わたしのセクシュアリティ、その入り口
わたしのセクシュアリティを振り返ると、
大江千里くん(やはり’くん’付けなのだ)の歌詞が
ナチュラルに思い浮かんでしまいます。
セクシュアリティ あとどれだけ奪いあったら気がすむの
セクシュアリティ もう何にも残らなくてかまわない
DARLING (SEXUALITY)
銀色夏生さんと佐野元春と山下達郎が好きで
エルヴィス・コステロとドナルド・フェイゲンが好き。
趣味の作詞と、音楽に救われていた多感な高校生。
醜形恐怖があるイコール外見至上主義で
10代は見た目ばかり気にしていて、
常にコンプレックスを抱えていました。
本当は自分のことが世界一好きだから、
自分のことを
世界一のブスだと落とし込ませる。
今なら理解できます。
それが非常に極端で。
「1私みたいなブスは、男を選ぶ権利がない」
「2男に選ばれたら、ありがたく受け取らねばならない」
「3ただし自分に釣り合うブ男でなければ受け取ってはならない」
これら3つの
自分で決めた大きな枠組みが作られたのは
わたしのセクシュアリティが
動き始めた時期です。
でも、この3か条は
長いこと無意識の奥にしまい込んでいました。
つまり
私のデフォルトだったんです。
更に言えば、
私の思い込み。
(未だに、
うっかり従ってしまう自分がいるよね!)
女であることを楽しみだしてからです、
あれら3か条は
過ぎた自己愛のカタチだったことが分かり
すんなりとした自己愛を受け入れられる
様になったのは。
数年前のことです。
「目に見える現実世界は、自分が作っている」
「自分がこの世の創造主」
これは本当にそうだなぁと思います。
だってね、数年前までは
私の現実は、
あの3か条が叶う、理想の?世界だったから。
外見の良い男性から誘われても
逆ギレでシャットアウト(笑)。
その逆の男性に言い寄られれば
深層心理でホッとして、すぐに付き合ってしまう。
外見で男性を選んでいたんですよね。
ある意味ね。
今気づいたよ!
だから、というべきなのか謎ですがw
男が切れたことはなかった。
恐るべき魔の3か条。
もう一度読み返してもらっても分かる通り
他人軸で生きる現実が、当たり前でした。
女を楽しんでいる今の私は
この数年間で
自分軸に移り変わったようで、
色んな出会いを
かろやかに(時にしたたかに)重ねながら
わたしの人生にふさわしい男性を
選べるよ、という世界に
移住出来たみたいです。
それも数年前のことだから。
私のセクシュアリティストーリーその入り口、って
記事タイトルだけど、
私のセクシュアリティは今でも
入り口も同然なのかもしれないです。
☆10月のセッションとセラピークッキングのスケジュール☆
中高年の女性がホッとくつろげる癒やしサロンを作るのが、アラ還になった時の私の夢です!まだまだこれからですが、サポートよろしくお願いいたします❤