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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第184回 第150章 新しい生活

 天井の高い寝室のベッドに、シルクをまとったけだものが1匹するりと滑り込んでくる。「浄命」の文字が青っぽく見えている。シールじゃなかったのだ。
「セシリア、あの時のポーズだけど、あ、オリーブの種はオレの口に入れるな」
(ドイツ語ではaus dem Mund fütternって言ったな、たしか)。
「ばかーん」
「・・・・・・・・・?」(ほんとは伏せ字で内緒だけど、あなただけに解読しておいてあげませう。「これって三密じゃね?」)。
「・・・・・・・!」(種明かし。「濃密でござるっ!」。これじゃ伏せ字の意味がないでござる)。
「ベッドの中でakimboはよせ」
「・・(伏せ字未遂)。ちょっとお、何でそんな英語知ってるのよ。おかしいでしょ。普通知らないわよ、そこまでの単語。どんな女だったのよ。言いなさいよ」
「(言えねえ、言えねえ、命が惜しい)。寝てる間にオレを解剖すんなよ」
「丸原がつきたての餅のような丸腹になったら、警告なしに突然やるわよ。もち、麻酔抜きよーん」
(あの時のポーズだけど)。
 私の人生にジューン・ブライドが加わった。成層圏という満天の大きな帆の下で、ヨットの操船とはまた違う動きが続く。6月下旬の暗い朝はまだまだ明ける気配がない。今年の夏はこれから本格化して行く。艇庫の回りでは、贅沢なほどふんだんに注ぐ陽光の下で、蝦蟇出水分校の1年生から6年生までの在校生たちが廃校にされてしまうまで植え付けて世話をしていて、毎年苛烈な冬に耐えてきた赤いバラが次々と咲くだろう。ああ、もう、こんな日に仕事なんかやってられないぞ。遊びあっての人生だろう。海だ、海だ、海をここに持ってこい!
 はい、持ってきました、ザバーン。
(もうウソのオンパレードじゃあ)。
 あなたは何百年生きられると思っているのか。定年まで無事生きて、その後、体も懐も十分保ち、配偶者にも三つ指をつかれないで済むとたかをくくってはいないか。ローマの骸骨寺に行ったことがある。頭蓋骨やその他の部位の骨が数千体分無言で安置されている(喋りだしたら、恐怖ざます)。イタリア語でこう書いてあった。Noi eravamo come voi, voi sarete come noi. 意味の近い英語にすると、We used to be like you; you will be like usとなろう。そんなあ。人生に明日の保証はない。1時間後でさえ分からない。あるのは今のこの瞬間だけだ。そなたの今日の目の前の人生を生きよ、愛する人と共に(腑分けされないように警戒しながら)。 
「セシリア、好きだ、大好きだ! (「おれっすか?」大輔)。オレの好みの女だ。オレと一緒に生きろ」
「あーいー。あなたもわたしの好みの男よ」
(しめしめ、魔法がばっちり決まってるざんす。夢なら覚めないで。つくづく思うけど、あの春先の夜のニュースでこの人のこと見かけることができたのは天佑だったわ。普段はいつも別の局を見てたのに、あの晩に限ってリモコンのバッテリーが減りかけてチャンネルを変えられなかっただけだったのよね。だから、交流会でその顔が出てきてビックラこいたのよ)。

第151章 新婚旅行計画 https://note.com/kayatan555/n/n8a8e41ec6790 に続く。(全175章まであります)。

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