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LGBTQ夫婦が切り開いた新しい家族のカタチ——3人の絆で乗り越えた妊活

「子育ては大変だけど、感動の毎日です」と目を細めるのは、斉藤則夫さんと奈津子さん(仮名)夫婦。夫婦の間には、いろちゃん(仮名・3歳)とふくちゃん(仮名・6ヶ月)というかわいい2人のお子さんがいます。

見た目はごく普通の幸せそうな家族ですが、斉藤夫婦が結ばれて子どもを授かるまでには壮絶な道のりがありました。なぜなら、夫である則夫さんは「元女性」だから。高校時代から自身の性別に強い違和感を覚え、葛藤を抱えながらも自分らしい生き方を模索して人生を切り開いてきました。そんな則夫さんが、奈津子さんと出会って家族を築くまでの軌跡を紹介します。

夫婦で協力し、子育てに奮闘

現在、則夫さんは正社員、奈津子さんは在宅勤務のパートとして働いています。お互いの両親が近くに住んでいないため、則夫さんが時短制度を利用しながら夫婦で協力しあって育児をしています。仕事帰りに則夫さんが保育園にいろちゃんを迎えに行き、帰宅してから寝るまでが戦争。子どもが熱を出したら、「どっちが仕事を休む?」と調整するのが大変な日々です。

「精神的にも体力的にも、子育てがこんなに大変だとは思いませんでした」と日々奮闘する則夫さん。その一方で「ジェンダー以外のことでこんなに悩むなんて、人生で初めてです」と嬉しそうです。

現在、斉藤さん夫婦はLGBTQの理解を広げる活動を行っています。則夫さんは小中学校に出向いてジェンダーについての特別授業を担当し、奈津子さんはLGBTQの理解を啓発する法人に勤務しているのです。

則夫さんの特別授業風景

今では自らのジェンダーについてオープンにしている則夫さんですが、かつては自殺未遂まで追い込まれるほど悩んだ過去があったのだとか。女性として生まれ葛藤を続けた則夫さんの人生とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

スカートが嫌いな幼少期から徐々に深まる違和感

則夫さんは斉藤家の長女「則子」として1977年に生を受けました。幼少期からスカートやリボンが大嫌い。赤いランドセルも嫌でしたが「女の子は赤いランドセル」と決まっていた時代だったので、あまり深く考えずに従っていました。

中学生の頃の則夫さん

ジェンダーに対する違和感が出てきたのは中学生の頃でした。友達同士で恋愛の話題が増えるお年頃、則夫さんは女の子に目がいきますが、友達は男の子の話ばかり。自分がおかしいのかなという悩みを隠すために、「そういう話、興味ないから」と席を外して何とかしのいでいました。

強烈に違和感を感じ始めたのが高校生になった頃。男性らしい外見を好むようになります。例えば、我慢して着ていたセーラー服から開放されたくて、制服がブレザーの高校を選んで進学しました。髪型をスポーツ刈りにしたら心地よく、「もう女の子として過ごすのは嫌だ」と思うようになりました。

両親はボーイッシュな外見を認めてくれたものの、口癖は「婿をとって斉藤家を継ぎなさい」。妹と二人姉妹だった則夫さんは長女として家を継ぐために、男性との結婚を期待されていました。過保護とも言えるほど大切に育てられていましたが、則夫さんにとってはプレッシャーでしかありません。大学生になって逃げるように家を出ました。

そんな高校時代の苦悩から開放され、大学時代は楽しいものに。自由気ままな一人暮らしとなり、個性的な友人に囲まれ、則夫さんの「女性が好き」というセクシャリティも、個性の一部として受け入れられました。

個性的な仲間に囲まれ、楽しかった大学時代

自分探しの実験として、初めて女性とお付き合いをしたのも大学時代です。過去に男性とお付き合いした時よりも断然楽しくて、自身の恋愛対象が女性であることはハッキリと認識できました。しかし、なぜ女性が好きなのかはよくわかりません。この頃はまだインターネットが普及しておらず、簡単には情報収集できない時代です。自身と同じ感覚を持つ人と出会うことはありませんでした。

