そこにあるガイア~偶像の構造色~ 5
青年は武道館のステージ裏に立っていた。
会場は観衆で埋め尽くされている。
父と息子は、そこで二年ぶりに対峙していた。
「父さん…」
「息子よ。今こそお前が受け継ぐのだ。このガイアシステムを…」
「その、自分が考えついたみたいな物言いはどうかと思うよ、父さん…」
「だってカッコ良かったんだもん、ガイア。地母神のように全ての人類の欲望を受け止める感じもするし…な!…………いいや、違う。そうじゃない。私は、謝りたかったんだ………」
「謝るって…そんな…」
「お前がネーミングセンスでこの父を抜いたと言う事実を、あの時素直に認められなくて……結果、お前を傷付けてしまった。本当に、すまなかった…」
「大人げないにもほどがあるよ、父さん…」
二年前、青年が家を出てから。
父は『多重人格アイドルプログラム』改め『ガイアシステム』を用いて自らオンライン上でバーチャルアイドル活動を始めた。
父が考案した、一人一人に最適なアイドル像を投影させる『多重人格アイドル』は瞬く間にネット上で広まり、ゼロから始めて二年で武道館ライブを開催するまでに成長した。
バーチャルアイドル。
アイドルの活動の場はリアルだけじゃない事を失念していた。
青年は、目の前のファンと、自分の周りのアイドルしか見えていなかった。
自分もアニャンゴのようにアンテナを常に張っておくべきだったと、青年は自らの勉強不足を恥じて額をかいた。
あの時、電話口で父は言ってくれた。
掛橋少女の活動をずっと追って居てくれていた事を。
都会で一人戦う息子の奮闘を、郷里から見守ってくれていた事を。
息子がそのまま実力でトップアイドルになれるのならそれでも良い。けれど、人気商売など水物。何かの拍子で今までの信頼が水泡に帰す時が来るかもしれない。その時の為に父は、ガイアシステムを運用し続けていた。
それは決して、否定された多重人格アイドルプログラムの有用性を息子に認めさせようと躍起になっていたからではない。息子が逆境に立たされ、それでもまだ前に進もうとする気持ちが残っているのなら、その力となるべくガイアシステムを明け渡す為だ。
「…けど、本当に大人げないのは、ガキだったのは俺の方だ……。あの時父さんの言っていた事は正しかった…。それなのに俺は意味もなく反発して……」
「もう良い。もう良いんだ息子よ。父はただお前の夢を応援したいだけだ。それは……分かってくれるな?」
「ああ…よく、分かったよ。………ありがとう、父さん」
「よし。ならばステージに立つのだ息子よ」
「ごめん……それは、出来ない…」
父とのわだかまりを解消しても尚、青年にはこの二年、地下アイドルとして活動してきた自負がある。結局、掛橋少女としての活動は潰えてしまったけれど、それでもそこに至るまでの努力なら知っている。それがどれほど大変な事かを。
父は、自分よりも更にその先の先、武道館にまで到達して見せた。父が自分の何十倍も、何百倍も苦労してこの日を迎えた事は想像に難くない。
その努力の結晶を横から掻っ攫うような真似は、青年には出来なかった。父が自分の為にガイアシステムを作ってくれたその想いは痛い程分かる。だがその裏にはガイアを信じ、支えてくれたファンがいる。
今日この日までファンとの信頼を築き続けて来たのは青年ではない。誰でもない父その人なのだ。
「ファンそれぞれに最適な見た目、声、喋り方までを完全再現するガイアなら、『演者』の違いなんてない。ガイアを纏った演者なんて、アイドルを投影させる為の人型スクリーンでしかないのは分かってる…でも、それでも、ガイアを通じて父さんの人間性を見ている人だって居る筈だよ。俺にはその人たちを裏切る事は出来ないよ……だから、父さんが行って。父さんが行かなきゃ、いけないんだ」
「いや、お前でも全然イケるから大丈夫だ」
「…え?」
「ファンを大事にするお前ならそう言うであろう事はこの父には分かっていた。だが心配するな。ガイアを通じて父さんの事を見ている人間など誰一人居ない」
