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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第144回 第110章 イタリア少年、日本に没頭す

 この新しいクラスメートは、イタリアで2番目に古い大学のある北東部のパドヴァで生まれ育って、テレビでイタリア語吹き替えの日本マンガを毎週見ているうちに、小学校のクラスメートや地域のサッカークラブの仲間たちとは違う形で日本と特別な関係を持ちたいと考えるようになった。かつてマルコ・ポーロが家臣として忠勤した中国の王朝よりさらに東の果ての島国では、家という家のトイレに噴水が仕込んであるのだそうな。赤ん坊なら水の勢いで空中に浮くのではないだろうか。10歳で小学校を卒業して中学校に入るころには、日本への思いは一層強くなって行った。
 植栽の木々もある品川のオフィスビル街を闊歩するビジネスパーソンたち、せせらぎの聞こえる飛騨高山の朝市、祇園の舞妓(はーん!!)、南相馬の野馬追の地響き、知床半島上空を舞うオジロワシ、ぼっちゃんと湯船に入る道後温泉、柳川の川下り、ラーメン屋や居酒屋のはしご、三社祭で重たい神輿に耐える腰痛持ちの締め込み軍団、そして改修なったまだ若い桜の並ぶ段葛から見る鶴岡八幡宮。どこもかしこも魅力的。そんな日本には、イタリアでの自分の退屈でつまらない日常生活とはまったく異なる、光り輝く夢のような特別な人生が待ち構えているのではないか。そう思い始めると、居ても立ってもいられず、自分がなぜまだ11歳なのか恨めしかった。そのうちに、夢にまで日本マンガが登場してしまい、自分もその中で日本語らしき言葉で何やら自然に話しているのだった。授業中でも、頭の中で不意に「にんじゃりばんばん」のメロディーがいったん始まってしまうと、止めるのが困難であった。ああ、日本に行きたい。日本の中学生になりたい。日本の高校に入りたい。日本の首の窮屈そうな学生服を着て、セーラー服を着た日本の女子高生と放課後、手と手、足と足をつないで歩いてみたい。
「歩きにくいわね、これ。あんたが合わせなさいよ」
(「どやって?」)。
 日本の大学生の生活がしたい。合コンにも出てみたい。日本人みたいにスーツ姿で名刺交換をしてみたい。グルメ番組に主役として出演してみたい。内容に不満な稟議書に印鑑を上下逆さまに捺してやりたい。日本のビジネスマンのお辞儀の角度には3種類あるって、お笑い芸人が言っていた。30度、90度、そして370度。いっそ一生日本で暮らしたい。そしてそのうちご臨終。チーン。木魚の音に合わせてエアーダンスをしながら笑顔で天に昇っていく。その姿は誰にも見えない。
 ちなみにその生徒が札幌に引っ越して来る前まで通っていたイタリア北東部の中学校のクラスには移民が4人もいた。昔は、どうしようもない貧困からアメリカだのアルゼンチンだのに、船底にある三等船室(steerage)での雑魚寝で大量の片道切符の移民を送り出していた哀しみと怨嗟の半島は、経済発展から立場が基本的に逆転していた。イタリアは、苔の密生した庭に点々とつながる扁平な庭石が母屋に接する場所のように、EUに難民として入り込むための「弱い環」と受け取られている。
 外国からの転校生たちの中にベラルーシから亡命してきた数学者夫妻の娘たちがおり、その2人の話す英語はやや古風なイギリス英語だった。小学校時代に近所の退職した歯医者さんに習った時の装丁のほつれかかった教材が戦前のものだったのが原因だった。さようでござったか。
 他のひとりはルネッサンスを美化し、イタリアに過剰な期待を抱いているオーストラリア人の両親に連れられてきた歯の矯正中の少年だった。そそっかしい子で、8020運動を誤解して、20歳までに歯を80本生やさなければならないと思い詰めている。いっぺん誰かに聞いてみろよ、そんなに歯の数の多い人間ってひとりでもいるか? いたとしても、顎をヨウスコウワニ(揚子江鰐)のように前にビローンと伸ばさないとそれほどの本数は収容できない。もしできたらできたで、バスや地下鉄に乗るときに周囲の乗客に迷惑である。乗車したいなら、仰向けになってその顎を真上に向けなければならない。首が痛くなるだろう。それに、尻尾の方はどうするの?
