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野心的になる東南アジア、内省的になるヨーロッパ

こんにちは、オーストリアの研究機関で勤務しているKayと申します。

先日、出張ではじめてシンガポールに行ってきました。例の通り、子どもと1週間も離れる切なさと夫への罪悪感で、目に涙をたっぷりためながらウィーンを発つのですが、経由先のドーハに到着した途端、ネガティブな感情が一気に吹っ飛びました。

実は、このドーハ・ハマド国際空港は、10年以上前、私が中東に駐在していたときに、訪問した場所。当時はまだ建設中でした。

日本の建設会社、大成建設が関わっていたということから、この視察は今は亡き安倍元首相のカタール訪問に合わせてカタールの日本大使館が訪問プログラムを組んだものでした。

妙にデカくてめちゃくちゃ怖い総理秘書官たちに怯えながら、信号が全部青にされたドーハの道を車列が走り抜け、建設中の空港に到着後、まさに大名行列の1番後ろに、完全にオマケの立場でくっついて現場を視察しました。

埃っぽくて薄暗い建設中の現場に、古いスーツケースが大量に積まれ、ラゲッジの仕分けテストを行っている様子をみたり、すでに設置されていたアイコニックな巨大な黄色いクマの像が異様な雰囲気を放っていたのを覚えています。

巨大クマ

オープンしてから約10年。キラキラでギラギラになった空港に、完成後初めて降り立ったとき、ふと、夫がたまにいう言葉を思い出しました。

いつか中東に戻る気がするんだよなあ。

私は「冗談でもやめてくれ(笑)」と言っているのですが、空港で湾岸の民族衣装をきたおじさんたちをみると、なんだか愛おしく思ってしまったり、ドーハやアブダビ辺りなら夫の言うこともありかもな、なんて思ってしまうのでした。

そして、最終目的地シンガポール到着。

真冬の氷点下から、ほぼ赤道直下の真夏の世界へ飛び、テンションはだだあがり。日本にいたときあんなに嫌だった湿度さえも嬉しい。

「こんなに大量のアジア人、久しぶりに見るんだけど!」という私のコメントに白人系の同僚は爆笑し、私は妙な安心感を得ながら滞在しました。

シンガポールが英語圏であること、日本人に見た目が近い東アジア系の人種が多いこと、中国語も併記されているので、駅名やメニューなどぱっと理解しやすいこと、食事が断然美味しいこと…などなど、とにかく過ごしやすいシンガポール。

ドン・キホーテ、ダイソー、高島屋、伊勢丹、スシロー、ここは日本かと思うほどで、それでいてマレー系、インド系も多いので国際的な雰囲気もあり、快適すぎる。

仕事もとてもうまく行き、週末はプライベートステイを追加して1泊延長することに。そしてそのプライベートステイでのハイライトはロンドン大学院時代の友人との再会でした。

現在国際機関に勤め、東南アジアのある都市に家族と住んですでに4年ほど経つ、私より少し年上の彼女。私の出張に合わせてわざわざシンガポールまで来てくれたことで実現した再会。

彼女は、日本にいたらおそらく人生がクロスすることはなかったであろう、いわゆる高学歴のエリートでした。ただ、当時は某省庁で官僚として勤務し、ロンドンでの国費留学中に私と知り合った彼女は、どこか自信なさげな印象を持ち合わせていました。

そんな彼女が、今回見せた姿は、美しく、凛として自信と希望に満ち溢れたものでした。

ご主人は主夫として帯同し、小学生の子どもたちは健やかに成長し、仕事もとにかくやりがいがあるようで、まさにリア充の生活を送る彼女。ロンドン時代のどこか遠慮深く、様子を伺うような雰囲気はなくなっていました。

この変化はなんなのか。それはほかでもない、東南アジアのこの可能性に満ちた雰囲気に影響されたのだろう、と気付くには時間はかかりませんでした。

シンガポールに着いてから感じていたのが、街の活気、賑やかさ。冬のヨーロッパから来たことも相まって、温暖な気候による開放感。

この4年ですっかりこの雰囲気に飲み込まれ、野心的に行動ができているのだそうです。国際機関は、契約が数年単位だったり、雇用が不安定なケースが多いのですが、「だからなに?」と思える強さを身に着けたとか。安定中の安定の省庁勤めの当時を考えると彼女自身にとってもありえない変化だそうで、すでに次のキャリアアップも考えており、メラメラ感に溢れていました。

一方の私は、ヨーロッパの雰囲気に染まり、すっかり内省的に物事を考えるクセがついてしまいました。さすが哲学者や心理学者が多く輩出された地域なだけあります。

本当の幸せとはなんなんだろう、と考える日々、最近まで時短さえ考えていたキャリア、などなどを伝えると、友人は「えええええ!Kayが!?」と驚きを隠せないようでした。

私たちは、生まれ持った性質や興味、行動パターンなどは割と近いものがあったように思います。育った環境、能力も異なったため、その時々で選択するものが異なりましたが、やはり一旦はクロスした私たちの人生。必然だったのでしょう。そんな2人の約5年ぶりの再会は、お互いにとってサプライズとなりました。

なんでも出来てしまう気がする、東南アジアの熱気。食事の美味しさもあり、すっかり気に入ってしまった私は、オーストリアに帰国後、早速夫に伝えました。

「ヨーロッパの次は、東南アジア移住、良いかもよ」と。

「まあ、オーストリアの年金受取に必要な加入年数越えてからなら良いんじゃない〜」

とあっさり同意。ある意味現実的で、でもやっぱりちょっとぶっ飛んでる夫。次はどこに住もうか考えてる時が夫婦でテンションあがることにも気づきました。将来的に東南アジア(もしくは中東)移住のオプションをどこかに持ちつつ、引き続き穏やかなオーストリアの生活を楽しむというのは、なんだかめちゃくちゃいいアイデアな気がしています。

ちなみにこちらの同僚は、私がシンガポールですっかり楽しんだ様子を感じとり、すぐ転職してしまうのではないかと、気が気でないようです(笑)

このギラつき感はウィーンにはありません…

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