「女性が好きだと言うと、気持ち悪いと揶揄されることもありましたよ。『いやいや、あなたには関係ありませんよね!? 』と本気でむかつきました(笑)」と笑う強さがある則夫さんですが、社会人になってから一変します。

福祉系の大学を卒業し、福祉の施設に就職。大学時代は個性で押し切っていたジェンダーでしたが、就職してからまた「女性の型」にはめられる生活になったのです。例えば、制服。病院勤務になった時には、ナース服が支給されました。もちろん更衣室は男女別です。則夫さんは再び強烈な違和感に襲われました。

ようやくわかった本当の自分、そして絶望

プライベートでは自分探しの実験が続きます。則夫さんが27歳の頃、インターネットの普及により個人ブログが一気に増えました。そこで自身と同じ悩みの人が発信する情報に出会い、女性ながら男性の姿で生きている人に強い共感を覚えました。自身もより男性の姿に近づきたいと思い、胸を潰すシャツを手に入れて「これがなりたかった姿だ!」と感動しました。

見た目は男性に近づいているのに、職場では「女性」でいなくてはいけないことが苦しくなっていきました。自分の認識するジェンダーと現実のギャップがどんどん広がっていく——深い闇に飲み込まれた則夫さんのなかで何かが弾けました。うつ病になり、自殺を図ったのです。

「幸いにも一命をとりとめたんですけどね。集中治療室で思ったことは『助かっちゃった。どうしよう』という絶望でした」

退院後、則夫さんは一人暮らしの部屋に戻りました。両親は心配してくれましたが、それは「娘」としてのこと。どうしてもカミングアウトできず、実家には戻れませんでした。 

職を失い、多くの人が則夫さんから離れていきました。そんな中でも前職でお世話になった元上司が根気強く関わってくれたことで、少しずつ社会復帰へ。短時間勤務の仕事を経て、正社員として働けるまでに回復しました。再就職時は「同じ苦悩を味わいたくない」という思いから、自らのジェンダーについてオープンにしたうえで働くことにしました。

「女性でなくては」という思い込みからの開放

そんな則夫さんにとって大きな転機となったのが、とあるトランスジェンダー活動家のブログとの出会いです。女性として生まれながら心は男性であることの葛藤が赤裸々に綴られており、則夫さんはそれに共感して欠かさずチェックするようになりました。

その活動家は当初はボーイッシュな女性という姿でしたが、ある時からその見た目が激変します。ホルモン治療を受け、ヒゲを生やしたワイルドなビジュアルに変身したのです。

「その人のヒゲ姿を見た時、直感的に『うらやましい!』と思いました。その瞬間、ようやく本当の自分の気持ちに気が付きました。私は男性になりたかったんだと」

それまでは女性として生きていくことが前提で、どこを落とし所にしようかとばかり考えていたという則夫さん。そこからは、「男性になるためにはどうしたらいいか」を前向きに考えるようになり、行動をスタートしました。

男性になるための第一歩としてチャレンジしたのが改名です。当時は「斉藤則子」として働いていた高齢者施設の上司に「通称名で働きたい」と相談したところすぐにOKが出たため、名刺を「斉藤則夫」と書き換えました。会社のこの配慮が後押しとなり、家庭裁判所に申立書を提出して正式に「則夫」という名前に改名。同時期にホルモン治療も受けました。

一生涯のパートナーとの出会い

現在パートナーである奈津子さんと初めて出会ったのは、則夫さんがまだ「則子」だった頃です。高齢者施設で働くなかで、仕事の関係者として知り合ったのがきっかけでした。数年間は仕事の関係者として、事務的なやりとりをする程度の二人。「則夫」に改名した後、縁があって奈津子さんと食事に行くことになり、しだいに彼女に対する恋心が膨らんでいきます。則夫さんは奈津子さんに毎日連絡するようになり、意を決して「好きです」と告白。しかし、奈津子さんはその申し出を受け入れませんでした。

