SIX『Ex-wives』と『SIX』の訳詞が良すぎるという話

久しぶりのこういう投稿ですが。

ミュージカルSIXの日本版歌唱動画がアップされましたね。
元々、SIXのEx-wivesが好きすぎたので、即、動画を見まして、
訳詞の天才さに横転していました。
ということで、何が天才なのか、まとめてみようと思います。

こちらは本国の『Ex-wives』キャストレコーディング版・ブロードウェイのオープニングナイト版の公式動画と、件の日本語歌唱版。

歌詞はあまり直接書かないようにするので、適宜ご参照くださいね。

Divorced, Beheaded, Died, 
Divorced, Beheaded, Survived. 

オープニング曲の、この最初の『名乗り』を英語のまま残すの大天才。
すごく雰囲気というか、この六人がガールズバンドを組む、という話なので、その最初の言葉が日本語だとちょっと締まらないんじゃないかなと思います。
そこから、英語のまま、「Japan!」って呼びかけるのも、すごい、海外のバンドが来日公演に来て会場が沸くアレ。
オープニング曲にふさわしいオープニングですよね。

で、そこから。
なんとなくニュアンス交じりの直訳をすると、

「よく聞いて!私にお話しさせて」
「この話、耳にタコって思ってるかもしれないわね」
「私たちの名前、名声、顔、どれも知ってるってわかってるわ」
「そして私たちの栄光も、恥辱もぜんぶ」
「くだらない詩で韻を踏むのに使われるなんてもううんざり」
「だからペンとマイクを手に取ったの」
『歴史は覆されようとしているわ』

それぞれ一言ずつ、この今の状況とそれをどうしたいのかの意思表示をするこのセクション。
天才ポイントは、ブーリンとシーモアの担当している二文。
英語詩だと、「もちろんあなたたち知ってるでしょ(でもホントはそうじゃないのよ)」というニュアンスなのですが、
日本語版だと「まあ聞きかじったことくらいはあるでしょ?(今からちゃんと教えてあげる)」というようなニュアンス。
もちろん英語圏の方々は、ヘンリー8世の恋愛遍歴は歴史などで習っていて、みんなの常識。でも日本では違う。
世界史でちょっと習うかな、くらい。知らない人の方が多い。
だから、「聞いたことくらいあるでしょ」というニュアンスの訳、天才なんです。

訳すの難しいと思うんですよほんとに。
一人でこの7行を歌ってるならもっと訳しようがあると思うんですが、一人12音とかで切っていかなきゃいけない。つらい。
最後の『歴史は覆されようとしている』なんて、10音ですからね。訳した後は11音になってますが。
パーの一行と六人で歌う一行、合わせてちゃんと意味が通って、原詩の要素もちゃんと残ってるので、本当に天才。

『でも、あなただけに今夜、私たちはライブする』

それぞれの妻でなくなった理由、英語だと一単語一音ですが、もちろん日本語ではそんなことはできないので。
でもうまくリズムに乗っていて、いいですよね。
そして、ライブ!のところ。原詩だと2音・2音・2音・3音・3音・1音、という区切りで音符が並んでいます。
ちゃんと区切れる訳になってる~~!!もちろん意味も通ってる~~!!!
もちろん、原詩の、「Divorced, beheaded, died」「Divorced, beheaded, survive」に掛けた「divorced, beheaded, live」の言葉遊びはできていませんが。そんなのは仕方がない。無理や。

『ようこそ私たちのショーへ、histo-remixへ
流れを切り替えよう、接頭辞を加えることで
みんな知ってる、私たちが6人の妻だったことは
天井にぶち当たるまで屋根を持ち上げよう
私たちが明らかにする真実に備えてて
みんな知ってる、私たちが6人の妻だったことは
でも今私たちは"元"妻たちなのよ!』

Histo-remixは直訳でも訳せない造語なのでアレですが。
割と直訳とは違うんですよ。でも、言ってることは一緒で。
英語ならではの言葉遊び的な部分、踏みまくる韻が消えた代わりに、
日本語的な暗示・隠喩が増えているような気がします。
(原詩は本当に韻を踏みまくっていて本当に気持ちいいので見てみて)
「既に死んだ6人の妻たちが、現代に蘇ってライブをする」というスーパー設定をこれでもかと内包している訳詞。うーん、天才。流し見して忘れてたような私たちのことを今ちゃんと見直してみて、そんで金輪際忘れたりしないでって、オープニング曲で言われたら、もう、降参ですよ。

