![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24005480/rectangle_large_type_2_b09c220309ddc2c4521903f7646b840f.jpg?width=1200)
菫 12(終)
12月31日 日中
「今から出してもどうせ明日には間に合わないだろうけどな………――ああ、喉痛い…」
昨夜から突如始まった女性化猛特訓のボイスレッスンの無理がたたって痛めた喉をさすりながら、柿崎は通りにあるポストに年賀状を投函していた。それは両親へ宛てたものだった。
柿崎は、たとえ今回の計画が上手く行かなくとも次への希望は抱かず、自殺するつもりでいた。不退転の覚悟で挑む、一回限りの、命をかけた大舞台。だからこそ輝ける生の美しさがある筈だ。勿論、何もかも上手く行って莉奈に殺されればそれが一番ではある。だが莉奈と言う女性は、駄目だったらまた次…と言う生半可な覚悟で挑んでいい相手ではない事は先日、いやと言うほど思い知らされたばかりだ。
自殺用の毒が欲しい、と頼んだ時にも平沢はいともあっさり取り寄せると約束してくれた。
今から自分は死ぬ為に残りの短い人生の時間を使い潰して行く。その時にふと浮かんだもの。それが両親の顔だった。だが決して、ここまで自分を生んでくれてありがとうだとか、そう言う言葉を告げたかった訳ではない。そもそも特区に来るにあたって、特区外では死んだ扱いになる為、今生の別れは既に済ませて来た。これ以上語る言葉はない。
だからただ、謹賀新年、とだけ不格好な字をしたためてそれ以上何も書かずに投函した。それに何の意味があるのか、柿崎自身も分からない。いたずらに親を心配させるだけかもしれない。それでも、なんとなく、本当にただの思い付きで年賀状を書いて出した。
自宅に戻る道すがら、その意味のない投函行動に強いて取って付ける理由が浮かんだ。一年の終わりに年賀状を書いて出す。そんな今まで特区の外で当たり前に続けて来た習慣をなぞる事によって、新年を迎える気持ちを自分の中で作って行こうとしているのかもしれない。
来年こそは良い年でありますように。
そんな風に思った柿崎の、その日の夜の行動はもう決まったようなものだった。
12月31日 夜間
商店街の外れにあるビルの屋上。その隅にある、昔の土地開発の際に移動させられたと言う神社。小さな社殿と賽銭箱、飾り程度の鳥居が設けられたその場所は、特に誰が参拝に来ているでもない、けれど柿崎は初詣の為にこの場所を訪れた。
「柿崎さん、お待たせしました」
「鶴橋さん、すみません、こんな日にまで付き合わせてしまって…」
「良いですってば。お礼は…」
「はいはい、血ですよね。了解です」
「柿崎さんも私の扱い方が分かって来たと言うか雑になって来たと言うか…」
「まぁまぁ、もうすぐ年が明けてしまうので、お参りしましょう、お参り」
「明けましておめでとうございます、鶴橋さん」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「特区には神社もお寺もないですけど…聞こえるんですね、除夜の鐘が」
「そうですね。特区の外の、どこかのお寺の鐘の音…でしょうかね」
「僕らの煩悩の数は百八個なんかじゃ利かないですけね」
「あはは、確かに。…ねぇ、柿崎さん。柿崎さんは何か神様にお願いごと、しました?」
「そりゃあもう、バッチリしておきましたよ。 ―――立派な女の子になれますように、って」
「わぁ。それはなんとも男らしい…いや、女らしい、って言ったら良いんですか…ね?」
「どうなんでしょうね、あはは」
「ねぇ、柿崎さん」
「なんですか」
「やっぱりこんな計画なんて止めにして、私と付き合いませんか」
「……………」
「…うわ。なんでそこで黙るんですか。傷つくなぁ、もう。 ……でも。ちゃんと柿崎さんを大切にします。私があなたを殺します。だから…」
「……ごめんなさい」
「ですよねー」
「……いや、こんな日に呼び出して、二人で屋上で夜景見てたらそうなりますよね。ごめんなさい、鶴橋さん。僕、もしかして鶴橋さんにそう言って貰いたかったのかも」
「えー? わざわざ呼び出して良い雰囲気になって告白させておいて振りたかったんです?とんだ腐れ外道のクソヤローじゃないですか。柿崎さんサイテーです。ガッカリしました」
「はい、そうですね。きっとそうなんだと思います。なんか、自分の生を輝かせるんだ、とかなんとかカッコいい事言っちゃってますけど、僕がやってる事はただの最低な自己満足ですね」
「でも柿崎さん、前に言ってくれましたよね。ここはそんなひとりよがりが許される場所だ、って」
「はい、ですから今日の僕のこのひとりよがりも、見逃して貰えないでしょうか…」
「うーん……じゃあ、左手の薬指ちょこっと切らせて下さい」
「なにその意味深過ぎる場所…」
「鶴橋さん、これ、なんて読むか分かりますか?」
「ん? カオル……じゃなくて、えっと…スミレ、ですよね?」
「はい、スミレ、って読むのが普通ですけど、菫(トリカブト)とも読むんですって」
「トリカブト、ってあの毒の…」
「そうですね。トリカブトの花言葉の中には『あなたは私に死を与えた』ってのがあって」
「えー? もしかしてそれを莉奈さんに贈るって言うんですかー? 趣味わるーい」
「え、あ、いや、贈るって言うか、計画が駄目だった時の自殺用に使おうと思って…」
「ああ、もし仮にダメだったとしてもその花言葉を信じて飲めば、気持ちの上では莉奈さんに殺して貰えた、やったー、みたいな感じ、ですか」
「…ま、まぁ、そんな感じです……やっぱり趣味、悪いですかね……?」
「うん、すっごく。気持ち悪いですね」
「えぇ…」
「うん、やっぱり私、柿崎さんとお付き合いしたいです。そのセンスも治してあげますから」
「い、いえ、ですからそれは…」
「計画実行までまだ時間はある訳でしょ。私、諦めませんから。心変わり、させてみせます」
「ほんと最初に会った時からグイグイ来るなこの人…」
「もうすぐ夜明けですね」
「ご来光ですね」
「寒くないですか」
「寒いですよ。くっつきましょう。あたため合いましょう、柿崎さん。血は温かいですよ」
「…遠慮しておきます。…ところで」
「ん?」
「鶴橋さんは、神様に何かしたんですか、お願い事」
「あー……、そうですね。はい、しました」
「……聞いても?」
「もしあなたが死んだら。その時は血の最後の一滴まで、私が貰いたい、って」
「…うぇ」
「駄目です?」
「……いえ、良いですよ。死んだ後の事なら。僕の血は全部、あなたにあげます」
「ありがとうございます。大切にしますね」