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「二兎を追うものは一兎をも得ず」って大嫌い!

私が以前よく言っていたのが、
「二兎を追うものは一兎をも得ず」って大嫌い!
ということ。私は、二兎が欲しかったら、二兎を追う。両方失うことになっても、欲しい物を追いかけもせずに最初から諦めるなんてまっぴらごめん。そんなことより、二兎を追いかけて、ダメだったほうがずっといい!

やりたいことはたくさんあります。知りたいことも山ほどあります。それを全部やる!と思っていました。そして本気になったらできないことなんて何もないとも思っていました。自分で限界をつくらなければ、限界はない。

そう思っていた自分を、今の私は、「ああ、若かったなー」と思います。今の自分が年取ったというよりは、あの頃より賢くなったとも思います。思い込みでしょうか。笑


本当に欲しい一兎を厳選する

歳を重ね、一生の半分をすぎたあたりから変わってきました。二兎を追いかけるにも、今世での残りの時間が限られているということが現実的に肌に感じられるようになってきたころです。

例えば、ドイツ語。私は日英バイリンガルです。でも、ヨーロッパでは、知的な仕事をする人間であるならば最低3カ国語は知っていないと恥ずかしい。そして、もちろん、シュタイナーをドイツ語で理解できたら!!!・・・という願望は根強い。

不可能だとは思っていません。本気でやりたいと思ったら限界はないとずっと信じています。

ただ、今世の時間が限られている人生中盤の今、枝葉にある願望の達成に力を使うより、本当に達成したい根幹のことにフォーカスして成就させていきたい。広く浅くはもういい。狭く深く、とことん、やりたいことに力を使いたい。優先順位の高い物を徹底的にやりたい。ものごとの広さにも限界はないけれど、深さにも限界はない。なら深める方向へ突き進みたい。

だから、ドイツ語は、一旦、諦めました。老後の楽しみにまた勉強するのもいいなーと思うけど、ドイツ語でシュタイナーを読むとか、ドイツ語でアントロのレクチャーを理解するとか、そんな野望は、とりあえず今は手放しました。今はドイツ語を習っている時間がもったいない。ドイツ語を習うのに時間を使うなら、その分日本語や英語でシュタイナーを読みたい。自身の仕事に時間を使いたい。


なんのために私は生まれてきたのか

みなさんは「自分のやりたいこと」ってはっきりしているでしょうか。

なんのためにこの世に生まれてきたのか。この人生の目的はなんなのか。この人生での使命はなんなのか。

私は、9才で教師になると決めました。教育分野に力を使うことには迷いはありません。それでも、教育の分野で、教師をやっていくのか、それとも別の形で教育に貢献していくのか・・・? 自分はどのように自分の力をつかってこの世の中に貢献していくのか。私は何をやっていくのか。・・・そんなことがはっきり見えてきたのは35才を過ぎてからでした。

二兎のなかから一兎を選ぶことができるようになったのも、自分の使命のようなものがはっきり見えてきたからなのでしょう。単に興味のあることや、「できればいいなー」という憧れ程度のことや、「やってみたいなー」という好奇心だけのものに対して、私の人生の使命が、はっきり差別化できてきた。

追いかけたい兎は何羽もいるけれど、本命の、全身全霊で追い求めたい兎がいる。他の兎も手に入れられたら嬉しいけど、追いかけてる時間がもったいない。その分、本命に力を注ぎまくりたい。だから本命以外は手放す。

そこまで思える本命に出会えたことはなんと幸せなこと。





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かよ|ロンドン在住、楽しく人生をクリエイトするシュタイナー教師&経営者 石川華代
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