誰かの監視下で働くことに強いストレスを感じる人間は、雇用されての奴隷労働に高確率で向いていない

 時たま会社員時代の事を思い出すんだが、誰かの監視下に置かれて働く事に非常に強いストレスを感じていた。思えば真性の社不であるのは確かだと、自分でも強く理解している。

 また、上記の経験から振り返って考えると、他人の監視下に置かれない奴隷労働は長く続いていた。やることさえやっていれば文句は言われない。自分の事だけ面倒を見ればいい奴隷労働の時は、かなりメンタル的に楽だった。肉体的に辛い時はあったが、他人の監視下に置かれて働いていた時に比較すれば全然楽だ。誰でも出来る奴隷労働なので賃金は少ないが、メンタルの消耗が減った分、消費は減る。

 ストレスが減るので貯金も出来る様になる。ストレスの量=消費する金額でこの世の経済は構成されているので、今大きなストレスを抱えながら働いているのに、全くと言っていい程貯金が出来ていないのなら、確実にストレスの量が大きすぎるだろう。

 かと言って、他人の監視下に置かれない労働は、自分で仕事を創るか、もしくは賃金が安く、そして負荷がそれなりにある労働になるので安易には推奨できないがな。時たま腐れインフルエンサーもどきが、無責任に情報発信し、社会に馴染めない人間は自分で仕事を創るべきとか言っている。それもそれで真実なのかもしれないけど、ああいうのはある程度運よく実績を残せた人間だけが言える事なので、大抵の凡人は何か挑戦する前にリスクヘッジを出来るなら出来るだけした方がいいですね。

 他人の監視下に置かれて働くのは、大抵の人間がストレスを感じると思うけど、その中でも人一倍強いストレスを感じている様なら、このまま我慢していても行き着く先は溜まりに溜まったストレスが消費欲を呼び起こし、挙句が何年働いても貯金が無いと言う未来だ。なのでもし今、自分が人一倍他人の監視下に置かれて働くのに、強いストレスを感じている様なら、根本として生き方自体を変える時に来ているのかもしれないね。