経験値がなんだってんだい!!
巡回発達指導、というものがありまして。
保育現場などにいるとよく聞く言葉です。
あまり馴染みのない方に説明すると、集団生活において発達の遅れや気になる行動をするこの様子を専門的な知識を持った方に見ていただき、その子の姿を共有し、どのような関わりをしたら良いかアドバイスを受けるというものです。
今日はその巡回発達指導があったのですが、専門家の方と話をして色々と気付かされたことを書いておきたいと思います。
受け持つクラスには必ずいた
昨今はクラスに1人以上は発達障害を持った子がいると言われています。もれなく私が担任したクラスでも必ず1人はいました。月に1度、専門家の方と意見交換をして“その子にあった関わり方“を模索していきました。
気になる子への対応の“経験値“だけはあるのです。けれど、その関わりが正しかったのか?という答えは実は出ていないと思っています。
誰かに言語化して説明するとなっても、経験談を伝えることにとどまってしまい、明確な根拠を持っていないという。これが厄介。
最近、【数値化の鬼】という本を読んでから、尚更“根拠“を持たせた説明を心掛けるようにしている私にとって、経験談でしか説明できないのはちょっとな…と。
自分の思い込みではないのか?
保育室からいつも飛び出していってしまう子がいるとします。
“落ち着きのない子だなぁ“と。
このような姿が続くと自分は“何か発達障害の特性があるのではないのか?“と疑ってしまいます。これは自分の中にある経験値だけで判断してしまっていると思うのです。思い込みと言ってもいいかもしれません。
今日専門家の方と話をしていて、自分はそのような思い込みで子どもたちを見ていた節があるように感じました。
伝わっているようで伝わっていない
何度言っても、聞いてるのか聞いていないのか分からない子。
“分かってて聞いてないふりなのか“
あるいは、
“聞いてるようで全く聞けてなかったのか“
これだけで保育者の関わり方はだいぶ方向性が変わってきます。
聞くことで情報処理をすることが苦手なら、視覚で情報を補えるようにすればいい。言われてみれば簡単なことなのに、なんで試さなかったのだろう。というか、これまでもスケジュールを視覚するなんてやってきていたのに。
あぐらをかいていた
手を抜いていたわけではありませんが、心のどこかで“言葉で伝われば1番ラク“って思ってしまっているんですよ。
“何度も伝えれば分かってくれるはず“
そういう子もいるでしょう。けれど、何度も伝えても分かってくれなかったら…
その子は変わった子?発達障害の疑いのある子?
色んな方法を試してもいないのに、自分の主観や経験値だけで判断するのは違う。
“こうしたら変わるかも?“
“この方法を試してみよう“
と仮説を立てて多角的に子どもたちに向き合う姿勢を忘れていたのです。
まとめ
これまで多くのカウンセラーの方とお話しする機会はありましたが、今日お会いした人からもまた色んな考え方を教わりました。
また来週からも子どもたちと向き合うことが勉強になりそうです。