読書メモ 「私とは何か」

「私とは何か 「個人」から「分人」へ」
平野啓一郎
2012

分人主義
個人よりも一回り小さな単位として分人という考え方を導入し、近代以降のindividual(=もうこれ以上分けられない)の訳としての「個人」を覆すものである。私達は、コミュニケーションをとる相手によって違う自分がいる。両親の前での自分、学校での自分など、それぞれの違う自分のことを分人という。今までのように本当の自分、偽りの自分という認識するのではなく、それらは全て自分の分人で、我々は様々な分人によって構成されていると考える。

分人は他者とのコミュニケーションの中で生まれる。(他者がいなければその相手との文人は生まれ得ないし、逆も真なり。)

個性がないので職業がみつからない。何をしたいのか分からない。という悩みを持つ若者が多い。そもそも、職業の多様性は社会の必要に応じて生じたものなのに、個性と職業を結びつけようとしても、それは難しい話である。また、実際、個性は誰にでもあるが、実用性のある個性(農業、漁業等)でないと社会はなかなか承認してくれない。
何とかやりたいことが見つかってもそこに就職できないと、その仕事をしている自分は「個性を発揮した本当の自分」ではないと感じながら生きることになる。個性を発揮できる仕事に就けば、同様はある程度鎮まるだろう。他方、仕事が不満でも消費を通じてアイデンティティを確認出来ればいいが、今日の経済状態ではこれも難しい。ネットを通じての活動は、私たちのアイデンティティの安定に寄与しつつある。

自分が嫌いな分人、生きにくいと感じるコミュニティ(での分人)があっても、他に自分が好きになれる分人や生きやすいコミュニティがあれば、そこを足場に生きればいい。嫌いな分人を自分の全てだと思って殺すことは無い。

分人主義において、愛とは「その人といる時の自分が好き」という状態で、他者を経由した自己肯定の状態である。同時に、自分の存在によって相手が自らを愛せるようになることでもある。

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