「…っ、そんなの、分からないじゃ―――」
「実験したのだよ。そして実証されたのだよ息子よ」
「実験…?」
「ガイアは今までにも何度かリアルステージでライブをした事があるが、その時父さん、全裸でステージに立った事あるけど誰も何も言わなかったから大丈夫だ」
「なんでだよ!」
「別に見られて興奮するタチとかじゃないから安心しろ。実験だ実験。他にも、父さんじゃなくて親戚のヨシオおじさんに代わりに全裸でステージに立って貰った事もあるけどそれでも誰も何も言わなかった」
「なにやってんだアンタ!」
「アイドルなんて所詮ガワなんだ。本当の中身がどうとかなんてファンは気にしちゃいない。ただ自分の好きな外見をして、自分の好きな性格をしてそうに見えるアイドルだったらそれで良いんだ」
「ふざっ…、ふざけるなっ!」
「落ち着け息子よ。また二年前のあの時を繰り返すつもりか?ガイアシステムは完全無欠、永久不滅のアイドルだ。それがお前の手に入る。この二年でアイドル業界の恐ろしさを味わったのだろう。綺麗事だけではどうにもならないと言う事を。成長しろ、息子よ。そして成功しろ、息子よ」
「くっ…!!」
父の言いたい事も今なら分かる。あらぬ誤解と悪意により掛橋少女、ひいては新矢いぶきとしての信頼を失ってしまった青年には、ガイアシステムは喉から手が出る程欲しいものだ。手を伸ばせば、地に堕ちた信頼など気にする必要もなく、今すぐトップアイドルになれる。
だが同時に、ガイアシステムが中身の人間性など微塵も必要としていない事も理解してしまった。ほんのわずかでもその可能性が残されていたのなら、ガイアの後継者になっても良いと青年は思っていた――――世界に、自分を認めて貰いたい青年には。だが、その望みは絶たれた。
何も知らない(全裸である必要性は微塵もない)一般人ですら完全無欠のアイドルにしてしまうガイアシステム。それはファンにとっては『最高のアイドル』なのかもしれないが、アイドルになりたい青年からすると自己実現ではない。自己の喪失に他ならない。
「父さん、やっぱり、俺には無理……――――」
そう言ってその場を立ち去ろとした時、複数の男性がやって来て青年の父を取り囲んだ。
「上総信一郎さんですね?警察です。全裸でライブを行ったと言う件で少しお話をお伺いさせて貰います」
「なっ、警察…?!」
「案ずるな息子よ。少し話をするだけだ。逮捕などされる訳がないだろう。最近はもっと過激なアイドルだっている。オッサンが全裸でステージに立っていたくらいで逮捕される訳がない。安心しろ」
「ひとつも安心できる要素はないよ!」
「まぁこの際、父の安否はどうでも良い。それよりも…だ。あそこで待っているファンたちはどうなる?彼らは待っているんだ。最高のアイドルの登場を。今、彼らのところに行けるのは誰だ?私か?お前か?」
「上総さん、上総信一郎さん。こっちを向きなさい」
「……父さん、まさか………」
「考えすぎだ、息子よ。良いから行け。今後もガイアとしてアイドルを続けてくれとは言わない。一度だけで良い。ステージに立ってみてくれ。それだけで良い。きっとお前の世界が、考え方が変わる筈だ」
「上総さん、あのね。今あなたは息子さんと話してる場合じゃないの、分かる?」
「父さん……!」
「行け!息子よ!」
「はいはい、行くのはあなたもね。あっちで詳しく話聞きますから」
「う、うおおおおお……っ!!」
警察に連れていかれる父を尻目に、青年は涙ながらにステージへと向かった。父が言うには既に、青年の体がガイアシステムの素体として登録されており、ステージに立つだけで良いと言う。
他の人間が立ってもバレやしない。
本当にそうなのだろうか。
青年は、まだ半信半疑だった。
青年は、恐る恐るステージ脇に立つ。
会場は、無音の闇、だった。
華々しいライトアップも、高揚感のある音楽もない。
ステージを彩るダンサーもバンドも誰も居ない。
世界観を表現する舞台セットも舞台装置もない。
ただ広いだけの簡素な、板の上。
