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いま、精進潔斎と魂のありようを阪神淡路大震災30年から想うこと

阪神淡路大震災から30年
実は奈良から神戸に来てすぐに被災しました。
高速道路でバスがぶら下がっていたあたりに住んでいたため揺れも倒壊も激しく、凄惨な光景をあちこちで見てしまったのであまり思い出したくないのが本音ですが、少し書いておこうと思います。

揺れる直前に爆弾が爆発したみたいな音が鳴りました。それまでは大きな地震などまるで他人事だったので戦争が始まったのかと思った。そのあとは揺さぶられるまま耐えてましたが(フライパンでポップコーンを煎るみたいな感じ)この時に多くの人が屋根やビルや家屋の下敷きになったのだろうと思います。

幸いわたしが当時住んでいたアパートは無事でしたが、一時避難から戻った時に大きな本棚が寝ていた枕のところに倒れていて、とっさに身体をくの字に曲げたから頭に当たらなかったのだなと知りました。
前夜、祖母が夢に出てきていたのも不思議だった。(寝ているわたしの上から無言で覗きこんでいた)

まだ真っ暗な明け方に散乱する本や食器や家具を乗り越えて裸足で外に出たら、目の前の川から水蒸気みたいなのがザーっと上にあがっていました。暗い中あちこちから色んな人の声がしてきて(何が起きたのかわたしもみんなもわかってない)、夜が明けていくにつれて電柱が倒れていたり、周りのマンションやビルが倒れたり斜めになっていたりしているのが目に入ってきてこれはただ事ではないなとようやくわかりました。

それでも何をどうすればいいかわからなかったので、割れた食器やら倒れた机やらぐちゃぐちゃにかき混ぜられたものをとりあえず片付けようかなとぼんやり考えていたら、ご近所さんに「ここにおったらあぶない、みんな西宮戎神社に集まってるみたいやからそこに行きなさい」と声をかけてもらった。

貴重品を探してかき集めて、服を探して着替えて(寒かったのでなるべくたくさん着て)、ドアを開けたまま(戻ってきた時に万一倒壊しても家に入れるように)すぐ近くの西宮戎神社に向かった。十日戎生まれなのでやはり守ってくださるのかなと思った。

道中はとにかく凄惨で、隣のおじいちゃんの家は1階がなくなって屋根が落ちていたし(後で亡くなられたと聞きました)、すぐ近くの文化住宅では子どもが下敷きなんです、男手がいるから助けてくださいと誰かが叫んでいたし、同時に男の人が「あかん、あれは重機がいる」とつぶやいていたし、辺りはガスの匂いも充満していたし、何の音かわからない破裂音があちこちで鳴ったり、見たことのない角度でたくさんの建物が倒れていた。
1階がなくなってる家も多かった。

泣きながら神社会館まで歩いた。
途中で公衆電話があったので両親に電話しないとと思い(その時はまだ並んでなかった)、電話がつながったとき、
「奈良は大丈夫?!みんな生きてる?」と聞いたら「何を言うてんの、そっちがえらいことになってるんやで、神戸で地震やねんで」と言われてはじめて大地震が起きて震源地が神戸だったのだと知った。

神社会館にはすでに多分200人くらい集まっていて、
大きなテレビがあってみんながそれを真剣に見ていた。三ノ宮の様子や、ヘリコプターで長田火災も映り始めていて、大勢の人が泣きながら見ていた。

うさぎやら犬やら、鳥かごを持ってきてる人もいて、おばあちゃんやら赤ちゃんやらみんなで譲り合いながらとにかく床にぎゅうぎゅう詰めに座っていた。「コンビニへ食べるもん買いに行ったら店員さんが泣きながら「売れるものがもう何もないんです」と言った」と隣に座っていた男の人が話しているのを聞いて、そうか、これからごはんどうしようとその時にようやく気づいた。

すごいなあと思ったのは、西宮戎の近所には商店街があったので直ちに自警団が出来ていて、自主的に周辺の防犯、鎮火、救助に動く人たちのグループと、商店の方々が米や大きな鍋を持ち寄ってすぐに炊き出しが始まったこと。
お昼ごろには、食べなさいね、とおにぎりもくださった。この地域は素早く一般の皆さんが動いておられた。(昔ながらの共同体って大事なんだなと思い知った。この時はまるで役立たずでしたが今なら少しは動けるのかな。そうありたい)

それでもこれからどうなるんやろう、とものすごい不安になっていたら、夜になって弟と父が突然避難所に現れた。
明け方の公衆電話のあとすぐに出発して、奈良から10時間ほどかけて通れる道を探して迎えに来てくれたらしい。ここには多分おられへんから一旦奈良に避難したほうがいいと言われた。2人とも途中の道の凄惨な様子を見てきたらしく泣いていた。

わたしは本当に幸運だったのだと今でも思います。
深夜に奈良に戻ったら母が熱いお風呂を用意してくれていて、靴下を脱いだらガラスの破片が何ヶ所か足の裏に刺さってました。一日中気がつかなかった。

未だに少しの揺れでフラッシュバックもするし、
天命と諦めて手放す心持ちも少しは出来ているのかなと思いますが、2025年大難あれば小難になりますように。
それでも人間ひとりひとりの魂のありようはさらに問われていくのだろうと思います。

多くを手にし、多くを生産し
多くを消費する時代はもう終わってる。
空の様子、
山の様子、
海の様子、
田畑、
野生動物、
周りで何が起きているか?

今年は年明けから何も見えてこないというか、
イメージがあがってこない感じです。
(他にもそんな方ありますか?)

2025年は以前にも増して天地宇宙の下で、
静かに種をまいて生きていたい。


二見興玉神社まで
誕生日を迎えることができるありがたさと(生まれたからには死ぬということがくっついている)、新しい1年を始める前に体と心の澱みを取っておきたいということで禊祓いに行ってきました。

こちらは伊勢参詣の際にはまず行っておく場所
と言われている禊場です。
行きの山間部は雪景色、伊勢上空では虹も上がって寿ぎの様子


この有名な夫婦岩と呼ばれている陰陽石は、
常世(神的世界)と現世(人間世界)との結界(門)として見立てられます。
(人が立ち入れぬ深い海も神界)
そもそも結ぶべき縁はわたしと太陽、
わたしと星という揺るぎなき目当てです。

この陰陽石の向こう側の沖に沈む興玉神石(おきたまのかみいし)という楕円の大石が、実は重要な神の力(星と太陽)の依代になっています。
古代の生活では(見えなくなってますが現代の生活もそうです)本当に当たり前すぎる話ですが、
太陽や星の入射角、いわゆる道が通る、光が射す瞬間に常世と現世が結ばれるということです。
猿田彦と呼ばれる「道ひらき」の力の由縁はここから。



「太一」は北極星
現世を機能させるためには
実は壮大な宇宙的装置が使われています。
何も知らず学ばずにいるから現世が乱世になる。

霊妙なエネルギーを取り扱うには自分の内面を常に精進潔斎、そのように日々過ごされている方々にはほんとうに頭が下がる。
にぎたえとあらたえを織る、
ゆきとすきの御饌儀式などの新たな巡り、
それは何のためか?
そろそろ真剣にもっと重く受け止める時ではないかと感じています。



冬土用あけたら節分、立春
五穀豊穣森羅万象への祈りがまたはじまります。

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