金の斧と欲張りな木こり 2
欲張りな木こりはあまり信心深くなかったので、神だ女神だと言うのはあまり信じていなかったのですが、それでも、そうしたものの教えとされる「良き生き方」をなぞる事によって、あの正直な木こりのように、人々が平和で穏やかに暮らしていける指針になるのは良い事だと思っていました。
だからこの湖の女神は、自分達人間に「良き生き方」を教えてくれる為に、欲に目がくらんで嘘をついた自分の斧を取り上げるのだろうと、欲張りな木こりは確信しました。欲に目がくらんで嘘をつくと言うのはあまり褒められた事ではないと、欲張りな木こりも思います。
では一体、欲張りな木こりは女神にどんな話をしたいのでしょうか。
「女神様。私は先ほど金の斧と銀の斧を湖に落としました」
「そうですね。それは返したはずです」
「はい。返して頂きました。ありがとうございます。ですが、どうして金の斧と銀の斧の時はただ黙って返して下さり、鉄の斧の時だけ、私が正直者かどうかを試されるのでしょうか」
「待ちなさい。それではお前は最初から私がお前を試すかどうかを試す為に、金の斧と銀の斧を落としたと言うのですか。お前は何者です」
「私は昨日、女神様から金の斧と銀の斧を頂いた木こりの友人です」
「確かに昨日、正直な木こりに金の斧と銀の斧を授けました」
「私は友人から女神様の話を聞き、ある疑問が浮かんだ為に、その疑問を晴らす為、今日ここにやって参りました。私は神を試しました。それが不敬だと仰るのなら、神罰は甘んじて受けましょう。私は神を試しました。ある予測を持って。そして今それは確信に変わりつつあります。死ぬ前にせめてそれだけはお聞き届け下さらないでしょうか。私の予想が正しいか否かを」
「なんとも罪深い人間ですねお前は。…それで、それはどんな予想だと?」
静かな怒りを持って神罰を下さんとしていた女神は、一旦矛を収めるように湖のほとりに腰掛け、欲張りな木こりの話を聞く姿勢を作りました。欲張りな木こりもそれに合わせて膝を折り、女神を見下ろさないようにしながら話を続けます。
「女神様は我々人間に、正直は良い行いだと言う事を教えて下さる為、このような事をなさっているのだと思います」
「そうですね」
「そして、正直な者にはその褒美として金の斧と銀の斧を下賜される」
「ええ」
「ただ私が知る限り、どんな時でも正直に生きられる程、人間は強くはない。いえ、そう言う者も居るでしょう。私の友人もその一人です。ですが、そうではない人間は、苦しい立場にあれば欲をかく事が多々あります」
「だから私はそう言った行いを正す為に…」
「はい。仰る通りです。女神様が正そうと思わねばならない程、女神様に導いて頂かなければならない程、我々人間は欲に目がくらむ弱い生き物です」
「つまり何が言いたいのですお前は」
欲張りな木こりは、少し回りくどい言い方をする欲張りな木こりを訝しむような目で見る女神が持っている鉄の斧を手で示して言いました。
「つまり、正直者が金と銀の斧を手に入れるより、私のような者が金の斧と銀の斧に目がくらんで鉄の斧をも失ってしまう事の方が多いのではないかと、そう考えた訳です」
「ほう」
「そしてその場合、没収された鉄の斧はどうなるのだろうか、と」
「お前は、手に入れられるかもしれない金と銀の斧の事よりも、奪われる事になる鉄の斧の行方を気にしていたと?」
「はい。正確には、金の斧と銀の斧の出どころと共に、ですが」
膝を折り続けるよりも楽な姿勢で話して良い、と女神から許しを得た欲張りな木こりは、恐れながら、と一言断った上で、切り株の上に腰を下ろしました。
「鉄の斧が湖に落ちたら、女神様はいずこかより金の斧と銀の斧を持って来られる。つまり、女神様は金と銀の斧を常にいくつかお持ちなのではないだろうか、と」
「なるほど。それで?」
「そこで、私は金の斧と銀の斧を先に湖に落としてみたのです。すると女神様は金の斧と銀の斧の場合はそれだけを、そっと返して下さった。私は金の斧と銀の斧には印をつけていたので、同じものを返して下さったとすぐに理解しました。そして、その上で鉄の斧を落とした時だけ、更に新しい金の斧と銀の斧を携えて私の前に姿を現された。そこから導き出される私の結論はこうです」
