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小屋考






おもいもしない、といまかきかけたが

ほんとうは「とても」
思っていたことが
いま実現して目の前にあらわれて驚いている

湖辺にいるひとをおもって山辺にいた
けれど

いま山辺のひとが小屋を携えてやってきた
交わることのないと思われてた
2つの点が
旅人のような往来で
また
小屋からみる風景に
少しまどろんでは

山からきて
またうみの向こうの山を
小屋の窓からながむるとき


結局ひとは
そうやって
満たしを感じ
また空になり

満たされに「小屋のようなところへ」
やってくる

ああ空になった

とただただその現実に
ああでは「小屋」にまいろう、

そう
それだけなのだ

みえない小屋を
いつもわたしは
わたしの水辺に置いている

それは目には見えないけれど
こうやって現実に
あらわれるときがくる

わたしの安易な想像をはるかにこえ
表層で思い描いていたものは
消え

砂浜をほると湧き出る
水辺の水脈のように

水辺の心がひとにはたらきかける

自然と湖辺がみせる
絵を、小屋のフレームから
眺める

しつらえたところで
なにもなくていいのだ

そこから出ても

もうわたしの中に「それ」が
あったことに気がつく

また空になり満たされる日を
待ち望みながら


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