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ふていがいやのひかり

なんでお前自分の身だしなみに
気を使わないんだよ
ちゃんとしなよ
見てて逆に腹立つ。

とか

眉とか、髪とか
もっと身だしなみは拘って
整えた方が良いですよ
舞台人なんですからりゅうきくん。

とか

お前服のセンスというか
もう少し着る服考えろよ。

とか
そう言えばかなり言われてきて
ここ最近やっと
自分の身だしなみを整えたり

印象とか
心理学的要素で少し考えたり

この服は似合うのだろうか
とか考えたり

筋トレするか
とか

眉毛整えるか
とか

理容室(美容室は苦手です
知り合いがいないと落ち着かない)
行くか
とか

自分の見た目を良くする事
にちゃんと意識を
向けれるようになりました。

みんなありがとう。
本当に今助かってます。
ノンバーバルって大切なんですよ。


今回その辺について考えたんですよ

なんで俺
いつからか自分の見た目に
無頓着になったんだろう
と。

思い出してやっと
分かったことがあって

「かっこつけ野郎」とか
「ナルシスト」とか
「オカマ」とか

あ、小学校上学年くらいから
周りの男子に言われるように
なっていたな、と。

純粋に嫌だったのを思い出した。
めんどくさい
が近かったかもしれない。

正直何もしていなかったし
当時から割とどうでもよかったけど
無作為に生活しているだけで
「格好つけている」
と何人かの男子に
強烈に煙たがられたので

そういえばそれくらいから
自分の身なりを整える事
自分を綺麗にすること
自分を良く見せること
のおおよその逆を
するようになったなぁ
と。

前髪は伸ばした。
それをのれんのように。
他人に俺の目が見えないようにした。

服にこだわりどころか
感性が死んだ。
バランスもクソも無かった。
ボロボロでも着た。
とんでもなくセンスがなく
組み合わせがダサすぎた。
他人の服に興味もなく
他人のオシャレも見てすらいなかった。
自分の認知から外れていた
とさえも思う。

髪の毛や眉毛や
爪や肌すらも
めんどくさいとなにもせず。
綺麗じゃない方が良かった。

姿勢にこだわっていて
いつも「りゅう。姿勢良く。
あと顔出しな、綺麗だから」
とそういえば言ってくれていた
父の言葉を無視した。

「格好つけている」
と言われなくて済むので。

当時の自分に会えるなら

大丈夫今はそれで良いよ
お前だせえから
ちゃんとしろよ
って
服屋に連れてってくれたり
服をくれたり買ってくれたり
美容室に連れてってくれたり
眉毛剃ってくれたり
髪の毛のセットをしてくれたり

そういう風に
俺を良くしようとしてくれる人達が
色々教えてくれるから


手を振ると思う。

運がいい。
結果的に恵まれていたと思う。


言葉はやはり食べ物。

身体はご飯で作られ
思考は言葉で作られ

綺麗な言葉を使いたい。
自分が食べるならまだしも
他人に食べさせる言葉は
綺麗で良いものにしたいと常に。

なので喋った後に
別れたあとに
その会話を頭で繰り返して
日々修正してしまう自分が居る。

想像が行き過ぎて
独り言が出るが。

良くも悪くも
他人に投げかける言葉なんて
だいたい結局無責任なのだから。

どうせ無責任に投げるなら

綺麗なら
それでいい。


写真のトマトガエルかわいくないですか。
めちゃくちゃ欲しいし
握りたい
死なない程度に。

変温動物だから
気を遣わないと
火傷するからね
彼らは人間の体温で火傷するから。








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