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霧の夜にラジオを聴いて文章を書き始める

私はランニングを趣味としている。昨日は少し霧が出た夜だった。いつものようにオープンイヤーのイヤホンを耳に駒沢公園を走り出した。いつもはお気に入りのポッドキャストチャンネルを聴きながら走るのだが、今日は新着コンテンツがない。何を聴こうか、と思い出したのは、先日妻の初トレイルランニングレースデビューの帰り道、車の中で偶然耳にしたJ-WAVEである。TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING、ナビゲーターは野村訓市さん。これでもかというくらい低い声と落ち着いた口調。こういう雰囲気を醸し出す大人になりたかったと憧れをすぐに抱いた。私にはどうしても出ないその音域を、モノマネしながら環状七号線を走ったことを思い出したのだ。ウォーミングアップ中のジョギングをウォーキングに変えスマホを取り出す。radikoというラジオアプリであの番組は聴けるのだろうか。あった。先日車中で聴いた放送の翌週分が聴けるようになっている。再生すると大人の雰囲気が21時の駒沢公園に加味された。雨上がりの霧の夜にぴったりのチャンネルだ。私はランニング中に音楽を聴くことはあまりない。曲と脚のリズムが合わず、なんとなく居心地が悪いのだ。人が何かを話している、それを聴いていたり聴いていなかったり、そんな意識の状態を繰り返しながらなんとなく走り続けるのだ。野村訓市さんが書くことについて話している。何もしなかった1日についても何か書ける、慣れだ、と。文章を全く書けなかった19歳の野村さんは受験勉強の小論文の練習を続けたことで書けるようになった。書いてみたいという気持ちに小さな火が灯ったことを感じた。
実は書くことが必要だと年々強くどこかで思っていたのだ。というのも、話下手が加速している気がしていて、その原因はアウトプットする前提で出来事や感情、考え、情報をまとめるということをずっとさぼっているせいだと思っている。何事にもとらわれず中庸でありたいという精神的な志向が心をフラットにしてくれるついでに必要なことまで放棄してしまったのか。どうにもバランスが悪い。このままでは馬鹿になってしまう。それはなんとか避けたいものだ。そしてもうひとつ書く理由がある。私は今年起業したのだが、それは文章を書けない人でもアウトアップができるようにというコンセプトを持っている。私自身文章を書くことに苦手意識を持っており、こうして書く練習を始めたのだが、書けるようになることで書かなくてもいいことがより明確にわかるのではないか、という仮説を持っておりそれを検証したいのである。
こうしてnoteを書いているMacの画面右上をふと見ると1,000文字以上書いている。自己紹介文には毎日15分と書いたがとうに30分は超えている。あぁ、これは続かないパターンだ。「もう少し走りたいくらいでやめる」、続けるコツはランニングと同じはずだ。今日はこのくらいにしよう。では、また。

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