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私と読書。

どうも。KAYOです。

気付けばnoteのアカウント立ち上げて1年なんですって(笑)
久しぶりにアプリ開いたらアプリに教えてもらいました(笑)
「へ〜そ〜なんだぁ…」とまるで他人事だった私です(笑)
立ち上げた当初は毎日更新するとか言ってたのにね(笑)

そんなダメダメな私ですが
今回は少し真面目に「読書」について語ってみようと思います。

読書…皆さんは紙派??タブレット派??

私は読書…割とする方だと思います。
というか本屋さんに行くのが好きで毎月数冊ずつは何か買ってます。
そのルーツは…母です。

私の母はかつて中学校の教諭をしていました。
担当教科は国語です。
母が教師になったきっかけを聞いたことがあったんですが
「本読むの好きで国語得意だったからそれを活かせたらいいなって思って教員免許取った」んだそうです。
教諭を退職した今でも個人塾の助手のバイトという形で
相変わらず教育に携わっています。

母は読書好きということで必然に近い形で図書館司書の免許も持っています。
教諭時代の赴任先の学校では司書教諭(=図書室の責任者)も務めていました。
学童でバイトをしていた時も子どもたちに本の大切さの話をしていたこともあったそうです。

そんな母は本にかけるお金を惜しまず毎月何冊も本を購入していました。
それは私や妹・弟に対しても同じで本だけはたくさん買ってくれました。
絵本もマンガもジャンルは問わず…余程のことがない限りはダメとは言われませんでした。
弟に至っては定期購読の子供向け科学事典…全部揃えると数万円にも及ぶ代物を
購入してもらっていたこともあります。
(『かがくる』というもので私も読んでいましたがなかなかおもしろかったです)
それだけでは飽き足らず日曜日になると図書館に通っていた時期もありました。
幼少期に母と出かけた場所で真っ先に思い出すのは本屋さんと図書館です。

まだ字が読めなかった頃は母の読み聞かせも好きでした。

小学生の時に家を引っ越した時に
引越し先の家に壁一面の巨大な本棚を二ヶ所作ったんですが
私が高校生になる頃には遂に本を収めるスペースが全て埋まってしまい
追加で棚を買い足したこともありました(笑)

そんな母のもとで育った私は…
一時期本が嫌いになりました(笑)

母が「これいい本だから読んだら??」と勧める本を
天邪鬼だった私は読むことを拒んでいました。
それを言われすぎて耳にタコができていたんだと思います。
反発してましたね…だいぶ…

「本読め本読めうるせーんちゃ!!」ってカンジでした(笑)

変な天邪鬼の時期を脱した転機は中学3年生の時。
中学3年間同じクラスだった友人(通称『猫の宮』)と一緒に図書委員になったのです。
(話は脱線しますが『猫の宮』はイラストが得意で…その時の彼女のP.N.です)
猫の宮も母同様に本が大好きで中1で知り合った頃から片手には常に本という子でした。
休み時間もほぼ本を読んでいて私と話はするけれど本は手放さなかったです(笑)

猫の宮は中1の頃からずっと図書委員をやっていて中3の時の相方が私でした。
その頃の私はホントに「渋々引き受けた」というカンジでした。
中学時代は活字を読むことが苦手、読書感想文苦手、国語の成績もイマイチ…
文章を読むことや活字そのものに対しての苦手意識も強くなっていきました。

そんな頃に図書委員になり
放課後に書架整理の当番や本の貸出や返却の受付の当番が回ってくることにより
それまで敬遠していた図書室に足が向くようになりました。
受付の当番の時は本を読むしかできることがなかったので
渋々何か読む…といったカンジでしたが
当番が回って来る度に読む本を変えないと飽きるので本を探すようになり
本に触れることが多くなっていきました。
当時は連ドラのノベライズ版を読むのが好きでした。(「ビューティフルライフ」とか…懐かしい)

