仰げば尊し・後編
告別式が始まるまで、斎場の中で流れていた音楽は先生が選んだ曲だったそうです。
詳しくはわからないけれど、「卒業」をテーマに選んだ曲目だった。いわゆる卒業式で歌ううたが流れていた。
音楽が止まり、司会者が大田原家の菩提寺の住職さんを呼んだ。
先生が今日の日の為、自ら故郷・東北の地から呼んだ住職さんがお経をあげる。
ご焼香が始まった。まずは喪主である長男の大田原敬之(のりゆき)さんから。
親族と弔問客へ一礼。
弔問客がとても多いのでご焼香は各自一回、となっていた。
次に先生のご家族、親族と続き一般の方へ。先生の教え子が多かった。
ご焼香が終わり、弔辞を読む時間となった。
弔辞をお願いしたのは二人。
先生が初めて担任となった中学校の一期生、生徒会長だった佐伯政和(さえきまさかず)さんと先生の小学校から大学まで一緒だった親友、小田原恭治(おだわらきょうじ)さん。
二人か読んだ弔辞をなるべく原文に近い形で記しておこうと思います。
佐伯政和さん弔辞
大田原先生、突然の訃報に接しまして未だ私は混乱しております。今日参列している先生の教え子達も同じ気持ちだと思います。
先生とは私が中学へ入学して初めての担任、そしてまさか三年間、私は先生のクラスで過ごすとはおもいませんでした。
私が中3になり、受験のプレッシャーから成績が落ち始め、友人関係も上手くいかなくなり、自暴自棄になっていた時がありましたよね。
ある時,私は急に授業が嫌になり授業中教室を飛び出しましたね。
学校中が大騒ぎとなっていたそうですね。授業の入っていない教員は全員で私の事を探していたと後で知りました。
私が学校の近くの商店街をあてもなく歩いているところを大田原先生が一番最初に見つけてくれましたね。
体罰が当たり前だった昭和の時代、私も先生から殴られて、首根っこを掴まれ無理矢理学校へ戻されるのか!と覚悟して目を閉じました。
しかし、飛んできたのは拳では無く、先生の「佐伯、どうしたんだこんな所で?とりあえずそこの喫茶店でコーヒーでも飲もう」という意外な言葉でした。
二人で喫茶店のテーブルにつき、コーヒーを二杯注文して、先生は私が自分から話をするまでずっと待ってて下さいましたね。
あの時のコーヒー、凄く苦かった。私の人生の初めてのコーヒーだったんですよ。
気がつくと私は泣きながら先生に自分の胸のうちを全て吐き出していました。
そんな私を先生は一切口を挟まずに、私が落ち着くまで、ただただ話を聞いてくれましたね。
あの時の先生との喫茶店での出来事があったからこそ、私も先生のような教育者になろう、と思ったんですよ。
先生は私の人生の方向を決めたんです。
先生から弔辞のお話を電話でお願いされた時は、冗談かと思っていました。
私は先生に、弔辞の話は承りました。ただし
ずっと先の話ですよ?と言いましたよね。
まさかこんなに早いタイミングて弔辞を読む事になるなんて‥。
私は、先生の事だからきっと胃がんの時のように先生のモットーである「気合いと根性で乗り越えろ!」で肝臓がんも克服してくれるのだとばかり思っていました。
こんな事になるなら、先生から電話を頂いた時に会いに行けば良かった‥と今はとても悔やまれてなりません。
最後に、大田原先生。私は先生の様な教師に少しでも近づけたでしょうか?私は先生のような教師になりたいんです。
どうかこれからも見守っていてください。そして今までありがとうございました。安らかにお休みください。
先生の教え子、第一期生・佐伯政和より。
小田原恭治さん弔辞
恭一(大田原先生の事)、お前まだ少し早いだろ?もう少し恭一には根性があると思ってたんだがな。こんなに早く恭一から電話で頼まれた弔辞を読むなんてな。
恭一との付き合いも長いよなぁ。小学校から大学まで一緒なんてなぁ‥。
覚えているか恭一、中学から二人で入部したバドミントン部。最初は俺の方がバド上手かったんだぞ。恭一が悔しがっていたの今でも覚えてる。
たしか中2の夏休み明けぐらいだったか?お前バド急に上手くなったよな。
俺が理由を問い詰めると、恭一お前はサラッと実はバドミントンの強い〇〇工業高校へ夏休み合宿入れてもらったんだ。なんて言いやがって!
どうりで夏休み部活来ないと思ったよ。俺たちの中学のバド部顧問もしらばっくれてたしな。
まったくお前ってヤツは負けず嫌いにも程があるだろう。
それからだな。俺たちはお互いライバル視する様になったのは。常に競ってたっけ。
競っているうちに、俺まで教師になるなんて、思っても見なかったよ。
苗字も名前も少し似てる俺たち。きっと何か宿命のライバルのようなものだったんだろうな。
今は、ただ、ただ寂しいよ‥恭一。
そう遠くない将来、俺もそっちへいく。
向こうで会ったら、今度こそどっちがバドミントン強いか勝負しような。
それまでゆっくり休んでいてくれ。
お前の生涯のライバル兼無二の親友
小田原恭治より。
弔辞が終わり、喪主である長男の大田原敬之さんが喪主挨拶を済ませた。
先生の家族・親族が、先生の棺の周りを囲み、出棺前の別れ花を入れていく。
いつもは気丈に振る舞う奥様の智恵子さんが泣いている。私は智恵子さんが泣いている姿を初めてみた。息子さんの敬之さんも、妹の美佳さんも泣いていた。
家族にとっては先生との最後の別れ。
そしてこのタイミングで、卒業式の歌
「仰げば尊し」が静かに流れ始めた。‥これは生前、先生のリクエストだったのだろう。
告別式の斎場はすすり泣く人達でいっぱいだった。
これは告別式ではあるけど、同時に卒業式でもあったんだな‥と私は思った。
親族により先生の棺は霊柩車へと運ばれて行く。
これから火葬場に向かう先生。この世を卒業して行くのですね。
先生の親族はマイクロバスに乗り込む。
母と私は斎場で先生を見送る事にした。
背後には「仰げば尊し」が静かに流れる。
思えば いと疾(と)し この年月
今こそ わかれめ いざさらば
心から大田原先生のご冥福をお祈りいたします。