脚本家が作るオムニバス映画MOTHERSからの返礼品が嬉しすぎた件
近頃、脚本家、朗読キネマ及び言葉の楽譜考案者、朗読キネマユニットidenshi195主宰の高橋郁子さんの作品世界にすっかりハマっている。表音語である仮名と表意語である漢字を自在に組み合わせ、他のどの国とも民族とも異なる五、七の組み合わせで生まれるリズム、千年以上前から語られてきた物語や世界で初めて女性が著した長編文学など、日本語でなければなし得なかったことは数多いが、高橋郁子さんの生み出した、そして今も成長を続けていこうとしている朗読キネマの世界もその中に含まれるのだろうと信じている。なので、そんな高橋郁子さんが脚本を書き、監督した映画『夜想』が入っているという、それだけの理由で私はオムニバス映画MOTHERSに少しばかり気持ちを届けた。正直、自分の来し方を思えば、母と娘というテーマは胸にずっしりと重い。私には母を捨てる力もなかったし、母の側にいて正気を保っていられる力もなかった。だから、会おうと思えば会える場所にはいるけれど、会いに行くことはない、という態度で意思を示すのが精一杯だ。そんな私には、MOTHERSを観ることはキツかった。唯一、『夜想』だけが、「母」「母性」を全面に、見せつけるように押し出さずにいてくれたことが嬉しかった。もう、関わらずにいよう、やはり私には「母」は鬼門だと思っていたけれど。返礼品として届いたのは、『夜想』のデジタル台本。しかも、この先オンラインでの解説もあるらしい。嬉しい、嬉しい!
私は右脳が弱くて、視覚も触覚も味覚もあまり強くない上にそれを左脳に伝えるすべがない。唯一、幼い頃から賛美歌を歌い聴き、小学校からピアノとコーラスをしてきたことで、聴覚だけは生き残った。他の感覚器官を通すと、イメージも光も触れた感触も温もりも冷たさも全てがあっという間に無味乾燥な欠片になって、砂のように流されてしまうけれど、耳を通して体に入った音(声)の響きは私の中で増幅したり圧縮したり、好きなときに思い出して楽しめる唯一のものと言ってもいい。だから、台本を読みながら、映画の中に響いていた男と女の声を自分の中に再現して楽しんだ。高橋郁子さん、素晴らしい贈り物をありがとうございました。思いがけない素晴らしいXmasプレゼントをいただきました。