「続けなさい」
「金と銀は女神様にとってはいくらでも分け与えて良い程の数をお持ちな、むしろ女神様にとっては価値のないもので、鉄こそが女神様にとって価値のあるものなのではないか、と言う事です」
「私が鉄を得る為にお前たちを試していると?」
「そうです。女神様が我々人間を試すメリットはなんだろうか、と考えました。我々が清く正しい生き方をする事はそんなに女神様にとって喜ばしい事なのだろうか、女神様からすれば我々人間が清いか邪かと言う事は実は大した問題ではないのでは? それよりも我々人間を試す事を通じて得ている他の何かがあるのではないか、と」
「それが、鉄」
「はい。一応は人間を良い方向へと導く為にやられている事なので、正直な人間には金と銀と共に鉄の斧も返される訳ですが、正直者ばかりではないこの世の中、女神様は鉄の斧を持ち帰られる事の方が多いはず。つまりは始めからこれは、女神様が鉄を手に入れる為に始められた方便ではないかと」
そこまでを聞いて女神は、細めた目で欲張りな木こりを見据えました。
「お前の言いたい事はそれで全てですか」
「いえ、ここまでは単なる私の憶測ですから。私が本当に言いたい事は、これがもしも事実だったら」
「だったら?」
「女神様と交渉がしたいのです」
「交渉?」
「はい。女神様の住まう地では、金銀が溢れ返っており、鉄が不足しているのでは? そうでなければ鉄の斧の時だけ女神様が金と銀の斧と持って現れた説明がつかない。よって、私はここに鉄を運んで来て女神様にお渡しし、代わりに私は女神様より金銀を賜る。それにより私と女神様はどちらも得をする、と言う事です」
「かかか、面白い奴ですねお前は。ですがお前の読みははずれです」
欲張りな木こりの話を聞き女神は、感心したように手を叩きました。だが違うと、はっきりと首を横に振ってみせました。湖のほとりに腰掛けていた女神は立ち上がり、欲張りな木こりに背を向け湖の中心へと進んで行きます。そして振り返ると、柔和でありつつも、どこか凛とした佇まいをして欲張りな木こりを見据えました。
「欲張りでいて、けれど思慮深い木こりよ。お前の話、実に愉快でしたよ。ですが私が人間に道理を説く理由は別にあり、鉄の斧が落ちた時だけ私が姿を現す理由もお前の言うそれではない」
「そうでしたか…少しは、自信があったのですが。では、それはどのような理由かお聞きしても?」
「それは……、いえ。お前に言うのは止めておきましょう。神を試した不敬、神を楽しませたお前の機知に富んだ推察に免じて今回ばかりは不問とします。ですが神と交渉をしようなどとは思い上がりも甚だしい。そのような者に神の世の理を教えてやる訳にはいきません」
「そうでしたか。私の考えが合っていたとしても、最初から無理な話だったのですね。失礼ながら信心深くない私です。そうした考えが最初から抜け落ちていたのでしょう。自分の狭量さに恥じ入るばかりです」
「もうここへ来て神を試す事はやめなさい。もう私はお前の前には姿を現しません。これは、お前に返します。鉄不足だなんて、お前に思われないように、です。とは言え、お前は相当に頭が回るのでしょう。人の世の理の中でなら、きっと上手くやっていけるはず。もっと知識を蓄え知恵を磨くと良いでしょう。お前の励みを私は期待しています」
湖の女神が水面に姿を消すと、欲張りな木こりの手には鉄の斧が握られていました。それを見て欲張りな木こりは、どっと疲れが出たようにその場にへたり込んでしまいました。もしかしたら自分が殺されるかもしれなかったのですから当たり前です。滲む脂汗を感じながら、木々の向こうに沈み始める太陽を眺めます。風が、だんだんと冷たく寂しくなっていきます。
「……もう、帰らないと。…でも。」
鉄の斧と、金の斧銀の斧を抱えながら、欲張りな木こりはまたある事を思い付きました。
「鉄のようなものから金のようなものを生み出す。価値の低いものから価値の高いものを生み出す………もし、そんな事が出来たら、それはきっとすごい事なんじゃないだろうか。そうだ。きっとすごい事に違いない」
暮れ始める森の中。
金の斧と銀の斧の煌きが、欲張りな木こりの道を照らしていました。