「私の名前は「キャサリン・オブ・アラゴン」
結婚して24年、私は模範的だった
王族のね、私はバチカンに忠誠を誓ってるの
だからもし私を捨てようとしたら
二度とそんな気は起こさないでしょうね」

それぞれの妻の史実としてのバックグラウンドは、今回の記事とは趣旨が違うので割愛します。
まー、この歌詞を見るに、ものすごく信心深い方で、かつ、勝ち気な感じがしますね。
さて、訳詞。これも、直訳の内容は半分くらい捨ててます。ただ、重要なポイントをクローズアップするような訳。
実際、キャサリン・オブ・アラゴンとヘンリー8世の離婚は、宗教的な問題が多く、なかなか苦戦したようです。
ちなみにバチカンはカトリックの総本山。この離婚騒動で創設されたイングランド国教会は名前の通りイングランドが総本山なので、その辺も含まれた歌詞です。
天才ですね。

「私があのブーリンの女の子
それから、次はあたしの番
見て、あたしはイングランドを教会から追放させたの
ええ、あたしはそれほどセクシーなの
なんであたしは頭を失ったのかしら?
まあ、私の袖は緑だけど、口紅は赤なのよ」

アン・ブーリンは、イングランド国教会創設のきっかけとなった人物でもあります。キャサリン・オブ・アラゴンと離婚してアン・ブーリンと結婚するためには、カトリックではない宗教が必要でした。だから、アン・ブーリンがカトリック(キリスト教)からイングランドを追放させた、と、そういうことです。
「グリーン・スリーブス」は、アン・ブーリンと密接な関係にあるようで、本国の方々にとって、アン・ブーリンといえば「グリーン・スリーブス」だそうです。Wikipediaが面白かったのでぜひ。原詩の緑と赤の対比も素敵ですし、赤い口紅のセクシーさも素敵ですね。
日本語版では、そこまでの要素は含まれていませんが、代わりに「グリーン・スリーブスをくれた」という歌詞になっています。というのも、ヘンリー8世が「グリーンスリーブス」という曲をアン・ブーリンに作曲して送った、という伝説があるのです。
天才ですね。

「ジェーン・シーモア、ただ一人、彼が本当に愛した人よ」
『失礼ね!』
「私の息子が生まれたばかりの頃、私は死んだ
でも私は見かけとは違うわ
いや、そうなのかしら?
ここにいてね、そうすれば突然、あなたはもっと多くのものを目にすることになるわ」

「Rude!」という一言一音を、「へぇ!」のニュアンス一つで表すこの力業、好き。
最初に聞いたとき、「亡くなってしまった」という訳がしっくりこなくて、自分に対して「亡くなった」って言うか?と思ったんですが。別に敬語なわけじゃなくて、「死ぬ」の婉曲表現なんですね。とすると、この女性の柔らかさが十分に発揮されていいですね。
「見かけと違う」「それだけじゃない」のアンサーは彼女のソロ「Heart of Stone」にあると思うんです。柔らかいだけじゃない、あの曲も曲調は柔らかくて女性らしい感じがあるんですが、歌詞はなかなかに芯があるのです。
ただ愛されて、産んで、それからすぐ死んだ、それだけじゃないぞ、という。
天才ですね。

「私はアン・オブ・クレーヴズ(ドイツ語)」
『はい(ドイツ語)』
「私の肖像画を見たとき、彼はこう言った」
『はい(ドイツ語)』
「でも私は肖像画ほどいい顔じゃなかったの
みんな私のことは議論するのにおかしいわね、ヘンリーの小さいXXについては全く議論しないの」

