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人の役に立てることが「生きがい」。中間報告・村上眞奈美さんのこと(前編)

今、取材を進めているKindle出版の中間報告をここにアップしておきます。
まだ道半ばですが、やっぱり取材は楽しい!
どう切り取ればいいのか、コアメッセージは?など、まだまだ考えることはたくさんあります。ですが、取材途中の「今」でしか書けないものもあるかな、とも思っています。


前編・人の役に立てることが「生きがい」


人の役に立つ生き方がしたい

「談話室村上」の女将・村上眞奈美さんとの出会ったときの鮮烈な印象。それは、ほがらかな笑顔と、豊かな柑橘系の木々に囲まれた山から見下ろす、海の美しさがセットになったものだった。

オンラインでの打ち合わせ後、東京で出会ったのも雪の日だったし、島に会いに行ったのも2月の終わり。まだ寒さで震えていたはずなのに、眞奈美さんのことを思い出すときは、いつもあたたかく穏やかで、母のやさしさに包まれるような感覚になる。

「いつかは、本を書きたいと思ってきたけれど、
よく息子からも『何言ってるかわからない』と言われてしまう。
だから、こうやって喋ったことが本になるってこんなにね、
楽なことはないよ。
ありえんから。だから出会えることも全てがね、
本出していいんですね、ありがとうございます、としか思えない。」

広島県・生口島(いくちじま)は、しまなみ海道に浮かぶ島のひとつ。
そこで、柑橘系の農家の4代目として、宿泊業を営んでいるのが、眞奈美さん。還暦を過ぎているが、その動きは、実にパワフルだ。

「今、すごく充実してますね」

誰かの役に立ちたい欲求が強い。そのため、さまざまな学びと実践を続けてきた。地域再生マネージャーとして愛媛大学農学部に通学したのは50歳。そんな、自分を高めていける環境が、とても楽しいという。

「世の中から、『いなくてもいいんじゃないの』っていうのはとても寂しくて」

熟年向けの本といえば、年金生活をいかに節約してやり過ごすか、そんなライフハックばかりが巷には目立つ。そんななか、

「自分はもう幸せ、その余白で人の役に立ちたい。それが生きがい」

自分の個性を発揮しつつ、それが人のためにもなる「自己中心的利他」な生き方。そんな眞奈美さんの人生哲学は、生きづらさを感じる多くの人の心を照らすことができる。そう確信したからこそ、私は出版のサポートを引き受けた。

みかん農園と民泊業の二刀流

眞奈美さんのつくる「まなみかん」は、宅配で顧客に直接販売。日本全国にファンがいる。みかんジュースは、甘味と酸味が絶妙なバランスが絶品で、つい、一気飲みしてしまい、もっと欲しくなってしまう。

村上農園「まなみかん」ジュース


減農薬や、レモンの商品開発にも取り組み、付加価値をつけて販売。眞奈美さんの「自分の農業」を展開すべく、気づけば農業経営にどっぷりとはまっていった。

収穫のない春夏は、民泊「談話室村上」を営業。
この一風変わった名前の宿は、1日1組限定。ていねいにおもてなしをしたいからだという。

宿泊に訪れるのは「まなみかん」のファンだけでなく、最近は海外からの来客もあるという。しまなみ海道が、世界有数のサイクリングコースとして知られるようになったことも影響しているのだろう。

のしかかる後継者問題

とはいえ、ここまでの道のりは、平坦なものでは、なかった。

今でこそ、農業が生きがいと言えるようになったが、もともと、田舎暮らしも農家も大嫌い。広島県呉市で二人の息子を育てる、ごく普通の専業主婦だったという。

息子が小学校に上がるタイミングでパート勤務を始めた。社会との接点がもてるのが嬉しかった。

50歳になる頃、息子たちも家庭を築くようになり、「子育て解放」宣言をした。
ところが、そんなタイミングで、次々と課題が押し寄せてきたという。

父の腰痛。広大な畑の後継者問題。
加えて、夫が島には住めないと言い出した。かといって夫は定年退職後の就業プランもなく、ぶらぶらしており、どうにも頼りない。一度は離婚を決意。書類に判を押した。

今では、こうした課題を乗り越え、よりを戻した夫も改心しつつある。
大嫌いだった農業が生きがいに変わり、後継者問題も光明が見えてきた。

そんな人生のピンチを乗り越えられた胆力は、どこで身につけたものだったのだろうか。眞奈美さんの原点について、聞いてみた。

後編につづく)



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