63日目 / ジョージ・フロイドさんと木村花さんの死につながるもの
毎日の自分への課題 集計結果(ポモドーロテクニック採用)
英語、ドイツ語訳、日本語、執筆。読書。ウォーキング。夕食は、レタス入りチャーハン、冷凍白身魚フライ、マッシュポテト、ほうれん草のピューレ(冷凍)。
今日は社会問題について少し真面目なことを書きます。よろしかったらお付き合いくださいませ。
私は毎日ネット新聞を読み、日本、ドイツのニュースを欠かさず見たり、聞いたりしている、わけではない。むしろほとんど読んでいないし、毎日の課題をこなすのに、あつ森をするのに時間を追われ、ラジオをつける回数も減った。
それでも、そんな私の耳にもジョージ・フロイドさんの死をきっかけとした黒人デモの報道は入ってくる。実際、ベルリンでもデモがあり(参加者約15,000人、ミュンヘンでは20,000人)、本当にそれだけ、この問題は大きいし、根深いのだと痛感する。それに今現在デモは12日間続いている。
さすがに私も、この現状に興味を持ち、在米邦人の方の動画や、ブログを読み、そして、このデモの背景が——現在までずっと白人によって同じ社会で、同じ権利を持って生きることを虐げられてきた黒人たちの怒りと悲しみと、未来への不安が爆発した——ものだと知った。
そして、最近特に、一人の警察官によってこの理不尽な死をもたらされたフロイドさんのことを考える私の頭の中には、同時に、心無い誹謗中傷の犠牲となって自ら命を絶った木村花さんのことが浮かぶのである。
正直、私は彼女の訃報をネットニュースで見て、初めて彼女の存在を知った。
だから、彼女について個人的に何も語れることはないのだが、私がこの二つの事件を通じて、二つの国の反応にものすごく大きな差があるな、と感じたことだけを書いておく。
木村花さんの事件の直後、ツイッターにて「誹謗中傷」に関してのツイートがかなり多く見られた。それと同時に、プチ著名人(ネットで名を成した方系)が、「これまで私もクソリプや誹謗中傷受けてきたけど、それみんな取ってあるから、これから裁判していく方針」など宣戦布告なツイートも見かけた。ファン、擁護派によるリプはそれに賛同、支持するもの、煽るものなどなど。
そして、また、実際にネットで赤の他人から誹謗中傷を受けた方が裁判に持ち込み、勝訴した話などもちらほら。とにかく、「泣き寝入りするな」的な雰囲気は漂ってきた。
だけど、その時私が感じたのは、まあ、個人攻撃受けてるんだから、まあ弁護士とともに戦うのは筋っちゃ筋だよな……。でも、なんか最終的には、賛同している人も、応援している人も結局は
個人的な問題、で片付けている気がする。だから、勝訴すれば「よかったね」で済む話。
ここまで読んで気づいていただけたと思うが、つまり、それでこれから誹謗中傷が減るかというと、それないな、という感じ。
結局は人ごとなんだな、と。
対して、フロイドさんの死がきっかけで起きたデモ活動は、ニュースとなって世界に発信され、こんな私にも届き、歴史を伝え、何かを目覚めさせてくれた。そして、「本当に深刻な社会問題」として、意識しなければという種を植えてくれた。
黒人問題はその歴史が長いから、世界で問題にもなるでしょ。と答えを出すのは容易だと思う。
誹謗中傷だって、昨日今日に始まったことはない。そして、誰もが被害者になる可能性があるという点においては、れっきとした社会問題であり、個人の問題では決してない。
実は、私も2chで誹謗中傷を受けたことがある。デビュー作発表の直後だ。
2chってすごい。私がツイートやブログで発言したことから、勝手にいろいろ憶測されて、勝手にストーリーを作られて、人格作られて、叩かれる。こっそり見ている私はもちろん反論などしないので、サンドバッグ状態でお終い。
レビューでは作品をこれでもかと、こき下ろされていることもあったし。もう、普通に傷つきますよ。普通に。
私は狭いジャンルの、名も無い作家なのでその数は高が知れているし、そのうち話題にもならなくなりますけど、これがテレビに出ている芸能人で、毎日、怒涛のように誹謗中傷のメールや声が届けば、心臓に毛が生えていたとしても死にたくなるのは当たり前だと思う。その気持ちはとてもわかる。
だからこそ、ここでアメリカのようにみんなが声をあげればいいのに、なーんか日本の人って「事なかれ主義」に収まりがちだよな、と思った。
あとは、「大騒ぎしたら、遺族の方が可哀想じゃん。そっとしておいてあげようよ」的な。たぶんだけど。違ってたらごめんなさい。
それこそ誹謗中傷は日本だけではなく、世界の、人間ならきっとなんらかの形で関わる問題のはずで、そんな今こそ木村花さんの死を悔やむためにも立ち上がったらすごいことになっていたんだろうな、と思いつつ、しかし、このアメリカと日本の国民性の大違いって、どこから来るのでしょうか。
とりあえず、この記事をまとめるとすれば、
彼らの死によって何が未来に繋がっていくか、繋がっていかないかは我々の手に委ねられているんだな、と勝手に思いました。
*個人の問題を、自分の問題のように考え、立ち上がる国民性→周りを巻き込んで良くも悪くも変化する。
*個人の問題を個人で解決し、なるべく穏便に解決し、迷惑をかけない→誰も巻き込まないので変化しない。同じ問題は繰り返される。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。