そこにあるガイア~偶像の構造色~ 3
武道館のステージに立つ夢を見た。
それは昨日のアイドルフェスでの興奮が冷めやらぬからだろう。
サキからツーマンの申し出があった後、いぶきたちは掛橋少女の運営スタッフにその旨を伝えた。スタッフの方でもツーマンの実現に本腰を入れて臨むと言ってくれた。
運命の歯車が回り始めた―――そんな感覚があった。
この二年。短かったのか長かったのかは分からない。ただ、アイドルになる為に高校卒業まで耐え忍んで来た事を思えば、この二年は夢のような時間だった事だけは間違いない。そしてこの夢は、眠りから覚めてもまだ終わらない。青年は最高の気持ちで朝の目覚めを迎えた。
自宅のカーテンを開ければ外は曇り空。それさえもどこか希望に満ち溢れて見える。あの雲が晴れれば光が射す。それは今までの努力が報われる瞬間でもある。その為に今日も一日を始めようとベッドを降りた瞬間だった。
スタッフからの電話。今日はオフの筈だが何の連絡だろうか。明日以降のスケジュールの変更か、或いは昨日フェスに出た事により新たな仕事の依頼でも舞い込んで来たのか。はたまたレインボートレインとのツーマンに関するものだろうか。青年ははやる気持ちを抑えず電話に出た。
だがその内容はと言えば、明日以降しばらくは掛橋少女の活動を自粛すると言うものだった。
なぜ。どうして。昨日のフェスは上手く行っていた。そんな時期に活動を自粛する理由が分からないと、青年は電話口でスタッフに噛み付いた。
「は…?俺が、ヒメコと肉体関係……?」
青年は耳を疑った。勿論それが事実無根だと言う事は、スタッフが一番よく分かってくれている。だが、噂が出回ってしまっているのだと告げられた。
「噂…?」
大舞台を終えた緊張から解放された青年は、昨日はフェスから帰ってすぐに眠ってしまい、朝まで目を覚まさなかった。だが端末を見れば、ヒメコとアニャンゴからのメッセージが昨夜の内から何十件も届いていた。
そこにはいぶきとヒメコの肉体関係を示唆する書き込みのリンクや引用が溢れ返っていた。そしてそれは掛橋少女を見たこともない人間の目にも届き、誹謗中傷が時間と共に広まって行く様子が綴られていた。
青年はとにかくヒメコとアニャンゴに、昨夜連絡が取れなかった事について謝りの連絡を入れ、事務所で今後の対応について話し合う為に家を出た。
先程までは曇り空にさえ希望を感じていた青年の心には、今や晴れない暗雲が立ち込めていた。
いぶきよりも先に事務所に到着していたヒメコとアニャンゴは、スタッフと討議をしていたらしい。その討議の内容があまり芳しくなかったのだろうヒメコの態度は、いつもの明るいそれではなく、ひどく荒れていた。
いぶきとヒメコの肉体関係に関する噂ながら、SNS上でのバッシングの矛先は、主にヒメコに向けられてしまっていた。男であるいぶきよりも、女であるヒメコの処女性の方が、多くのファンにとっては問題だったようだ。昨日からずっと誹謗中傷を浴び続けているヒメコの精神はだいぶ限界が来ていた。
ヒメコに頭を冷やして貰い、メンバー間で話して意見を統一したい。同じ想いでやって来た三人で話し合えばなんとかなる。いぶきたちはスタッフ抜きで三人だけで話す事にした。
だが、開口一番飛び出したのは、ヒメコの思いもよらぬ発言だった。
「もう、信じらんない!なんなのよ!あたしがいぶきと寝る訳ないっての!あたしちゃんと彼氏居るのに!」
「は…?なんだよそれ…お前…恋人なんか作ってたのかよ……」
「なによ!いぶきも結局はアイドルの処女性とかクソどーでも良い事に執着してたって訳?!そんな童貞臭い考え持ってるヤツと『アイドル界に新しい風起こせるかも』なんて思ってたあたしってホント馬鹿だったわ!笑える!」
「なっ……、違う…!そう言う事を言ってるんじゃなくて、事務所の規約として恋人はNGだし、俺たちがどうでも良い事と思っていてもファンはそうは思わないだろ、って話を―――」
「ファン?―――今のあたしにファンなんて居る訳ないでしょ!!そんな居もしない連中の事なんか考えてやる必要なんかないっての!アホくさ!何がファンよ!処女じゃなかったら離れて行くヤツらなんて結局ただヤる事しか頭にない豚よ、豚!!」
「お前……、いい加減にちょっと頭冷やせよ!」
「ちょっと!やめてよ二人とも!今はそんな事言い合ってる場合じゃないでしょ!」
「…別に。あたしは本当の事言っただけだし」
「…………」
「それより、私たちが今どうしなきゃいけないかを考えようよ…」
「じゃあアーニャは何か意見あるって言うの?いつも色々情報収集してるんだから、こんな時こそ何か良い案出してよね」
「それは……」
「何も意見出せないクセに優等生ぶらないでよ。こんな時まで点数稼ぎ?―――正直ウザかったんだよね、情報収集とか言ってさ。勉強してますアピールしちゃって」
「そんな、私はそんなつもりじゃ……」
「おい!さっきからなんなんだよヒメコ!周りに当たり散らして……!憤ってるのはお前だけじゃないんだよ!話をする気がないなら出てけよ!」
「あ~……はいはい。そうね。そうですね。あたしなんて別に誰にも必要とされてないあばずれですもんねー。出てけば良いんでし…………ああ。そっか。いぶき。アンタ……あたしが邪魔だったんでしょ。だからこんな噂流して自分がブリガのセンターになろうと…」
「………は?今なんて言ったおい…」
「ちょっとヒメ!いぶき!」
「だからぁ、センターになれないからってあたしを蹴落とそうとしたんでしょ?良かったじゃん、思い通りになりましたよ、っと」
「…なんだって?俺がこの噂を流したって…?そう言ってんのかお前!―――ふざけんなよっ!」
「やめて!やめてよいぶき!」
「離せアーニャ!」
「…アホくさ。あとは二人で好きにやればー?………じゃあね」
「待てよヒメコ!………おい!ヒメコ!」
それきりヒメコとは連絡が取れなくなった。それでもいぶきたちは、ヒメコが戻って来てくれる事を信じて、スタッフにはヒメコの恋人の件は黙っていた。だが、ヒメコを執拗にバッシングする一部の者によってその情報は明るみに出てしまった。
「ファンに秘密の恋人が居たアイドルH、メンバー男性とも肉体関係」
「メンバー三人で乱交疑惑の掛橋少女、その爛れた楽屋裏とは」
噂はもう、どうにもならないところにまで発展してしまった。
結果、運営はヒメコの解雇を発表した。