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菫 4
某月5日 日中
「柿崎さん」
「あ…、宮前さん………。その、先日はすみませんでした」
「大丈夫ですよ。それに、元はと言えば彼女に心配をかけた私のせいですし」
「彼女さん…、手、大丈夫でした?」
「ああ、…まあ、少し痛めてましたけどね。――軽くヒビが。でも、手が使えない彼女の世話をするのも幸せなんです」
「そう、ですか。お幸せなんだったら…」
「それより、柿崎さんもせっかく特区に来たんです。今日は勇気を出して頑張って下さいね」
毎月各地方からやって来る移住希望者も、月初の5日までにはおおよそ出揃う。そこで毎月5日に商店街の公民館で行われるのが歓迎会と言う名の婚活パーティだ。
新規移住者や、様々な事情でパートナーと別れてしまった既存の居住者はここで自分の願望を共に満たし合えるパートナーを探す第一歩を踏み出す事になる。また、ここで先輩居住者から特区での暮らしについて話を聞く事も出来る。
様々な願望を持つ人間が集まって来る特区ゆえ、会場の雰囲気はまさに「何でもアリ」だ。ドレスコードも特に設定されてはいないので、人から見られる事に快感を覚えるらしい女性は、全裸で会場に現れ衆目を集めた。
パーティの開始を告げる居住者代表の宮前の挨拶の後には、風船が割れる事に性的興奮を覚えると言う男性が出て来て、自分の服の中に仕込んだいくつもの風船に、装置で一気に空気を入れ破裂させると言うパフォーマンスをしてみせた。
そうして始まったパーティだったが、柿崎は一人会場の隅に立ち、談笑する人々を眺めていた。
こう言う特区の、こう言う場所に来て、未だ踏ん切りがつかないで自分から声をかけられない人間は少なくない。ここに集まった人間は、自分の持つ性質のせいで周りとの軋轢を生んだ経験を多かれ少なかれ持っている。だから皆、自分を抑え込む事に慣れている。抑圧される事に慣れ、消極的なのだ。
だが、そんな柿崎の下に一人の女性が現れ、声を掛けて来た。黒髪の、どことなく清楚な印象を与える女性だった(服は着ている)。
「こんにちは。パーティ、楽しんでますか?」
「あっ、こんにちは。…えと、そうですね、……まぁまぁ?」
「あはは、私も、まぁまぁ、です」
「そ、そうですか…」
「さっき、いきなりハサミ持った人に、『髪切らせて下さい』って言われちゃいました。なんか人の髪を切るのが興奮するんだとかで…本当、色んな人が居るんですね」
「そうですね」
「ホラ、あそこの2人なんか、女の人に見える方が男性で、男の人に見える方が女性、なんですって。お互いに異性装?させるのが趣味ですごく気が合うんですって」
「それは、羨ましいですね」
「男の人なんて、私より化粧上手いから、コツ教えて下さい、って聞いちゃいました」
「あはははは」
「あはは………、………」
柿崎が感じた清楚な印象とは裏腹に、かなりぐいぐいと話しかけて来るその女性はしかしそこで風船がしぼんだように、言葉を詰まらせ、視線を泳がせ始めた。何か言いにくい事があるように時折柿崎の方をちら、と見るばかりだ。そんな気まずい沈黙に耐え切れず柿崎が先に口を開く。
「……あの? どうしたんですか?」
「あ、ごめんなさい。……あの、その怪我……どうされたんですか?」
「え? これですか? これは…」
鶴橋、と名乗るその女性は、柿崎のやや腫れの引いて来ている左目に視線を送る。その視線は心配半分、そうではないもの半分と言ったところだ。
詳しい事情は省いて怪我の経緯を簡単に説明した後も、鶴橋は柿崎の傍から離れようとしなかった。何か言おうと口を開いたかと思えば何も言わずに顔を背けたり、俯いたりしている。
そこまで来て柿崎もようやく、鶴橋はきっと自身の性癖について語りたいのだ、と気付いた。自分がどんな人間かを話したくて仕方ない、けれど受け入れられなかったらどうしよう、と言う葛藤。
鶴橋のそんな姿に、健気でいじらしいものを感じて声を掛けようとした柿崎だったが、それは阻まれた。鶴橋が、自らその性癖を語るべく意を決したように顔を上げたからだ。肩もわずかに震えている。
「…隠しててもなんなんで、言っちゃいますね。―――私、血を見るのが好き、なんです」
「えっ…血を……?」
「ごめんなさい、引いちゃいました?」
「あいえ、そんな事は……。むしろ全然、聞きたいです、話。ここは、そう言う場所だし」
「ホントですか? 勇気出して話しかけて良かったー!」
医療従事者だった鶴橋は、その職に就く前からはたしてそうだったのか、職に就いて後天的にそうなったのかは定かではないが、ある時、血を見て昂奮する自分に気付いた。
それに気付いてからはその衝動を抑える事が日に日に難しくなり、結果、心身の健康を損なってしまった。また、そうでなくとも血見たさに医療事故を起こす可能性も捨てきれなかった為に離職し、この特区の話を聞いたのだと語った。
それを話し始めた瞬間、最初に受けた清楚な印象とも、次いでおどおどしていた態度とも違う、アンバサダーの仕事に誇りを持つ宮前のような人間的魅力を、柿崎は鶴橋の中に感じ取った。
そして何かに弾かれたように、柿崎は鶴橋に詰め寄った。
「あ、あのっ! 鶴橋…さん!」
「…っ、…はい?」
「もし、血を見るのが好き、なんだったら…あの…、わたっ…僕の話も聞いてくれませんか!」
某月5日 夜間
「莉奈ちゃん、大丈夫?」
「………」
「莉奈ちゃん」
「…え? あ、ごめん、何? つーくん」
「この映画、莉奈ちゃんが一緒に観たいって言うから観たのに…眠いの?」
「あ……ごめん。…ごめんね? つーくんと観るのがイヤとか退屈とかそう言うのじゃ全然なくって、すごく楽しみにしてたし今も楽しいって思ってるし、一緒に居てくれるだけで嬉しいって思ってるし…………私、寝てた? ごめん、つーくん、傷ついた? ごめん」
「……大丈夫だよ。傷ついてない。僕も莉奈ちゃんと居られて嬉しい。幸せ。ずっと好きだよ。ただ、心配してるだけだから。眠いなら無理しないで映画はまた明日観よう? それで良い?」
「うん…ありがとう。………ごめんね?」
「大丈夫だよ」