
卒園アルバムと、ゲシュタルトの穴
1月が始まり、はや半月。1年が始まったたなぁと長期的な目で何かを始めようと思う一方で、3月には卒園式があるわけです。意外と行事に追われるのが年末年始明けてからの3ヶ月。それが終わったと思ったら新年度。目まぐるしいですね。笑
卒園アルバム
卒園児に渡すアイテムとして、園から卒園アルバムをプレゼントしている園はどれくらいあるのでしょうか?ほとんどがそうなのかな?私も手作りで作っていた時期もありました。それが負担だったことで、業者に頼むように流れが変わり、少し負担が減ったかな。というタイミングで働く園を変えたのですが、今働いている園では卒園アルバムありません。これも保育者の負担が大きかったから、とのことです。
どうせ作るなら、どうせプレゼントするなら…と手を掛けてしまいたくなるんですよね。その裏で、そこに使った時間が別の業務に支障をきたしているわけで、どこかで穴埋めをしなくてはならない。そんなサイクルです。
だから写真業者に頼むスタイルになった時は、だいぶ楽になりました。写真の選別などの作業は残ってましたけど。
今の環境は作らなくていいので、気持ちはだいぶ楽です。月ごとに写真販売はしているので、それが代わりになってくれているのかな?と思っています。
もし今後、また作るとなったら
でもこの写真販売に関していつも思うのが、
“画像データが主流の時代に、現像した写真を欲する人がどこまでいるのか“
ということ。実際に、クラスでは購入している人、少数なんですよね。
あと卒園アルバムってどこまで大切に保管してくださっているのか分からない。“せっかく作ったのに“という制作側の思いと、貰い手の“処分しにくい“のぶつかり合いが起きてたりしないのかな〜とか考えたり。(考えすぎ?)
そんなことをぼんやり考えていたところで、ゲシュタルトの穴という考え方を知り、これって卒園アルバムにも上手く転用できないかな?と思ったんです。
ゲシュタルトの穴理論とは、心理学のゲシュタルト心理学における概念で、全体像から一部が欠けたときに、その欠けた部分を補うように全体像を認識する傾向を指します。
空っぽのアルバム
考えた仕組みは以下のようになります。
①入園時に質感の良い、中身が空のアルバムをプレゼントする。
②月ごとの写真販売にて、各家庭で購入してもらい、それをアルバムに入れていく
③年度の途中で園からも集合写真などをプレゼントする
④それらで埋めていくことで、卒園までにアルバムを完成させることができる
①は質感の良さにこだわります。アルバムとしてでなく、インテリアとして置けるのも良いと思うので。デメリットは費用がかかるのと、誰が負担するのか?
②は写真販売業者のメリットにもつながります。課題は、写真を撮る側の個人の枚数の把握とか?
③集団生活だし、そういう写真があってもいいよね
④卒園アルバムではないけれど、園で過ごした日々を振り返るアルバムを完成させられる。各家庭によって差は生まれそうですが、コンテストを開催するわけではないので…
要するに、
空っぽのアルバムをプレゼントして、写真を入れたくなる衝動に駆らせて、写真の購買を促進する。購入した写真を家族で話しながら埋めていく作業を楽しんで、卒園までの軌跡のアルバムを作ってみましょう♪
となります。ディアゴスティーニ的アルバムとでもいいましょうか。笑
卒園アルバムとは呼べないでしょうが、被写体の子ども、それを撮影する保育者、写真を埋めてく保護者の三者一体で作っていく。
なかなか面白くないですか?