【私をつくる音楽】#4 名もなき詩
ここ数週間の日曜、日テレでドラマの「過保護のカホコ」が再放送されていた(観たことのない方へ概要をざっくりと説明すると、過保護に育てられた大学生のカホコが、恋をすることをきっかけに少しずつ自立していくという話だ)。
私はリアルタイムではこのドラマを観たことがなかったのだけど、何の気なしに再放送を見ていたらカホコの家での会話が、私が実家に住んでいたころのうちの家族の会話にそっくりでビビった。先日母と会って話していたら、母もドラマを観ていたらしく、「うちの家での会話が盗み聞きされていたんじゃないかと思ったくらいそっくりだった!」と言っていたほどだ。
そんなわけで、私はカホコまではさすがにいかないが、それなりに過保護に育てられた。見るべきテレビ番組は決められていたし、大学に入っても厳しい門限があった。出かけるときは誰とどこに行くのかも必ず詳細まで話さなければいけなかった。そして、親と周りの大人たちに敷かれたレールの上をひたすら歩くように育てられてきた。中学で日本に帰ってきたとき、入学する学校はもちろん、入る部活も「英語が使えるところで」と英語劇の部活に必然的に入部することになった。大学受験の時も、私が気になっていた大学以外の大学(父が卒業した大学)を記念でもいいから受験しろと言われた。奇跡的に受かったのだが、今度は絶対その大学のほうが社会に出たときに有利だからとその大学に入るように促された。大学に入ってからは、オリエンという、いわば色々なサークルのお試し期間中に体験入部していた音楽サークルで使う楽器を担いでいた日にたまたま母校に遊びに行ったら、学校の先生から「一度決めたサークルならそこで4年間通して頑張りなさい」と言われ、そのままそのサークルに入ることが決定した、といった具合だ。
しかし、私はカホコのように優しい性格ではなく、格段にたちが悪かった――大人たちに敷かれたレールの上で不具合があったとき、私は決まってそれを大人たちのせいにした。例えば、中高時代の英語劇の部活では、私の代の入部者は少なく、どちらかというと「ダサい」部活だった。だから私は部活が嫌だった。そして、その数少ない同学年の部活友達の一人が、部員を一人ずついじめていた(その子も今となってはそんな片鱗もなかったかのような優しいママになっている。若さって怖い)。当時の私はその子が嫌いで仕方がなく、高校2年生の春に部活を辞めてしまった。その時、私は部活でうまくいかなかったことを親のせいにした。自分の意思で入ったわけじゃない、親に勝手にこの部活に入れられたせいで私の貴重な青春時代が奪われたた、と。
大学に入って、楽器のサークルに入ったときも似たようなものだった。私の入ったオーケストラは、経験者と初心者がそれぞれ入っていたけれど、大半は経験者で構成されていた。私は初心者で入ったので、当然のことながら、周りと比べると演奏がとても下手だった。それが恥ずかしかった。恥ずかしかったから、忘れようとした。忘れようとしたから、練習をしなかった。練習をしなかったから、下手だった――という無限ループに陥り、当然ながら、サークルが楽しくないと感じることが増えた。そしてそれを、今度は「入ったなら続けろ」とあの時言った高校の担任のせいにした。
そんな感じでずっと、何かがある度に誰か(主に親)のせいにするような生き方をしてきてしまったように思う。社会人になって、就職の時にもっと視野を広げておけばよかったと思ったときも、将来自分がどうしたいか考えろと言わなかった親のせい、あのとき短期留学を反対した親のせい。旦那さんと大喧嘩をしたときも、「この人と結婚すればきっと幸せになれると思う」と言っていた親のせい。究極的には、人生でうまくいかないことがあると、すべては中高時代の多感な時期を過保護に育てられたことで私の「自分で考え、成長する」機会を奪った親のせい、と思うようになってしまっていたのだ。
確かに親は、子供をある程度導いたあとは、子供が自分で考え、成長できるように促す責任は多少はあると思うし、うちの親は他の家庭と比べて私を過保護に育てたほうだったと思う。とはいえ、私は自分で考える機会を完全に奪われていたかと言うと、そうではない。中高時代に好きだったバンドも、着ていた服も自分で選んでいたし、もっと言えば親が「英語劇の部活に入れば?」と言ったのはあくまで助言であって、従うか従わないかは私自身が決められたはずだ。
大学ではたくさんの面白い授業を受け、たくさんの価値観を持った面白い人たちに出逢うことができたから、勧められた大学に入ってよかったと心から思っている。これは親の助言に従うことが必ずしも悪いことばかりではないことの良い例だし、そもそも私自身が最終的には決めて入学したことで得られた結果なのだ。結婚した旦那さんだって、私が自分で決めて結婚をした人であることには違いない。
究極的には、私の人生で上手くいかなかったことはすべて考える機会を奪った親のせい、ではなく、親の助言を聞いた上で私自身が自分で考えて決断した結果なのだ。上手くいったことだけを自分の手柄にして、上手くいかなかったことを他人のせいにばかりしていては、私自身の成長はない。
息子が生まれてから、息子と家に2人きりで社会から隔離されている気分になり、自分の人生でやりたかったことや夢はなんだったっけ、子供が生まれた今からでも間に合うのかしらと日々焦燥感のようなものに襲われるようになった。そして、私はこの人生を望んでいたのだろうか、と不安がよぎり、このような人生になったのはすべて若いころの自分を取り巻いていた大人たちのせいなんじゃないか、という被害妄想を日々感じてしまうようになった。
でも、自分でこれを書いていて改めて思うが、全ては私自身が選んだことで、私が選択した結果だ。この結果は、良いことばかりではないかもしれないけれど、悪いことばかりでも決してない。今ある幸せは自分が作り上げた結果であるし、今足りていないと感じている部分はこれから満たすために何ができるかを考えればいい。
中学時代、学校が辛くなったときによく聴いていたミスチルの曲。当時の私は当時の自分なりに解釈して励まされてきていたけど、大人になった今改めて聞き返すとまた新たな気づきを与えてくれた。きっと私は自分で作り上げた「自分らしさ」の檻の中でもがいていたのだ。それが分かった今、できることはただ一つ。「他人のせい」にして檻の中でもがき続けることをやめて、自分の力で檻を破ることだ。
◆本日引用した曲
Mr. Children「名もなき詩」