「則夫さんに人間的な魅力は感じていました。でも当時の私は、元女性を恋愛対象としては考えられなかったです」と語る奈津子さん。しかし、告白を断った翌日からも何事もなかったかのように則夫さんから電話があったそう。そのタフさに驚くと同時に、トランスジェンダーのことが気になって調べるようになりました。

「調べれば調べるほど、則夫さんの生きづらさを理解できるようになりました。自分の無知に気づき、同時に視野が広がりましたね」という奈津子さん。トランスジェンダーの人と結婚することも、子どもを持つことも、不可能ではない。そんな自分が知らなかった世界を知る感覚が新鮮で、徐々に則夫さんとの交際について前向きに考えるようになりました。

一方で則夫さんは、「断られるなんて想定内。『はいはい、そうだよね』ぐらいにしか思いませんでした」と笑います。

お付き合いするためには、斉藤則夫という人間性が、ジェンダーのハードルを上回らなくてはいけません。そのためにはどうしたら良いか、としか考えていませんでした」と断られた翌日からも電話をし続けたそうです。

則夫さんの猛烈なアプローチにより、2度目の告白で奈津子さんはお付き合いを承諾しました。ほどなくして同棲する話となり、則夫さんは奈津子さんの両親に挨拶にいくことに。自身を受け入れてもらえるか不安だった則夫さんでしたが、奈津子さんのお父さんは事情を知ったうえで「ウェルカムだよ! 」と全面的に受け入れてくれました。そのことに感動した則夫さんは、一生をかけて奈津子さんを幸せにしようと決意し、結婚に向けて準備をすすめました。

結婚するためには、則夫さんの戸籍を男性にしなくてはいけません。則夫さんは性別適合手術を受ける選択をして、開腹手術を受けました。身体的にも金銭的にも決して楽なものではありませんでしたが、奈津子さんと結婚するための選択だったといいます。そして、さまざまなハードルを乗り越えて、ついに結婚。家族や友人に囲まれた温かな式を挙げました。

3人での妊活、そして出産

結婚後、すぐに子どもを持ちたいと考えた斉藤さん夫婦。そこでLGBTQカップルが子どもを持つ方法を調べたところ、複数の選択肢があることが分かり、そのなかから病院を介して精子提供を受ける方法を選びました。しかし、精子を提供している病院は全国的に非常に少ないため、県外まで足を運んで治療を受けることに。精神的にも肉体的にも、そして金銭的にも負担は大きく、治療は5年間に及びました。しかし、たったの一度も妊娠の兆候がありませんでした。

「妊活が上手くいかない一方、病院を介した精子での妊娠で良いのか迷いが出るようになりました。なぜかというと、精子提供者は匿名だから。つまり、生まれてきた子どもが生物学上の父親について知ることができないのです。もしかしたら、ほかに良い方法があるのではないかと考えるようになりました」

子どもに生物学上の父親について教えてあげたい。その気持ちが強くなり、知り合いから精子提供を受ける方法に舵を切ることに決めた二人。そうなると必要なのは、精子提供のドナーです。そこで斉藤さん夫婦の頭に思い浮かんだのは、人間として魅力的なゲイの友人でした。さっそく相談したところ快諾してくれたうえに、「子どもをつくるという目標は、3人共通のもの。だから僕に気をつかわないでほしい」とありがたい言葉をかけてくれました。

多くのLGBTQカップルは精子提供者探しに苦労しているのが現状で、SNSを介して見知らぬ人から提供を受けることもめずらしくありません。斉藤夫婦が理想通りのドナーに巡り会えたのは、まさに奇跡といえます。

ドナーが決まってから、病院を変えて妊活を再開。3人が協力し合い、ほどなくして奈津子さんが妊娠しました。結婚してから、実に6年半後のことです。決して楽な道のりではなかったからこそ、「涙が出るほど感動した」といいます。

