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生活をサボるな。とインド人に叱られて二年経ってから分かったこと

2024.11.10 追記
5年の時を超えて、本作がnote創作大賞2024に入選しました。本当にありがとうございます!そこで、前日談と後日談を書きました。
5年後に創作大賞に入選するnoteは、赤の他人の実家で生まれた
このnoteの読者の皆さんが読んでくれたらとても嬉しいです。

「生活」を真面目にやってみたら、一日八時間も働く余裕がなかった。

という旨をツイートしたら、ものすごい反響があった。

たくさんの人が解釈してくださり、思いもよらない反応も貰ったので、なんでこういうツイートをしたのか、少し噛み砕いて書いてみようと思う。

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大前提として、私は超都会っ子である。親戚も少なく、田舎に触れる機会もほとんどなかった。母が病気を患っていたので小さい頃からコンビニ弁当や牛丼にお世話になっていた。

そんな育ちの私が「生活」について少し意識するようになったきっかけは、二年前、インドで一人旅をしていた時に出会ったこの一言だった。

君は仕事はしているかもしれない。
でも、「生活」をしてないよね。

「生活をサボってんじゃないよ!」と、宿屋のおじさんに説教されたのだ。

実は、母からも全く同じことでよく怒られていた。

「かよこの人生には生活がない。ちゃんと生活しなさい。」

当時の私の「生活」はこんな感じだ。

朝ごはんは食べない。いつもギリギリに起きるので時間がない。お昼も夜も、外食かコンビニ。忙しい時はお昼をスキップすることもあった。そしてほぼ終電で帰ってきて、バタリと寝る。その繰り返し。

土日も出社するか、IT系のイベントに顔を出すか、もしくは泥のように眠るか。起きたら日が暮れていることもあった。

そんな暮らしぶりだったが、自分のことを「社畜」とは思っていなかった。仕事は好きだったし、何より会社のメンバーが好きな人たちばかりで、一緒に働くのが楽しかったのだ。毎日が充実していた。

だから、「生活をしろ、だなんて」と思っていた。

世の中、仕事の愚痴しか言わない人だってたくさんいる中で、私は頑張って働いているんだから、むしろ良いことじゃない?

洗濯も掃除も炊事も優先度の低いこと。それよりも仕事や勉強、そして人に会うことの方が有意義だ。

面倒なことは全部外注したらいい。

渋谷のITベンチャーでそんな働き方を三年ほど続けた。その会社を卒業し、二度目の転職の間にちょっと気持ちをリフレッシュしたいと思って足を運んだのが、インドだった。

カヨコ、よく聞きなさい。
外食はゴミだ。

北インド・リシケシ。ビートルズやスティーブ・ジョブズも瞑想をしにいったという、瞑想とヨガの聖地だ。

そこでお世話になったゲストハウスのおじさんは、なぜか東京での私の暮らしぶりを見透かして、叱った。

「君は仕事はしているかもしれない。でも、『生活』をしてないね。」

さらに「カヨコ。よく聞きなさい、外食はゴミだ。」と言う。

外食産業に失礼だ!と、私は抗議したが、おじさんはこう続けた。

「ちゃんと自分で作った、できたてのご飯を食べなさい。」

「それが無理なら誰かが自分を思って作ってくれたものを食べること。」

「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」

「外食はゴミ」と言ってのける神経には閉口したが、それでも彼の言いたかった事は心の片隅にねばりと残った。

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帰国後、インドで言われたことがひっかかっていたものの、結局相変わらずの「生活」を送った。新しい職について年収もかなりアップした。

しかし、思ったように成果を出せず、心も体も壊してしまい一年弱で退職してしまった。

それから「本当の豊かさとは何だろう」ということをより真剣に考えるようになり、昔からの夢だった世界一周の旅へ出ることに決めた。

自分なりのウェルビーイングを追求する旅だ。

世界一周の途中でたどり着いた
日本の田舎での生活

「東京以外の暮らし」を見たい。

観光名所をガンガン回るのであれば、できるだけ多くの国へ行った方がいいのだろうが、私はもっとゆっくりやってみたかった。

観光がメインにない、ライフスタイルの試着のような旅。

イスラエルまで行ったところで諸事情あって一時帰国し、ついでだから「日本の田舎暮らし」を試してみようということで、縁あって今は鹿児島県の離島でこれを書いている。

ここで私はやっと「生活」を真面目に試してみた。つまり「一日三食を自分で作り、洗濯をして、掃除をして、犬の散歩をして、ちょっと運動して、読書して、昼寝して、早寝早起きする」である。

雑務としてではなく、生活を目的として日々を送るのは、ほとんど初めてだった。

やってみると一日が本当にあっという間で、何気ないことが幸せで、生きるってこんなにシンプルなことだったのかと、アホみたいに感動してしまった。

生活って、こんなにも素晴らしく大変なことだったんだ。

そんなに大変なことを、私はスキップして、外注して、おざなりに他人任せに済ませていたのだと痛感した。

ちゃんと自分の時間を生きたい

自分の時間を生きるというのは「外注をやめよう。全部自分で丁寧にやろう」という意味ではない。

人には、寝食を忘れて何かに取り組んだり、情熱をもって仕事をしたい時期もあれば、ゆっくり大切な人との時間を優先したい時期も、どっちもある。

ただ、どんな生き方を選ぶにせよ、自分の時間の使い方には自覚的でいたいということだ。

自分は何をしたいのか、どうありたいのか?

この問いに答えられないと、「時間泥棒」に遭ってしまう。

そして、いつでも、見えないたくさんの人の支えと仕組みがあって生活が成り立っていることを忘れないでいたい。

外食ができるのも、もっといえば自分で農作しなくともスーパーへ行けば食材が買えるのも、全然当たり前のことではなかった。

自然と経済のめぐりに感謝し誰のために何を生産して、どんな消費をして、誰に支えてもらっているのか」ちゃんと自覚しておきたい。

「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」

おじさんが言っていたことの意味が、やっと分かってきたような気がする。

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