、自己理解がすすみました。俯瞰的に見ることが出来るようになって、現在地点とか全体のなかの自分が解るようになったのが救いです。
なぜ私は上手く行かなかったのでしょうか?
人は親に愛されてはじめて子供時代を卒業できるのです。
ところが私は愛されること無く、こころは幼児のときに成長を止めたまま、姿と社会的役割は大人の女性として生きてきたから無理があったのです。辛いのに、ほんとうによく頑張ったと思います。
トラウマがあると真実が見えなくなることも解りました。
いまでこそ自分や周りの人を客観視できるようになりましたが、若いときは認知のしかたがずいぶん歪んでいました。世界や人間を見る目にフィルターがかかっていたんです。
青年期の私は仏教思想にあるように「生きることは苦」なんだ、とか悩むことが哲学的で高尚なんだと悲観的にすべてを捉えていて、人類はみな苦悩を抱えているかのように勘違いしていました。私のその考え方はトラウマからくる厭世思想なんだということに全く気づいていませんでした。
トラウマがあるとどうしてもトラウマのある人と関わってしまうから、その考えがいっそう強化されて、世界の真の姿が見えなくなってしまうのです。
世界はそんなに悪い所ではないし、人は優しいものだ、と気づくまでに長い時間を要しました。
自分は悲観的な世界に生きているグループの中にいて、そのほかの大多数の人は楽観的な世界で楽しく生きているということに、やっと気づきました。
それまでは世界は危険なところで人は何をしてくるか分からない、と虐待された人の世界観で生きていましたから。
父と母のことも解るようになり、自分と同じ傷を負った人たちだということが理解できれば、許せるようになる日が来るのかもしれません。
後天的に入れられた不要なものが剥がれ落ちて、すっきりしてきたみたいです。
父と母との関係はいま思えば空疎だったと思います。こころが触れ合ってなかったから。
父と母とこころが触れ合ってなかったですから、私は誰とも触れ合えなかったのですねえ。自分のこころとも触れ合ってなかったのです。その時ほんとうの私は寂しかったのだと思います。
こころが触れ合っていれば、安らいでいたんでしょうね。
さいきんはそんな事を思います。