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海外移住1年で下した「私らしくない」決断とは

Kayのその決断は、一般的に認知されている「家庭とキャリアは両立できない、女性は家庭の役割を担うべき」という固定概念を強化することになると思う。

ついに新しく設置されるリーダーポジションの公募内容が明らかになりました。

上記は、私がこのポジションには応募しないという決断を公言した際に、同僚からの一言です。

リーダーポジションについてはこちらの記事もご覧ください。

部署内で誰かが昇進するこの大きな動き。ざわつきは増していて、さり気なくお互いにさぐりをいれている様子が見受けられます。

そんな中、応募しないと決断した私の心は、とても穏やかなのです。

もちろん、この決断は容易なものではありませんでした。

私はとにかく前進あるのみ、というタイプ。「大企業に勤めて、順調に昇進して…」という王道ではありませんでしたが、海外で学位を取り、海外駐在して、現地採用でヨーロッパに家族で移住して、常に自分の興味を追求して、前へ、前へ進んできました。

しかも、私の中で、将来的に管理職に就き、女性のキャリア形成に一役買いたいというのも、就職してから、どこか念頭にありました。

目の前にあるチャンスを、可能性が低くても挑戦しないというのは、「私らしさ」からいうと、かなり反した決断でもあるのです。

でもなぜ心穏やかなのか。それは今私が、強く必要としているもの、欲しているものが別にあることに気がついたからなのです。

それは、心の安寧。

2023年4月に海外移住を思いついて、力の限り走り続けて1年半。

オーストリアに来たことに心から満足し、日々の学びに充足感を得て、来れて良かったとしか思えないのですが、幸福感に欠けた日々も多かった気がします。それは余裕がなさすぎるから。

もう少し、笑って過ごせる日々がほしい。

特に、家族の前で。

家族と過ごす時間に、疲れてなく、精神的に余裕をもたせ、もっと笑っていたいと願っているのです。

そのため、同僚に応募しない理由として「家族をもっと優先したい。」と言ったのですが、その返答として冒頭のことを言われたのです。

家族が優先なのは誰だって同じ。リーダーのポジションについたって、休むときは休むし、より多くの時間を仕事に充てるわけではない。だから挑戦したっていいんじゃないの?

10歳ほど若いブラジル人の同僚は、リーダーポジションに興味があり、私も応募すれば、ライバルになるにも関わらず、応募を促してきました。

そして、彼女の言い分はごもっともで、反論の余地はありません。彼女のまっすぐな誠実さはとってもありがたいものでした。

成功とは

この決断に至る一つの大きな要因に、こんな詩との出逢いがあります。私の恩師がなんとも言えないタイミングで送ってくれました。

Success

To laugh often and much;

to win the respect of intelligent people and the affection of children;

to earn the appreciation of honest critics and endure the betrayals of false friends;

to appreciate beauty, to find the best in others;

to leave the world a bit better, whether by a healthy child, a garden patch or a redeemed social condition;

to know even one life has breathed easier because you have lived.

This is to have succeeded.

Ralph Waldo Emerson


成功とは

頻繁に、そして心から笑うこと。

知恵ある人々の敬意を得て、子どもたちの愛を感じること。

誠実な批評家の賞賛を受け、偽りの友からの裏切りに耐えること。

美を愛し、他者の中にある最善を見つけること。

子どもを健康に育てるか、小さな庭の手入れ、あるいは社会の救済によって、ほんの少しでもこの世界をより良くして去ること。

自分が生きたことで、ひとつの命でも安らかに息をつけたと知ること。

これが成功というもの。

ラルフ・ワルド・エマーソン

この詩を読み、どこに強く自分を投影するかは、人によって、そしてタイミングによっておそらく異なるのだと思います。

私が今一番必要とし、欲しているものは「頻繁に、そして心から笑うこと」なんだと感じたのです。

子どもの教育への興味関心

また現実問題、私の心の余裕を持つことで、未来の可能性が大きく広がるチャンスも見えてきました。

小学校に入学し、教育に興味がシフトしたという記事も以前掲載したのですが、今後どういう動きをするか徐々に見え始めてくる中で、一つ大きいのは10歳というタイミング。

オーストリアでは、小学校5年生というかなり早期な段階から大学進学コースか、技術者育成コースの大きく2つに別れます。

多くの家族は大学進学コース(Gymnasium)の中高を目指すのですが、私たちの場合、大学進学コースに入れる学力が保てると、地域の国際バカロレア認定の中高一貫校に入れる可能性が高く、しかもこの地域は学費が無料という環境。

全くそれ狙ってここに来たわけじゃないのですが、こんな恵まれた環境はなかなかない…

結果どうなるかはわかりません。息子がそんなに学問に向いてない可能性だってあるし、その前に何かしらの理由でこの地域を離れる可能性だってある。

ただ、知的能力は低くなさそうだし、順調に行けばそんなに非現実的なことでもないように思えます。

そんな中、私が、できることはなにか。

私の感情が安定して、子どもたちの前で常にハッピーであることだと思うのです。

それさえあれば息子の学力は勝手についてくる気がするのです。

残念ながらドイツ語が分からない私は、多くの科目を教えることができません。だとしたら、親として最低限与えられるものは、安心できる家庭環境なのではないかと思ったのです。

あと、保護者たちとのコミュニケーションもとても重要。

言語の壁がある私にとって、保護者たちと良好な関係築き、必要な情報を得ていくことは、かなりクリティカルなのです。

この関係構築も、時間と心に余裕がないとなかなか簡単ではありません。幸運なことにすでに連絡を取れる家族が数家族おり、放課後、お宅におじゃますることも。

おじゃまばかりしてるのも気が引けるので、こちらも呼ぶこともあるので、そこに裂かれる労力も少なくありません。

世の中のお父さんお母さんたちは、こんなロジをこなしていたのかと今更ながら、圧巻ですが。

現状維持=後退?

キャリアの現状維持はつまり後退を意味するともよく言われます。実際、年月が経つのに同じ場所に立っているというのはそういう側面もあるのは確かです。

チャンスを掴まないと、置いていかれる…

もうこんな機会はないかもしれない…

次に進む一歩が、恐怖心からくるプッシュであることも少なからずあり、そのために日々の仕事も追い込みながらやることが多々あります。

でも、こんなこともふと思い出すのです。

そういえば、オーストリアという素敵な国に住んでるんだった

せっかくオーストリアにいるのに、日本にいたときみたいに、恐怖心にも似た焦燥感からワーカホリックになるのは、なんだかもったいない気がする、と思うのです。

救急搬送されたエピソードも掲載しましたが、その数日後、実はオペラ公演の予約を取っていて、何ヶ月も前から楽しみにしていたのに、結局いけませんでした。

その日は、中・東欧で広く被害があった洪水の影響もあり、天気も悪いし、公共交通機関も完全に麻痺するしで、本当にタイミングも悪く…

お金を損したというより、自分がその場にいられなかったことが悲しすぎて、元々体調が悪かった上に、さらに精神的にやられました。

オーストリアにいるからこそできる余暇の時間を心ゆくまで堪能したい。

すでに白くなりかけてる息を、子どもたちと楽しみながら、通学路を歩きたい。

この宿題どういうことだろう?と親子でああでもないこうでもない、と言いながら解いてみたい。

そんなことをやっているうちに、キャリアにおいても次のチャンスはやってくると信じています。

一旦、前進するのストップ。とはいえ、日々のタスクは何一つ減ったわけではないんですが(苦笑)

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