子ども時代の私ー「できない」ブロック
一言で言うと・・・
子どもの頃の私を一言で表すとしたら「おとなしい」ではないかと思います。おとなしいを通り越して、影が薄くて、いるかいないかわからないような子。
1年間一度も話さずに終わってしまうクラスメートがほとんどだった。授業中も発言は自分からは絶対にしない。当てられて初めて答える。
何かを言うにしても、笑われないように、すごく気にしていました。だから、笑われた時のことはいまだに覚えていて、思い出すと泣きそうです。苦笑
笑われない、失敗しない、影口いわれない、恥ずかしいようなことはしない・・・そのために全力使って影を潜めていたのかもしれません。
自分は価値がない
もうひとつ、すごく重い影を落としているのが「自分は価値がない」という思い込み。自分のことダメだとは思っていないけれど、ずば抜けてできるものもなく、人から認められることもなく、自分ってほどほど・・・くらいに思っていました。
親の影響は大きいです。公務員の父とお役所でパートで働く母。分不相応な望みもなく、遊びにはほとんど時間もお金も使わず、日々をコツコツ真面目に生きていくことになんの疑問も持たなかった両親。
そうか、人並みで、普通に、真面目に生きていくのが一番。私には、特別な能力もないんだから、大きな夢なんて持っちゃいけないんだ。・・・そう思っていました。
小学校くらいからずっとそう思い込んでました。
小学生のころ「お医者さんはどうかな?」って私が言うと、母が「大学6年間もいかなきゃいけないのよ。お金かかるのよ」「すごく難しいのよ」って。そうか、うちはそんなお金ないんだ。私はお医者さんになるほど頭よくないんだ。私には無理なんだ。・・・そう思い込み。
高校だって絶対合格圏内の高校しか受けなかった。学校の三者懇談で母のほうが臆せずに聞いてましたね。「もう一つ上は無理ですか?」って。先生は「大丈夫ですよ」って言ってくれたのに、「私には無理」って自分で決めつけた。
大学だって無難に地方国立大学。「お金がない」から、予備校も行かなかった。夏期講習なども一切行かず。「行かせて欲しい」とも言わなかった。「お金がない」から、滑り止めの私立大学も受けず、国立一本で、なんとか滑り込ませてくれた大学に入った感じ。
もし、「お金がかかるのよ」「難しいのよ」っていう言葉がブロックになっていなかったら、大学ももっと違うところを志望していたと思います。「東京の大学にいきたい!」とか「私立にいきたい!」とか。そしていきたい大学へ入るための勉強をするのに「予備校に行かせて」って言えてたと思うのです。
教師になると9才で決めたけれど、地道に堅実に生きていく、親にも賛成してもらえる職業を無意識で選んでいたというのもあります。だから、当時は、教員採用試験を受けて教師になるという進路は思い浮かんでも、今の私がやっているように会社をつくって、そこで他の誰もしていないような仕事を創り上げていくなんてことは、夢にも思わなかった。
夢にも思わないって怖いことです。夢に描いていいことさえも、最初から打ち消してしまうから。自分がやりたいと思っていることにさえ気づかなくなってしまう。
でも、そんなことばかりでした。雇われていた頃だって、ちょっと難しそうな仕事や面白そうな仕事のチャンスは「私にはきっと無理」と思って否定してきました。興味があると自覚していることさえも。
大学の時に画廊でのアルバイトを紹介してくれる人がいて、大好きな絵に囲まれてその話を人としていられるバイトを「素敵!」って思ったけど、「私にはそんな画廊でお話する知識もないから」と言って断ってしまったし。
不可能なことなんて何もない
その思い込みが変わってきたのは、20代のころ。いつしか「不可能なんてことは何もない」と考えるようになってきました。
お金がなかったら作ればいい。
難しくても不可能なんてない。
本気だったら不可能なんてない。
そう。「本気」と「覚悟」は必要だけど、それがあれば不可能なことなんてない。人間には限界がない。そう信じるようになっていました。人との出会いや、色々な学び、本で気づいたことなどが影響していました。
友達には、「いやー、そうはいっても、華代ちゃんがお相撲さんになりたい!!・・・って言ってもそれは無理だと思うけどね」と言われましたが。たしかに、当時「痩せすぎ」レベル、肉体的には軟弱そのものの私。「それでも、本気だったらできる。プロはむりとしても。ま、お相撲さんになりたいとは思わないけど。」って言い返してましたね。笑
でも、そう考えられるようになったから、子どもの頃の自信のなさをのりこえて、ひとつひとつ、いろんなことに挑戦するようになってきました。
24才で起業し、高校講師との二足のワラジ。結婚してからカリフォルニアへ留学し、離婚して出産して再婚してイギリス移住。シュタイナー教師になり、シュタイナー教師をやめ、迷走時期を経て、e-waldorf 設立。本を出版し、当時シュタイナー業界では見向きもされなかった最初のオンライン講座を立ち上げたのは2010年。イギリス国内を点々とし、そして大学に入り直すという夫についてドイツ移住。ドイツで法人をたちあげ、そしてイギリス移住。イギリスで法人を立ち上げる。
「人並みで、普通に、真面目に生きていくのが一番。私には、特別な能力もないんだから、大きな夢なんて持っちゃいけないんだ。」と思っていた割には、結構色々やっちゃいました。やれちゃいました。笑
今、子どもだったころの私に言ってあげたい。
「お金なんてなんとでもなるわよ」
「本気だったら難しくたって可能性あるわよ」
でもね・・・、子どものころの思い込みは、ずっとずっとつきまとうのです。ほんとうに完全に解放されたのは40代半ばくらいかな。時間がかかったけれど、解放できてよかった。今は、そんな思い込み(ブロック)から自由になってかなりのびのびと羽ばたいている・・・と思います。これもブロック解除に助けられた、大きなステップでした。