その暗闇の会場を隙間なく埋め尽くすのは、ゴーグルを装着した人、人、人。
「……ええい、ままよ!」
青年が意を決してステージに姿を現した瞬間、怒号のような歓声が会場じゅうに響き渡り、何十倍にも膨れ上がった。
声の波が、青年を圧倒した。
「……………―――っ!!」
観客らは、青年と言うスクリーンを通して各々が別々のアイドルを見ているのだろう。
15000人近い観衆が、同じ空間に居ながら全く異なるものを目にして、そして歓喜している。
異様。
ただただ異様。
分かっている。
理解してはいる。
この中の誰も、青年の事など見ていないと言う事は。
それどころか、観客たちが何を見ているのかさえ分からない。観客との一体感は少なくとも青年には感じない。
それでも。
ただそこに立っていれば沸き上がる歓声。
そこに在るだけで全てが肯定されると言う感覚。
それはまるで、神か何かになったようだった。
ガイアの威容を借り受ければ、究極のアイドルになれる。
父の言葉は、本当だった。
ステージに上がる前、青年はスタッフから、ライブのタイムスケジュールだけを渡された。そこには何分頃にどこに立っていれば良いかと言う指示だけが書かれていた。それ以外は声を発する必要も、ステップを踏む必要もないらしい。
もうじき一曲目が始まる時間だ。
だが、曲目は存在しない。
歌われる曲やその順番さえも、観客によって異なる。一曲目にアップテンポな曲を歌っているガイアも居れば、一曲目から聴かせるバラードを歌っているガイアも居るのだろう。オリジナル曲を歌っているガイアも居れば、カバーソングを歌っているガイアも居るのだろう。ライブは、観客の数だけ、観客の中でだけ、唯一絶対のものが行われている。
指示通りにステージの上を動き回りつつも青年は闇の中でぼんやりと、熱狂する観客席を眺めていた。
異様。
だが、それで良いのかもしれないと、思った。
アイドルに抱く感情の強さなど、人それぞれ。
アイドルに期待するものなど、人それぞれ。
アイドルはこうでなくてはならない、
アイドルはこれをしてはならない、
それは個々人の中にあるもので、けれど他者に、ましてやアイドル本人に押し付けたり出来るものではないのかも、しれない。
そもそも姿が同じアイドルを見ていたとしても、そこに何を感じるかは人によって千差万別。世界の捉え方は、目の前に見えているものではなく、それまでにその人が何を体験して来たかに左右されるところが大きい。
人が体験して来た事。その一生は一人一人異なって当たり前だ。一人一人が異なる様は、必要以上に理解する必要も、受け入れる必要も、共有する必要もない。ただ隣り合って在りさえすればそれで良い。
夜空に煌く星々のように、隣り合って輝いていれば良い。星々の形をどう結んで何を想うかは観測者に委ねられている。
遠く、過去に失われた星の光にすら心動かされるのが、人。
この観客の中にはもしかしたら、アイドル『新矢いぶき』を理想とする人間が居て、今、武道館のステージに立ついぶきの姿を見ているかもしれない。
それはいぶきではなくアニャンゴであるかもしれないし、ヒメコであるかもしれない。
誰かがまだ、ガイアシステムを通じて掛橋少女を見てくれているかもしれない。
その可能性だけで、『いぶき』は救われた気がした。
もう一度。
やはりもう一度アイドル活動をやり直そう。
今度こそ自分の実力でこの場所に立てるように。
父に頼んで今度はアニャンゴもこのステージに立たせてやろう。
きっと、何かが見えるはずだ。
「よ、社長」
「ちょっと、やめてよいぶき」
「だからぁ」
「…あ。ごめん、もういぶきじゃなかったね。なかなかクセが抜けなくて…」
「まぁ、良いけどな。その名で俺を呼んでくれるのなんて、もうお前だけだし」
あれから一年。
アニャンゴはガイアシステムを運用するアイドル事務所『G-IDLES』を立ち上げ、その代表となっていた。そして青年は、別のアイドル事務所に移籍し、名前を変更。再スタートした地下アイドルとして日々奮闘していた。
