人生で「何をするか」より大切にしていること
私は9歳で教師になると決めた。突然ピピっときたのです。私は教える人になる、って。
当時は、絵を描くのが好きだったし、毎週通っている絵画教室の先生がいいなーーーと思っていたから「絵の先生になりたい」と思っていた。
中学生くらいになって、絵の先生というのは違う・・・と感じ始めた。絵が上手だと褒められたりするけれど、手先が器用でうまく描けちゃうだけ。才能じゃない。・・・そう気づいた。
ちなみに、今、算数・数学教師だけど、算数は特に得意じゃなかった。得意な教科は
家庭科
美術(才能はないけど先生の気に入る作品は作れる)
中学時代、国語も数学も英語も、そこそこできたけど得意と言っていいのか?? いや言えない。と自分では思う。
国語は、勉強しなくてもできたから、数学より得意だったのかもしれない。
英語は、高校で撃沈したけど、中学では普通にできた。でも、テストで点はとれたけど、英語っぽく発音すること自体が恥ずかしくて、苦手意識のほうが強い。
先生になりたい、というのは決まっていて、じゃあ、何の先生になるのか?・・・となったとき、私は得意科目では決めなかった。
家庭科の先生とか、美術の先生とか・・・、そういう人になりたいかと自分に問うと心が猛反発した。家庭的な感じとか、美術の個性的な感じとか、なんか、そういうの、私の憧れる生き方じゃないなあ・・・と。
国語の先生の、文学的な知性も違う気がした。
英語の先生はなんだか私にはキラキラしすぎてる気がして、私なんてもっと地味よね・・・なんて思った。だいたい、英語を格好よく発音することだけで恥ずかしいと思う私だから。苦笑
どれも、わたしの「こう在りたい」「こう生きたい」というイメージと違っていた。
ピンときたのが「数学の先生」だった。いかにも女性の仕事って感じじゃないこと、マニアックな感じ、地味なところ、アカデミックなところ、ちょっと尖ってる感じ?、我が道行ってる感じ?・・・それが、「かっこいい」と思った。
英語ができる人より、数学ができる人のほうが、私の目線ではカッコよく見えた。
こういうのに惹かれるのが私。子どものころから、ちょっと人と外れてんだと思う。苦笑
だから、数学が得意でも何でもないけど、数学の先生っていう在り方に憧れて「数学の先生になる」と決めたのが中学生のころ。実際、数学は楽しくて好きだったし。
それ以来、そこに揺らぎはない。
数学が得意でも何でもないというところも、今も変わらない。数学の先生という職業が好きというより、数学の先生っぽさというかその在り方が好き。笑
「どう在りたいか」は揺らぎのない芯。
でも、「何をするか」は変わり続けている。
先生になるためには社会経験も必要だと思って、大学新卒で一般企業に就職したし。
高校数学教師にもなったけど、自分のやりかたで教えたかったから学習塾を開いた。経営者にもなりたかったし。
シュタイナー教師にもなった。
補習校などの文科省カリキュラムの学校でシュタイナーアプローチで教えたし。
オンラインでも教えた。
そして今は、シュタイナー算数を教える先生たちを育てている。
「何をするか」は時として変わる。時代も社会も変わるし、自分も変わり続けるから。自分が進歩すれば、やることだって次の段階にいく。
でも「どう在りたいか」は、子どもの頃に思い描いたことと変わっていない。むしろ、子どもの頃に思い描いていたことこそ、私の本当の使命を言い当てているんじゃないかと思う。だからこそ、子どものころの心の声を大切にしたい。
「何をやるか」では人の幸せは決められない。
数学教師をしていても、幸せにも不幸にもなれる。
でも、「どう在りたいか」を大切にしていたら、幸せでいられる。
私はそう思って、「どう在りたいか」を自分の芯に生きるのです。