 最後のひとりは4代前にエリス島経由でシカゴに近い集落に移民して行っていたイタリア南部出身家系のアメリカからの逆移民(「移民の反対なら、民移?」)だった。名前はミドルネームも含めイタリア系そのものだった。
 ボクらのクラスでにわかに注目の的となったこの生徒が、毎日学校で熱心に日本の話ばかりしていたところ、近くのヴェネツィアで生まれ育った担任教師も少しずつ感化されていった。何かと日本のことが気になるようになり、同僚とのパーティーやデートの時にも、日本酒、それも最近イタリアに紹介されたばかりの辛口の銘柄のものを出すという店を探して行ったりした。ある寿司屋が高いが最近評判だというので、覚悟を決めて暖簾の前で十字を切って入ったところ、唾液が止まらないほどの美味しさにはまってしまって貯金を崩しながら通いつめるようになり、日本人の寿司職人と顔なじみになった。この店では時々日本文化についての講演会を開いており、ある回に出席してみると、東京から某大学国文科の教授がやってきて、横に座っていた6カ国語が話せるという北イタリア大好きベルギー人から、「オランダ語版を読んだんだけど、良かったよ」と言って、日本の『二十四の瞳』の話を聞かされた。自分で読んでいる時間は作れなさそうだったが、その数字が自分が担任をしているクラスの人数と偶然同じであることが印象に残った。あまり褒められた感心の仕方ではなかった。
(「これは是非とも学校で話すべき話題よね」「別に」)。
 数週間が経った。
“Buongiorno a tutti!(みなさん、お早うございます)。先週お話ししておいた通り、今日は中庭で卒業アルバム用の写真を撮影します。健康診断の時のレントゲン写真ではありません。骨だけの写真を撮られても誰だか分かりませんし、クラス全員を写すためには、使うレンズはバケツの直径の高価なもの、カメラ本体も黒板の幅のものが必要になってしまいます。撮影のために校長先生は昨日理髪店に行って来ました。じいさんがやっていても婆ー婆ーと言います。少し難しい話をしますが、共和国法で、校長先生の身だしなみを整えるための費用は公務用の必要経費として免税になります。これで少しだけ節税、つまり、税金が安くなります。えっ、税金ってなんですかって? 年貢のことですよ。あ、それで年貢の方は分かったんですか。小学生時代にローマ水道の遺跡から逆さ吊りにされるなど深刻なイジメに遭って寡黙になってしまったムッツリーニの国民懐柔のための『善政』の一環です。(生徒たちの発声。『えっ、N先生まだ切る毛残ってたの?』)。樹齢120年を超えたオリーブとオレンジの盆栽を前に並べて、この学校区が19世紀から市内で一番日本園芸に熱心なこともアッピールしておきましょう。(いよいよここよ)。このクラスはたまたま24人ですから、皆さん一斉に片眼を閉じてみてください(うまく行くといいわ)」
 この後、担任教師は外国人児童たちに対する配慮として、念のため同じ内容を英語で伝えた。イタリア語からの類推が外れて前置詞と定冠詞の使い方を2箇所間違えていたものの、意味は問題なく通じていた。それでいいのだ実務の英語は。それ以上望むのは外国人には贅沢だし、学習努力の限界効用が甚だしく逓減していかざるを得ない。何か別の対象に能力、資金、時間を向ける方が賢明である。いつありつけるか分からないプルーフリーディングで何十ドルかを稼いで、次の外国に移動しようと算段しているビンボーな英語ネイティブスピーカーのバックパッカーの臨時収入の口を減らしてしまうことにもなる。こうして、クラス写真は変な仕上がりになってしまった。それも右目を閉じたり、左目を閉じたり、両方閉じてまぶたに片方の目を描いたり(ダルマのつもりか)、一人は両目を閉じて、肩を組んだ隣の児童が両目を開けたままだったり、なぜかついでに下あごを前に突き出したりで、真面目さの欠けた集合写真になった。題してVentiquattro occhiであった。
「うまく行ったわ」
(錯誤でごんす)。

第111章 イタリア少年への叔父さんの影響 https://note.com/kayatan555/n/nd10e23637969 に続く。(全175章まであります)。

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