多忙なアニャンゴとランチの約束をした青年。G-IDLES事務所近くのカフェでテーブルを囲む二人が歩む道は今は離れているが、見ている夢は同じ。
結局、公共の場で全裸になったとは言え、誰の目にも触れていないと言う事を立証した父は、無罪となった。
だが同時に、ガイアシステムの正体が全裸のオッサンだったと言うニュースは、瞬く間に広がり大炎上した。
それでも。
ガイアシステムの有用性は、揺るがなかった。
そもそもガイアは素体が誰であろうとも関係のないシステム。アイドルはバーチャルの中にしか居ない。気に食わない素体は排除してしまえば良い。それで問題は解決する。
むしろ父は、大炎上を鎮める為にガイアシステムから手を引く事でそれを証明してみせた。父は最初からそこまでを想定していたのかもしれない。自らと引き換えにガイアの有用性を世に問い、そして息子に明け渡す事を。
だが、青年はガイアを受け継がなかった。ファン心理からすれば、全裸でステージに立った開発者の息子、しかも根拠がないとは言え、乱交疑惑の持ち上がった女装男性アイドルはガイアの後継者としては受け入れられないだろう、との判断からだった。
青年はアニャンゴにガイアシステムを体感して貰ってから、自身の考えを話した。
ガイアは最高のアイドルをファンに提供するシステムではあるが、アイドルになりたい人間の自己実現を達成するアイテムではない。
だが、『最高のアイドルを体験するアトラクション』としてなら存続出来る。
当初、父の退陣騒動の際には人間にアイドルを投影せずに、それこそスクリーン、或いはマネキンのようなロボットを素体として利用する案も出た。けれど、ガイアを体験した青年は、偽物ではあるが忘れがたいあの高揚感を、多くのアイドルを目指す人間に味わって貰いたいと考えた。
これからアイドルを目指す人たちに、まずは偽物でも良いから最高の表舞台に立つ経験をして欲しい。自分がどこに向かって努力するべきかをハッキリと認識した上で、夢に踏み出して欲しい。最初に体験した最高の瞬間をもう一度その手に取り戻す為に、努力して欲しい。もしも夢半ばでアイドルを辞めなくてはならなくなったとしても、一度は最高の舞台に立ったと言う経験を胸に抱いてその後の人生を生きて行って欲しい。
その夢をアニャンゴに託す形で、青年はガイアから身を引いた。
そこに心残りはない。
唯一あるとすれば、結局あれから一度もヒメコと会えていない事。いつかヒメコにもガイアを体験してもらいたいと、青年は思っていた。その願いも、アニャンゴが青年から引き継いだ。
『G-IDLES』は、ガイアを体験した新人を別の事務所に送り出す事もしていれば、そのまま事務所に留まらせアイドルの育成も行っている。現役を退いたアニャンゴもたまに、素体としてステージに立つことがあるそうだ。
「お父さん、元気してる?」
「ああ、心配いらないよ。なんだかガイアシステムに目を付けた海外の脳科学研究所だかなんだかが、それを応用したシステムを作りたいだとかなんだとか言って引き抜かれて、世界中あちこち飛び回ってるみたい……って、そんなのお前、情報収集しとけよな」
「ごめ~ん、最近忙しくって…」
「まぁ、そうだよな」
「うん……――――それで。用って?」
「ああ、忙しいとこわざわざゴメンな。これを渡そうと思って」
青年が差し出したのは、青年が所属する女装男性アイドルユニット『dressy』の単独ライブのチケットだった。
だがアニャンゴはそれを見て、どこか浮かない顔をしている。
「……………」
「…どうした?」
「もう、チケット買ったんだけど……」
「はぁ?」
「私の情報網、ナメないでよね?」
「かぁ~!流石アーニャ!こんなどマイナーなアイドルの情報まで追ってたなんて!」
「ふふ」
「はぁ~、じゃあコレ、他で捌くか……」
「その必要は、ないみたいだよ?」
「ん?」
「今日は、もう一人呼んであるから。その人に渡してみたら?」
「え…」
青年は、悪戯な笑みを浮かべるアニャンゴが指差す方向に視線を向ける。
落ちた夢の掛橋が、もう一度つながる。