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そこにあるガイア~偶像の構造色~ 4




「ありがとう、ございました…」

「ありがとうございました…」


ヒメコが解雇されてから暫くして、噂は嘘のように収束した。だがもう何もかもが遅い。残されたいぶきとアニャンゴだけではこの状況を立て直す事が難しいとの判断から、事務所は掛橋少女を正式に解散させた。

今後についてはまた折を見て連絡するとの事だったが、正直もう声がかかるかどうかも怪しい。いぶきとアニャンゴは、もう戻れないつもりで頭を下げ、事務所を後にした。


二人は言葉を交わす事もなく、ただ帰りの方向が同じと言うだけで並んで歩き、同じ電車に乗った。車内は込み合っており、二人は並んでつり革に掴まる。何かに掴まっていないと倒れてしまいそうなほど、二人の顔は暗い。そんないぶきの視界に、ある車内広告が飛び込んで来た。


「あ…レイン……、メジャーデビュー決まったんだ…」

「そう、みたいだね…」

「……そうだ!サキさん!サキさんに相談してみよう!あの人は、俺たちの才能を買ってくれてたんだ!今の事務所を辞めて、サキさんの事務所に入れて貰えるように……」

「その事、なんだけど……」


起死回生の妙案が思いついたと生気を取り戻すいぶきに、アニャンゴは鎮痛な面持ちで口を開いた。
それを聞いたいぶきは、電車のそれとは違う足元の揺れを感じた。今まで信じていたものが崩壊するような、そんな感覚を。


「は……?ミヨさんがこの噂をバラ撒いた…?レインのリーダーが…?」

「…そうかもしれない、ってだけだけど…。でも、私たちの騒動の間、サキさん、一度も私達に連絡して来なかったでしょ?」

「そんなの、別に忙しかっただけかもしれないし、こんなよく分からない噂に下手に首突っ込んだらサキさんのイメージだって悪くなるから…」

「そう、サキさんのイメージが悪くなるんだよ。サキさんがいぶきに近づくと……」

「あ…………」


メジャーデビュー目前にまで迫っていたレインボートレイン。その大事な時期、どんな些細なスキャンダルの芽も摘んでおきたい。その為には不動のセンターであるサキに男性の影などちらつかせる訳にはいかない。サキがいぶきの事をどう思っていようが、サキは女性で、いぶきは男性。

レインボートレインが掛橋少女とツーマンをして、もしもサキが男と同じ控室で着替えをしていたなんて噂が出回ったらレインボートレインには致命的だ。だからサキがいかに掛橋少女とのツーマンを希望しても、それを実現させない為、ミヨが噂をばら撒いたと考えられる。

ミヨは、掛橋少女の男女混同の控室を見て『そう言う』反応をしたのだから。


電車がひとつ、またひとつと駅に停車する度、車内の人が少なくなって来る。並んで座れる席に、二人は腰を落ち着けた。正直、現実に押し潰されそうで、立っている事が出来なかったのかもしれない。


「アーニャは、どうするんだ。これから………アイドルは……」

「…わかんない。でも……しばらく休みたい…」

「そうか……」


ヒメコといぶきの騒動の間に、関係のないアニャンゴも相当な悪意に晒される事となった。それは、アニャンゴの自尊心を深く傷付けた。

アニャンゴにかける言葉が見つからない。あと一駅で、アニャンゴは電車を降りてしまう。謝れば良いのか、励ませば良いのか、笑顔で別れれば良いのか、このまま別れるのが良いのか。

何か、何か…と視線を泳がせるいぶきの目に止まったのは、先ほどから視界に入っていながらも意識していなかった、何も書かれていない、車内広告と呼べるかどうかも分からないただの、真っ黒い紙。それは、レインボートレインの広告の隣にあった。


「なんだ、あれ………―――広告、か?」

「ああ、アレはね…」


それを説明しようとしてくれたアニャンゴだったが、電車は、彼女の降りる駅に到着してしまった。
夢の終わりが来てしまった。そんな感覚にいぶきは支配されていた。


「いぶき……私…」

「よせよ、もう『いぶき』じゃない。…俺たちは、終わったんだ」

「…そう、だね……」

「じゃあな」

「うん、元気で………―――― …、また…」

「…ああ。またな…」


ホームに降りたアニャンゴが、いぶきを見送ってくれたかどうかは分からない。青年は、ただうつむく事しか出来なかったのだから。





それからどうやって帰って来たのか記憶はないが、青年は自宅のアパートに居た。二年前、夢はこの部屋から始まった。あの頃は部屋いっぱいに満ち溢れていた希望が、今はもうない。

照明の灯っていない暗い部屋。
この世で一人きりのような感覚。


「……くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!……くそっ!」


ベッドに倒れ込むようにしながら拳を振り下ろす。何度も何度も拳を振るっては下ろす。スプリングが軋む音がする。それでも構わず、怒っているのか泣いているのか分からない声を上げながら、青年はベッドを殴り続けた。

ドン、と壁を蹴られた音がする。
隣の部屋の住人のようだ。苦情だろう。

いっそ隣の部屋に怒鳴り込んで住人と殴り合いでもしたい気分だった。だがもう何もかもがどうでも良い。青年はそのまま瞼を閉じた。もう何もかも忘れて眠ってしまいたかった。



眠れない。
眠れる訳がない。
眠ってしまって目を覚ましたら、明日は何の為に生きれば良いのか。もう目指すべき夢はない。夢を失って生きていける自信が青年にはなかった。



青年は別れ際のアニャンゴの言葉を思い出す。あの時彼女は何か言おうとしていたのではないか。それは何か。分からない。分からないが、アニャンゴは休みたいとは言ったがアイドルを辞めたいとは言わなかった。

勝手に夢が終わった気持ちになっていたのは青年だけ。
まだ、夢は終わりではない。また一からやり直せば良い。


「こんな事で、夢を諦めてたまるか………」


情報収集。こんな時こそアニャンゴを見習って情報収集だ。きっと彼女もそうしているに違いない。青年はSNSに目を通し始める。





「こんなとこにも。…結局これ、なんなんだ…?」


よく見ればSNS上にもただの黒い画面が広告として差し挟まれている事に気付いた。もしかして今までも目にしてはいたけれど、認識していなかっただけのかもしれない。これは一体なんなのか、アニャンゴは知っているようだった。

自分ももっと見識を広めなければと、青年は黒い広告をタップした。
リンクしたURLへと飛ぶ。そこは動画サイトだった。


「なんだ…これ……―――――コイツら、何、やってんだ…?」


そのページでは、やはりただ真っ黒な、何も聞こえない動画が配信されているだけだった。それなのに、凄まじい勢いでコメントが流れて行く。


サイコー
かわいい
ふつくしい
かっこいい
とうとい…
エロい
イケメン
イケボすぎる
ロリ声ハァハァ…
えちえち


このページに訪れた人間たちは何を見てそんなコメントを流しているのだろうか。奇妙、そして奇怪な光景だった。

その瞬間、部屋に着信音が鳴り響く。


「うおっ?!……びっくりしたぁ……」


帰って来てから電気を点けるのも忘れて、暗い部屋で黒い画面を眺めていた。そんな時に突然鳴り響いた着信音に思わず身構えてしまった自分に呆れながら青年は、誰からの着信かを確かめる。


「え……」


それは、青年の父からの電話だった。











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