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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第125回 第95章 ラテン語
ラテン語はちと贅沢すぎるので、よほどの好条件が揃わない限りやらないようにしている。というのは、何しろ2,000年も前の例文はそのころの社会と世界を反映しているため、頭が悠久の時の流れとリズムに引き込まれてしまって、まるで大麦の穂が風に吹かれて左右に揺れる様を思わせる、動きのゆっくりすぎるメトロノームに催眠術をかけられるかのように感じ、現実の慌ただしい生活に支障をきたしそうになるからである。時速200キロでも出せる車を持っているのに、asinus silvam spectatといったロバの例文などを読まされた日には、調子が狂いっぱなしになる。ネルチンスク条約の正文が、中国語でもロシア語でもフランス語でもなくラテン語だった、というのは驚きではあるが、そもそもこの言語はすでに死語であって、21世紀の現在、バチカン以外で使っている場所はまずなく、実用性に乏しいと言わざるを得ないからでもある。外国の空港のアナウンスがラテン語だったら、誰もその内容を理解できずにその空港の機能は麻痺するだろう。
「謹聴。搭乗セムト欲スル旅人ハ、急ギ二十八番搭乗口ヘ参集セラレタシ」
稀にしか見られない現象ではあるが、冬に屋根の上で風に吹かれて表面の雪がロールケーキのように巻き取られて太巻きに成長して行くように、ラテン語、ローマ帝国、ガリア戦記、と類推が進んで行って、私はもし高2で習った世界史の試験を今抜き打ちでされたら何点取れるだろうか、と人生の段階として、たぶんもはや受験生の立場になることは二度とないはずなのに、一瞬冷や汗をかきそうになった。あの科目の担当は、2学期から別の先生に代わっていた。元の親戚の先生の方は、奥さんがアメリカに帰国して起業することになり、同行移住せざるを得なくなって中途退職し、1学期の終業式に体育館で挨拶をして離任して行った。その同じカシミアの上着を20年以上着ていたという後任の教師の板書の文字まで思い出してしまった。
「高かったけど、教師になって初めてのボーナスで奮発して買ったんですよ、これ。苦労をかけっぱなしだった両親には2泊3日で松島と秋保温泉に行ってもらいました。笹かまぼこをお土産にもらったので、それで生ビールを飲みながら組合の分会の書類をガリ版刷りで作っていたら、4歳も年上のオールドミスの教師から、お酒を飲みながらそんな作業をするなんて労働運動をどう考えているんですかって叱られてしまって、でも結局その女性と結婚することになってしまって、それで娘が生まれて、これがまた可愛くて、、、」
(せんせー、授業中に無駄話しないでくださいね。でも、そういう話ばっかり覚えているのはどーしてだ? それに、がりばんって何ですか?)
高校生の書道パフォーマンスのような派手な書き方はしなかったが、45分の授業であんなにたくさんの項目を小さくごちゃごちゃ黒板一杯書くなよなあ。目に悪い。
「ここのところ、区別しやすいように、ふぁーてぃまなど女性の名前はひらがなで書いておきます」
(透かしにしてもおしゃれだっただろう)。
長年の読書や旅行を通じて、全体としての歴史の知識は増えており、ネット検索すれば正確に人名、国名、年号も再現できるが、こと資料参照禁止の筆記試験となると事情は異なる。到底合格点に及ばないだろう。オレ、医者になってしまっていてほんとに良かった。
第96章 ドイツ留学の祖父の時計 https://note.com/kayatan555/n/n0830937a3945 に続く。(全175章まであります)。
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