『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第7回 第5章 新年の剣道場
高校生活も終わりに近付き、大学受験を控えた1月2日、うちの寺にある剣道場で初稽古と地区の書き初め大会が催された。受験生でも、こうした社会性の高い行事には時間を惜しまず積極的に参加しておいた方が受験準備自体にも好影響を及ぼす。まして、闘争心に駆られて全身を機敏に動かし汗をかく武道なら、精神も肉体も爽快感に包まれ、その効果は高い。
餅つきが楽しい。こういう行事になると俄然張り切るのが、うちの寺の寺務長さんである。電話帳にも出ていない珍しい姓である。地球上でただひとりの姓かも知れない。空に向かって笑顔で手を振るのは何かのまじないだったのかどうかわからないが、右頬に黒子のある顔で、臼の前で杵をくるくる回しながらはしゃいでいる。近くのテーブルには、スーラトのアルメニア商人から九州にもたらされたという苦礬柘榴石(くばんざくろいし。pyrope)をエメラルドカットした数珠と一緒に、明治時代の作品だという根付の取り付けられたキーホルダーが置いてある。この表面に何やら彫り込まれているアクセサリーは、現在はワシントン条約で禁止されている象牙製であり、ボクが小学5年生の時に、このお寺管理の責任者に「この四角いの何?」と聞いてみたところ、「ぼん、これはマージャン・パイと言いましてな」と、麻雀の歴史や牌の謂われ、それぞれの牌の呼び名まで教えられてしまった。親がいくら警戒していたところで、子が社会と独自の関係を築いて行くことは防ぎようがない。
そーか、これが大人たちが時々話していたまーじゃんというものか。早速、近くの区立図書館から漢字にルビを振った麻雀入門書を探し出して借りてきて、結局後戻りできなくなった悪の道に11歳にして彷徨い込んでしまったのだ。中国で発明され、20世紀に入ってから日本に紹介されたというこの頭脳戦は、どんなコンピューターゲームより奥が深く面白そうに思えた。ところが学校から帰ってきた兄は、ボクから勝手にこの本を取り上げてその日のうちに読み終えて、ボクが寝た後、ボクの机の上にこっそりと戻しておき、遅く帰宅した父に告げ口したのである。
「あいつ、こんなことやってました」
また、ほぼ引退した税理士の先生が無駄話に訪れた時に玉露をお出ししたところ、「そのうち、指先で触るだけでどの牌か分かるようになるんですぞ」、とまで言われたので、自分でもやってみたくなった。そこで、放課後帰宅して、いつも乾拭きをしているのでつやつや光っている廊下を、乱数を発生させてその日により発射角や本数を変えている防犯用レーザー光線束を特殊サングラスをかけて避けながら逆立ち歩きで進んで、麻雀牌を置いてある寺務室に忍び込んでは色々の牌を目をつむって当てる遊びをした。最初のころに言い当てられたのはもちろん白牌(パイパン)だけで、表面を指がむなしく滑って行くのだったが、次第に腕が上がり、まるでプロの雀士のような顔つき、手つき、リズムになって行くのだった。
「今夜は徹マンだぞ! カツ丼持ってこい」
まだしも幸運だったのは、小学生向けのマージャン雑誌がなかったことであった。
「今月号は、中学入学前までに身につけておくべき作戦特集です。(中略)。読者の交流ページ: ぼくがやくまんをねらっていると、おとおさんがうしろから、みぎから2つめをきれ、とかいいます。そして、いつもまけます。どうしたらいーでしょー」
今日はあと一回だけと、美容院で女性客の豊かな髪にトリートメントを行き渡らせようとする時のような音を立てない指捌きで洗牌(シーパイ)を始めると、そういう時に限って、兄が檀家さんからもらった栗羊羹や甘納豆などの和菓子を寺務長さんに届けに、出し抜けに入って来たりするのであった。
「何やってんだ、お前?」
「シェー」
(「入る時はノックしなさい」)。
これは兄という天敵がいる限り防ぎようのない受難である。一人っ子に生まれていたらどんなに良かっただろうか。さて、剣道場での話に戻ろう。
まだ積雪が少ないので、境内の雪交じりの玉砂利を踏みしめて豆剣士たちが集結している。とは言え、内乱を企てている集団ではないので不穏な空気はない。
「おのおの方、新年おめでとうでござる。拙者の大晦日までの借財すべて棒引きにいたせ」
斜め後ろを向いて立っている子も含めて全員可愛い。女の子の剣士も胴着が様になっている。今は男女ともマンガのキャラクター入りがあるのだな。元豆剣士たちもいる。こちらはさほど可愛くはない。この道場は人権を尊重するので、別に毛髪についての規則はない。伸ばしたければ本人の判断でそうすればいいだけのことであるが、年末に親から床屋に行かされたのであろう、男児は全員髪の毛が短く刈られている。あの居並ぶ坊主頭を次々と手ですりすりしてみたい衝動に駆られるが、辛うじて抑える。欠伸をしている子もいる。師範である私の祖父も欠伸を押し殺して涙目になっている。きっと頭の中では糖分を求める邪念が熱帯魚のようにひらひら泳いでいるのだろう。
「うおっほん(我慢、我慢。後で汁粉に納豆餅じゃ。納豆餅は滅多に口に入らないご馳走じゃ。机の上に乗る餅つき人形、売ってないかな。コーヒーブレイク用に一口餅、売れると思うがな)」
今日は特別に居合抜きの実演がある。真剣を抜き、稲藁の束をすぱっ、すぱっと切って行くのだ。爽快であるが心の底から怖くもある。日本刀の切れ味が良すぎるからだ。あまり見詰めていると印象が強くなりすぎて、サーベルではなく、この細長い金属のミルフィーユが海賊船から落ちて私の顔を目がけて落ちてくる夢を見てしまいそうである。
だが、その前に、順番として板の間中に古新聞を敷いて、書き初めをするのだ。止めなさいと言うのに、ずるい笑顔で筆を剣に変えてチャンバラごっこをしたり、友だちの顔に何か描こうとする小学生が現れる。だから墨があっちこっちにこぼれて抽象画のような模様を作り出すのだ。ぼくたち、さっき雑巾で床を拭いてきれいにしたよね。
第6章 黒澤外国語大学へ https://note.com/kayatan555/n/n520ae547c914 に続く。(全175章まであります)。
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