ドイツ出身のクレーヴズの自己紹介はドイツ語。まあ、ドイツ語だと「アンナ・フォン・クレーヴェ」になるらしいですが。
日本語訳でも何となく、ドイツ語自己紹介と同じようなニュアンスの、他と違う感がありますね。
この訳は本当に最終行の訳が好きで好きで。「つーかあたしのことはみんなあーだこーだ言うのに!」っていう。
ちなみに、この「Henry’s little…」の後に続くのは、キャサリン・ハワードの「Prick」。日本語訳でも、「ヘンリーのちっちゃい」「あそ(んでて)」という言葉遊びが効いています。
天才ですね。

「耳をそばだてるのよ! 私がキャサリン、頭を無くしたほうね」
『斬首されて』
「結婚したのに誰とでも寝てたせいで
あなたの夫を閉じ込めときなさい、息子も閉じ込めといて
K.ハワードの登場よ! お楽しみが始まるわ」

訳が一番忠実。本当に、言ってること全くおんなじですよ。同じすぎて書くことないくらい。
そういえば、「Prick up your ears」という映画があります。
アン・ブーリンも姦通の罪で斬首されたんですが、アン・ブーリンは無実だったんじゃないかと言われている一方、キャサリン・ハワードの方は有罪だったと信じられています。この曲では、もう完全に認めてますね。
キャサリンは三人いるので、日本語詞の中でも、苗字まで歌われています。
てか、天才ですね。

「5人が倒れ、私が最後の妻
私は彼の最後を見届けた
私がサバイバー、キャサリン・パー
私がどうやってここまでやって来たのか、知りたいでしょう?
私がどうやってここまで来たのか知りたいでしょ?って言ったのよ」
『私たちがどうやってここまで来たのか知りたい?』

日本語歌唱の動画では、二回目の「I bet you wanna know~」がカットされていますが。
「five down」を「6人目」と訳して音符7つに要素全て入れて訳しあげるこの天才。
「未亡人の」ではなく「生き残った」の方が、「私こそが生き残った者なんだ!」というキャサリン・パーの自負は良く出たかなと思いますが・・・。「未亡人」とすることで、ヘンリー8世から解き放たれた!という感じはありますね。かつ、キャサリン・パーはヘンリー8世と結婚する前に2度結婚していて、どちらも病で先立たれているので、「未亡人である」ことがキャサリン・パーを構成する重要な要素なのかもしれません。
そして、SIX全体の主題テーマに戻る「私のこと知りたいでしょう?」
天才ですね。

そしてここから、ラストソングの『SIX』へ。
本国の動画はこちら。

『私たちが知っているのは、私たちが6人の妻だったということだけ

でも今私たちは、カテゴリーにとらわれない1つの存在
あまりに長い年月が彼の歴史の中で失われてしまった
私たちは自由、私たちの栄冠を手に入れることができる
あと5分間…
私たちは、カテゴリーにとらわれない1つの存在
あまりに長い年月が彼の歴史の中で失われてしまった
私たちは自由、私たちの栄冠を手に入れることができる
あと5分間
私たちはSIX!

あと5、4、3、2、1分間
私たちはSIX!』

まずですね。「We're one of 」「Too many years」「We're free to take」「For five more minutes」と、1、2、3、4、5というカウントアップが内包された歌詞なんですけど、ちゃんと日本語でも「たった一つ」「げずに」「加して」「呼んでる」「あと分」とカウントアップしてるんですよ。しかも、1と5は原詩と同じくちゃんとした数字としての単語、2~4は音が一緒の単語。天才かよ。
訳の意味合いとしてはちょっと違う部分もありますが、でも言ってる内容は大体一緒ですね。
彼=ヘンリー8世のせいで、彼女たちは長い歴史の中で「彼の妻」としての認識で、彼女たち個人のことはあんまり注視されてこなかった。けれども、このショーを行っているこの時間、あと5分で終わるこの時だけは、彼女たちはSIXとして、彼女たち固有の輝きでいられる。
だから、「逃げずに立ち上がって、参加して」なんですね。もうどでかいエールすぎて。泣きます。泣きました。
「We're」が「そう」なのも本当に良くて。「私たちこそが!」っていうのが内包されたこの「そう」!天才。

というわけで、SIXの訳詞が大天才という話でした。他の楽曲も楽しみですね!!

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慧音
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