妊娠の喜びもつかの間、奈津子さんのひどいつわりは出産まで続きました。そのうえ、出産は丸2日間かかるほどの難産。それでも、生まれてきたいろちゃんの顔を見た瞬間、あまりのかわいさに「もう一人授かりたい!」と思ったそうです。

出産から約1年後、同じドナーで妊活を再開。ドナーは2人目の妊活も協力的で、無事に第二子のふくちゃんを妊娠し、出産しました。

子どもたちに伝えたいこと

則夫さんと奈津子さんとドナー——この3人がいなければ尊い命は誕生しませんでした。今、お二人が子どもたちに伝えたいことはなんでしょうか。

私たち夫婦とドナーの3人が待ち望んだ、大切な命であることを伝えたいです」と夫婦は口を揃えていいます。

子どもたちにはなるべく早い段階で自身の出生について知ってほしい、そんな想いから絵本作家の協力を得てオリジナルの絵本を製作しました。タイトルは『いろとりどりのかぞく』。絵本には、第一子・いろちゃんを授かるまでのストーリーが包み隠さず描かれています。

あとがきには、斉藤家は夫婦以外の人の協力があってできた「いろとりどりのかぞく」であること、だからこそ尊いものであるという夫婦の思いが記されています。同時に、いろちゃんが「いろとりどりのかぞく」に疑問を持つことがあったら、両親に気遣うことなく、その気持を大切にしてほしいという願いも添えました。

第二子ふくちゃんを妊娠する前に製作した絵本です

現在3歳のいろちゃんにとって、絵本の内容を理解するのはまだ難しいかもしれません。それでも、絵本の最初のページに描かれている女の子がお父さんであるという認識はできているそうです。

絵本の1ページ目で描かれている、幼少期の則夫さん

「子ども達が成長して、自らの出生のことで悩むこともあると思います。そんな時に相談にのってくれる大人がたくさんいるようにと、我が家には友人がたくさん出入りしているんです」と則夫さん。たくさんの理解者たちに囲まれた斉藤家の子どもたちはすくすくと育っています。

LGBTQカップルとその子どもたちが笑顔でいられる社会を願って

「僕が大学生の頃は、LGBTQの人の職業と言えば水商売かタレントのイメージしかなくて、どうやって生きていったら良いのかわかりませんでした。ロールモデルとなる大人がいなかったんです。だから、自分なりに実験を繰り返して道を切り開いてきました」

このように人生を振り返る則夫さん。どん底にいた20年前では考えられないような今の幸せを噛み締めながら「もし今ジェンダーのことで悩んでいる人が目の前にいたら、仕事も恋愛も結婚も自由にできる『選択肢が広がっていること』を伝えたいです」と言います。

現在は世間でLGBTQの理解が広まりつつありますが、LGBTQカップルが子どもを持つことにはいまだに高いハードルがあります。斉藤さん夫婦のような家族はまだマイノリティであるため、ネガティブなイメージを持つ方は少なからずいるでしょう。プライバシーが強い分野だからこそ、法整備が進んでいないことも課題だといえます。

「子どもを持ちたいと願うLGBTQカップルが子どもを持てるように、まずは多くの人に現状を知ってもらいたいです。そして、私たち家族だけではなく、すべてのカップルと子どもたちの存在が隠されることなく堂々と生きられる世の中にしていきたいです

このように願う奈津子さん。そして、「ここまでLGBTQの理解が広がっているのは、悩み抜いたうえで世間に理解を求めて行動してきた則夫さんのような人たちの長年の苦労があるからです。この広がりを止めないよう、理解を促進する活動を続けていきたいです」と抱負を語ります。

全てのLGBTQカップルとその子どもたちの幸せを願って、これからも斉藤夫婦は活動を続けていきます。

絵本の最後のページ。斎藤さん夫婦の愛情がたっぷりと込められています

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