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絶縁していた母の近況を聞いて

母を最後に見たのは十五年ぐらい前になります。

実家のほうに近寄らなくなってからは三十年ぐらいになります。父の葬式で実家に帰ったのが最後でした。

父は発達障害、母は精神疾患もちで暴力が絶えない家庭でしたから、私は自分の身の安全のために両親から距離をとる必要があって、十九歳のとき大学進学を機に実家を離れました。

父が他界したあとも母は実家に一人で暮らし、母の近況は実家の近くに住む姉から聞いていました。母と疎遠にしていた私は、姉から聞くはなしで母の生存を確認するという感じでした。

姉から聞く母の近況は、聞くに絶えないような愚痴ばかりで、母は姉とも上手くいっていないようだと感じました。

去年の正月にすごく久しぶりに、何年ぶりか分からないぐらい久しぶりに、姉に連絡をとりました。いつもは母の愚痴を言う姉がその時はまったく母の話をしなかったので、珍しいこともあるものだと訝しく思いました。

その後しばらく経ってから、もしかして母は亡くなっているのではないか?それも有り得ると思いました。

いやいや、死んだら死んだって言うはず、いやもしかしたら母が葬式には私を呼ぶな、と姉に遺言して死んだのではないか?などの疑念が頭の中を渦巻きました。

私と母の間にはそれほど深い確執がありました。

私がまだ十代のころに、母は長男である弟に家を継がせるために私が邪魔だった、という話を父の妹や母の兄嫁から聞いていて、私はひどく傷つくと同時に母に対して敵意と恐怖を感じました。

母は弟を溺愛して、私がこの家の中で力を持たないように、私のあらゆる可能性を封じ込めようと躍起になっていました。

母が怖くなった私は実家に近寄らなくなりましたが、母は私が出て行ってくれてさっぱりしたのか、どう思っているのか知りません。


この一年の間は、もしも母が亡くなっているとして、母の訃報を私に知らせなかったのは、母が私を家に入れないように遺言して死んだのではないか、と妄想が膨らんでいましたが、母の消息を確認する勇気がありませんでした。

今年になってから、やっと意を決して一週間前ですが姉に連絡をとりました。

「高齢になったので施設にお世話になっています。元気です。要介護4、認知症です。私の事は分かります」

母の近況を聞いて、拍子抜けしたというか、何故か緊張が緩んでホッとするものが有りました。

私は何にホッとしているのだろうと、自分に聞いてみました。生きているとか死んでいるとかじゃなくて、母の頭の中から昔の記憶が消えて無くなっていることが、私を安堵させるのです。

母の頭の中に私への怨念が生き続けているとしたら、怖いです。

私の人生にずっと強大な負の影響力を持ち続けた母。

私に自由に生きることを許さなかった。そのような私を見たくなかった。自由な私を見ることが苦しみでしかなかった母。

その母が年老いて勢力が弱まり昔の記憶を失っているとは。

いま何かが終わったんだな、と感慨深く、全てのカードが同じ方向を向いて、ストッパーがとれて前に進み始めたのを感じています。



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