書架整理しながら「今度これ読もう」って発見も
ちょくちょくありましたねぇ…

その経験は高校生になって活かされました。
夏休みに母が勤めていた学校の図書室の書架整理を手伝ったことがありましてね…
母によると私が本の分類番号を少なからずわかっていたのでだいぶ助かったらしいです。よかった(*´ω`*)
バイト代としてたこ焼き買ってもらったのもいい思い出です(笑)

(注)ここから少し暗い話になります。

高3の時は…ほぼ毎日図書室に通っていました。
というのも教室に居場所がなかったからです。
それまで仲の良かった友人から無視され…そのうち露骨に悪口を言われるようになり
昼休みはぼっち飯をしながら背後から聞こえてくる悪口を浴びていましたが
だんだん耐えられなくなってきて図書室に篭るようになりました。
昼休みになると5分でお弁当をかきこんで
午後の授業が始まるギリギリまで図書室に篭る日々でした。

毎日のようにいろんなエッセイを読み
いろんな人のいろんな生き方に触れた時期だったなと思います。
だいぶ本に救われた時期でもありました。

暗い話おしまい。

大学生になってからは自分で本を買うことが格段に増え
授業で使う専門書、マンガ、音楽雑誌などが一度に手に入る大きな本屋さんが行きつけになりました。
当時一番好きだったのは「もやしもん」というマンガです。
私史上一番ハマったマンガです。

社会人になってからは活字の多い本よりは絵や写真が多めの
癒し要素の多い本をよく買うようになりました。
登録販売者の資格を取ってからはまた専門書を漁るようになり
毎度値段に驚愕しながらも少しずつ揃えています。

そんなこんなで私は…
「割と本好き」
ということにしておいてください(笑)

あと電子書籍は苦手です。
重かろうがかさばろうが紙の本が好きです。
棚に整然と並んでるのが好きなんです(変態)

最後に話は母のことに戻りますが
母が勤めていた中学校の卒業生への言葉として送っていた言葉に触れたいと思います。

母は学校新聞の「卒業生を送る言葉」みたいな寄せ書きに
毎年決まって同じことを書いていました。

「本は心の友達。
読書は心のごちそう。
本のある生活を。」

私はこれを見るたびに「また同じこと書いとるやん。他に書くことあるやろー??」と
半ばからかっていました。

母へ。
今ならその言葉の重みがわかります。
このことに気付いたのは実は高1の時でした。
気付いていたのに素直になれなくてごめんなさい。

高1の時の担任がかなり高圧的な人で
読書に関しても「入試で小論文がスラスラ書けるために読んで」というような人だったので
それがすごくすごく嫌でした。

私は小説よりもエッセイなど現実味をかなり帯びたものを読むのが好きなので(今も)
「いろんな人がいていろんな考え方がある」ということを本から学んだように思います。
本だけでなくハマっていた音楽の歌詞、雑誌でのインタビューで発した言葉など
いろんな人の考えを垣間見て自分に活かせることはないかと模索する日々でした。

それを何でもかんでも受験、大学に結びつけていた担任。
「違うやろ」といつもはらわた煮え繰り返る日々でした。
だけど反発する勇気がなかったチキンな私です。

そんな時に母の言葉を思い出したのです。

あの三行の言葉の裏にあったのは

「本は自分の人生を豊かにするために読むもの」
「知識は自分を守る武器である」

これが母の教えでした。

子どもの頃にたくさん本を買い与えてくれたのも
いろんな考え方に触れてほしいという母の考えがあったんだと思います。

私なりにではありますが本を書いた人のいろんな考え方に触れ
自分にはなかった知識を取り入れたりすることは
今ではすごく楽しいです。

そういう意味では母には感謝しかありません。

お母さんありがとね。

そんなこんなで休みの日には足繁く本屋さんに向かう私。
今日も数冊本を買い込みましたが…
これからも新たな知識や感動にどんどん出会いたいですね(。・ω・)ノ♪

すっかり長くなってしまいましたが(笑)
次回は最近読んだ本のレビューでもやってみようかなと思います。

今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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