強みだけ伸ばせればいいね
人間誰しも弱み強みがある。俺の体感だが、日本人は職場や人間関係を含めても、減点方式の民族なので他者の失敗、抽象的な言い方をしてすまないが、他者の弱みをとにかく潰して行こうとする。良い部分は伸ばさないし、伸ばしてやろうとしない。
誰しも欠点はある。それは分かる。出来ない部分もある。それも分かる。だがどんな人間でも良い面はあると思うので、そこを伸ばして行けば何かしら飯を食う種になるかもしれないし、趣味が高じて何かしら形になるかもしれない。
半面苦手と感じている事をやると、強いストレスを感じてしまうのは、恐らく結構な確率で向いていない。向いていない事をしているんだから、そりゃストレスが溜まる。幸福度が下がる。
集団に交じって働けない人間はコミュ障を疑われる事が多いが、恐らく広い範囲でのコミニケーションが弱いだけで、狭い範囲でのコミニケーションはそんなに苦ではないんじゃないかな。まぁ後自分と波長が合う人間は、精神的に楽だよね。
それにASDで社会に入り込めず苦しさを感じている人間は、俗に言う一人でコツコツ系の物事に非常に適正があると思う。ソースは俺だ。自分でもそう感じている。
だからなんだってんだって話だが、強いストレスを感じる事は出来るだけ減らすか距離を取れる様にする。そして自分が伸ばせそうな分野を開拓する。これに早く気付ければ、生きづらい人間は、何かしら道は開けてきそうなものだが。
かといって安易に副業とか言えない。難しいのは分かっているし、失敗する確率の方が高い。出来るならちゃんとした本業がありつつ、プライベートで自分の為に、自分の収入の依存先を増やす行為を出来るなら、それに越したことは無い。
一度副業的な、今思えば真似事に等しかったけど、1年ほどかな、自分なりに睡眠時間を削って続けた事があったが、結果的にちゃんとした形になる前に崩壊してしまった。振り返ればちゃんと戦略を立てられておらず、どんな層を相手にするのかまで絞りに絞れてなかったから、失敗したのは当然だと思う。
ウェブ関連の副業は在庫リスクが無い反面、他人のサービスに乗っかって上前を撥ねているだけだから、失敗した後に残るのは無駄になった時間だけ。だから安易に副業しろとか言えない。
しかしASDの人間は自分の興味のある事は続けられたり、知識が豊富だったり、自然と勉強したり、また、自分なりの思想を他人の需要に合わせて加工し発信したりできる部分が最大の強みだと思うので、こう考えるとある程度うまくいくか行かないかはやってみないと分からないが、本当に自分なりの創作関連、つまりコツコツタイプの事に適性があるんだろうな。
例えば、
・何かしら興味がある分野で物を売るアフィリエイトをする
・書き方や構成を勉強して、少しずつでもいいからウェブ上で小説を書き続ける。
・興味のあるジャンルでの作曲を勉強して、稚拙でもいいからユーチューブにアップし続ける出来る
・何かしら興味のある分野、且つ他者に役立つような内容で、ユーチューブやニコニコ、ツイッチなどに動画をアップし続ける。非常に大変だしリスクがあるし運の要素もあるが需要がマッチすれば、声出しをせずゆっくりやボイロなどでも収益化は出来る。
少し思いつく事を書き出してみただけでも色々とある。が、どれもとても大変だ。物にするまでに時間がとても掛かる。仮に親元に寄生出来ていれば話は別かもしれないが、大半の人間がそうではないので根性論だが、何かしらを始めて自分で何とかするしかないだろう。
創作関連は収益化が出来るサービスが探せば腐るほどあるので、まともに金に成るまで膨大な時間が掛かるかもしれないけど、趣味がてらコツコツ始めてみてはどうだろうか。
それこそ社会に馴染めず、強い生きづらさを感じているけど、現状実家に寄生出来て家計の負担を抑えられているのなら、その時点で現代社会だと弱者の中でチート状態なので、少しずつでもいいから自分の為に未来に向けて強みを伸ばして行けると思います。
世の中の人間、特に年長者の人間は他者の苦痛に鈍感な人間が非常に多いと感じているので、無理にそんな人間達に合わせるのはしんどいでしょう。
もう社会に馴染むほどの努力をしたくない、疲れてしまった、そこまでして働く意味を感じられない人間は、それこそ自分の強みに早くから気付いてその部分を伸ばして行ってほしいですね。もしかしたらいつか大成するかもしれないですから。
聞いたことがある人はいると思いますが、ライスワークとライフワークと言う言葉があります。ライスワークはもちろん生活の為の労働。ライフワークは自分の天職、もとい一生かけてやりたい労働の事を指すそうです。
ライスワークは適度に。正規でしんどいなら生活費を落として、非正規で必要な分だけ稼ぐ。そしてライフワークを見つける。そこを伸ばす。
人間の真の目的は、自分が幸福と思える状態に近づいて行く事だと思いますので、他人が用意してくれた幸福の形は大体が当人の幸福とは違うものなんですよね。まぁ言うは易く行うは難しなので、あまり適当な事は言えませんが、生きづらさを抱えている人間は、少しずつでも自分の理想としている生活に近づいて行きましょう。